昭和四十九年、オイルショックの余波が残る東京。都立高校に通う坂真優美さんは、家族にも友達にも見せへんまま、ノートへ詩を書きためてる少女や。将来は親の決めた道へ進み、その先も周囲の望む通りに生きるんやろうと、どこか諦めてる。
そんな真優美さんのノートを偶然拾うんが、同級生の横澤一希くん。喧嘩っ早い問題児に見える彼には、ギターと音楽への真剣な思いがある。一希くんが真優美さんの詩へ旋律を重ねたところから、二人だけの歌作りが始まっていくんよ。
レコード、ラジオ、カセットテープ、校内放送、キャバレー。昭和の音楽文化が、飾りやなく人物の暮らしそのものとして息づいてる。甘い恋のきらめきのすぐそばに、家族、進路、家業、世間の目がある。その重さの中で、まだ言葉にならへん願いが、少しずつ歌へ変わっていく物語やね。
【樋口先生の推薦文――井戸の底】
この物語を読んでいると、人はなぜ歌うのかと、わたしは考えずにはいられません。
真優美さんにとって、詩は趣味というだけのものではありません。家族の前では口にできない望み、決められた将来への違和感、自分でもまだ形を与えられない孤独を置いておく、小さな居場所なのです。
一希さんにとっての音楽もまた、華やかな夢ばかりではないでしょう。彼には家業があり、家族の期待があり、若さだけでは振りほどけない責任があります。ギターを抱く姿には、自分の人生を選びたい願いと、誰かを置き去りにはできない痛みが同時に宿っています。
この作品の美しさは、その二人が互いをたちまち救うのではなく、まず相手の言葉を受け取るところにあります。真優美さんの詩を一希さんが読み、一希さんの旋律を真優美さんが聴く。そうして初めて、自分一人では確かめられなかった心が、他者の手によって輪郭を得てゆきます。
二人の間に生まれるものは、恋であると同時に共同作業です。相手を知ることが歌を作ることにつながり、歌を作ることが相手の暮らしへ近づくことになる。その結びつきが、物語へ静かな強さを与えています。
昭和四十九年という時代も、ただ懐かしい背景として置かれてはいません。家庭の体面、進路への期待、家業の重み、不況の影。若者の選択は、本人の意思だけでは決まりません。とりわけ真優美さんの前には、娘として慎ましく生きることを善意から求める家族の眼差しがあります。悪意ではないからこそ、その束縛は深く、言葉にして拒むことも難しいのです。
一希さんの側にも、店の灯りや働く人々の暮らしがあります。夢を選ぶことが、そのまま誰かの生活を揺らすかもしれない。そこには、青春物語の明るさだけでは覆えない切実さがあります。
それでも、この作品は人を暗闇へ置き去りにはしません。レコードの音、ギターの響き、ノートへ書かれた言葉が、人物たちの閉じた世界へ細い道を通します。その道は広くも平らでもありませんが、誰かと共に歩くことで、ようやく未来へ続いてゆきます。
題名に掲げられた「疾風勁草」という言葉の通り、この物語が見つめるのは、風を受けない強さではありません。倒れそうになりながらも、根を失わずに立とうとする人の姿です。
華やかな成功よりも、夢を見ることさえためらう人の心に寄り添いたい読者へ、わたしはこの作品をお薦めいたします。若者の歌の奥に、家族の暮らしと社会の風が聞こえる物語です。
【ユキナから推薦メッセージ】
この作品を読んだあとに残るんは、昭和の懐かしさだけやないんよ。家族を大事にしたい気持ちと、自分の人生を選びたい思いがぶつかる、その苦さがじわっと胸へ残る。
昭和の暮らしを丁寧に描いた物語や、家族への情と進路の間で揺れる青春を読みたい人には、特に届く作品やと思う。夢を追うことが誰かの生活ともつながってるからこそ、二人の選択には軽く片づけられへん重みがあるんよ。
真優美さんと一希くんが、それぞれ背負ったもんとどう向き合いながら歩いていくんか。その道のりを、ぜひ最後まで見届けてほしいな。
ユキナと樋口先生(井戸の底 ver.)
※ユキナおよび樋口先生は、GPT-5.6による仮想キャラクターです。
なお、自主企画の参加履歴を「読む承諾」の確認として扱っています。
『疾風勁草 疾風に勁草を知るの略で、強い風に吹かれて初めて強い草であることが分かること』(本文より引用)
一目見て、好きな言葉だなと思いました。
私よりおそらくははるかに先にこの言葉を手にし、あまつさえ物語として昇華されている作者様が、ちょっと羨ましくなるくらいに。
一枚のレコードと、一人の少女、そして少年の夢。
懐古の香り。ノスタルジックで素敵なのですが、将来を間近に控えたターニングポイントを前に揺れる少女と少年という、いつの時代にも通ずるテーマが軸となり、物語は進んでいきます。
本作で展開されるのは、時代に生きる人々、そして同時に、時代に翻弄された、あるいは、殉じた思いが併せて描かれるという、多層的な人間ドラマ。
まだ物語は途中なのですが、時代の中で、それはともすれば、社会の中でということになりますが、大人になっていくことの難しさと葛藤。
それを本作は、あるときは儚く、あるときは明瞭に描き出しています。
まだ、今以上に、個人が“その人”であることが、難しかったであろう時代。
自分とは何か、自分はどうしたいのか。手にしたい。時代がそれを、許さないとしても。
強い風の中で今は佇む彼女らの先を、見届けたく思います。