バチカンからの留学生

第4話 バチカンからの留学生

バチカン市国。

カトリック教会の総本山にして、世界中に散らばる祓魔師エクソシストたちの頂点にあるその聖地では、半世紀以上にわたって語り継がれるあるがあった。


『極東の守護聖人』

『魔界の門を一人で封じ続ける、神の隠し刃』


教皇庁の最上級機密にあたる祓魔記録には、そう記されている。

ラテン語の祈祷を唱えずとも悪魔が撤退し、バチカンが複数人で対処する大悪魔アスモデウス級ですら、遭遇のたびに一瞬で地獄へ送り返すという、恐るべき東洋のマスター。


その奇跡じみた技を学び、ゆくゆくは教皇庁の正式な祓魔術として体系化するべく、若き天才祓魔師が日本へ派遣されることになった。


彼の名は、カルロ・ドメニコ。

22歳にしてバチカン祓魔学院を首席卒業した俊英であり、仕立てのいい黒の修道服キャソックをまとった、金髪碧眼の美青年である。


そして今、そのカルロは、日本のとある片田舎の田んぼ道の真ん中で、しばし立ち尽くしていた。


「……ここが、伝説の聖域サンクチュアリ……」


胸元の純銀製の大きな十字架を握りしめ、カルロはごくりと唾を飲む。


彼の目の前にあるのは、トタン屋根のプレハブ小屋だった。

入り口には手書きの看板がぶら下がっている。


『佐藤便利屋(水回り・草むしり・悪魔祓い)』


「まさか……偉大なるマスターは、俗世に身を隠し、あえてこのような仮のやしろで――」


感極まったカルロは、カトリックの作法に則り、厳かに三度ドアを叩いた。


「失礼します! バチカン教皇庁より参りました、カルロ・ドメニコです! 偉大なる極東の巨星、サトウ・カンタロウ先生にお目にかかりたく――」


ガラララッ、と安っぽいアルミの引き戸が勢いよく開いた。


「しーっ。おい、朝っぱらからそんなでけえ声出すな。近所は年寄りばっかなんだ。変な噂になったら面倒だろ」


出てきたのは、よれよれの白いポロシャツに、膝の抜けたスラックス姿の小柄な老人だった。

片手には、開けかけのサバの味噌煮缶。もう片方の手には箸。


カルロは思わず息を呑む。


(な、なんて圧倒的な『無』の気配……! いかなる力も、一切外に漏れていない……! これぞ修羅場を50年以上くぐり抜けた者だけが到達できる、神聖なる虚無の境地……!)


「あ、あの……貴方が、伝説の祓魔師、サトウ先生ですか……?」


「佐藤だけど。……あー、お前、バチカンのやつか。先月、国際電話で英語の自動音声みたいなの流れてきたから、また詐欺かと思って切ったけど、本物だったのか」


佐藤はサバ缶を箸でつつきながら、カルロを上から下まで眺めた。


「で、その小綺麗な格好した兄ちゃんが、俺に何の用だ? 悪いけど、うちは今、人を雇う余裕ねえぞ。軽トラの車検で金が飛んだばっかなんだ。国民年金だけじゃ腹は膨れんし」


「コ、コクミン・ネンキン……? 神聖なる秘儀の名ですか……!?」


カルロは即座に最高級の革手帳を取り出し、走り書きでメモを始めた。


「ただの年金だよ。お前、日本語しゃべれるなら話は早い。要件を言え、要件を」


「は、はい!」


カルロは姿勢を正し、青い目をきらきらと輝かせる。


「私は教皇庁の命を受け、先生の『奇跡の儀式』をこの目に焼き付け、学ぶために参りました! 記録によれば、貴方はかつて、魔王ベルゼブブの軍勢を『一瞬の閃光と、地獄を穿つ聖なる打撃』によって、わずか数分で壊滅させたとか!」


「あー……」


佐藤は遠い目をした。


脳裏をよぎるのは、昨夜の深夜二時。

IT企業のオフィスで、ポカリボトルの霧吹きを吹きかけ、樫の木でできた十字架でベルフェを二発どついた件である。


(一瞬の閃光=霧吹き付きポカリボトル。

地獄を穿つ聖なる打撃=樫の木の十字架)


要するに、バチカンは盛りに盛っていた。

英語の話せない佐藤が、国内教会を通して毎回よこす日本語の報告は、だいたい三行で済む。


『悪魔出た。だから殴った。そしたら帰った。』


それを受け取った向こうの官僚たちが、勝手に深読みし、勝手に格調高く脚色し、勝手に神の超人へ仕立て上げてしまったのだ。


「先生! 本日、この近くの高校で中堅クラスの悪魔の目撃情報があると、教皇庁の情報網が掴んでおります! ぜひ私を現場へ同行させてください! 先生の神聖なる御業、このカルロ、必ずや習得してみせます!」


まぶしいほどの尊敬の眼差し。

佐藤はサバ缶を口へ放り込み、もぐもぐと咀嚼してから、盛大にため息をついた。


「断るのもめんどくせえな……。おい、カルロっつったか」


「はい!」


「軽トラの助手席、乗るか? エアコンの効き悪いけど、文句言うなよ」


「……! こ、これが……伝説の聖なる白き戦車チャリオット……! ありがたき幸せ!」


「ただのダイハツのハイゼットだよ。ほら、行くぞ。遅れるとガソリン代がもったいない」


佐藤勘太郎は、腰に樫の木十字架をスッと差し、小脇に使い古しのポカリボトルを抱えて、がに股で軽トラへ向かった。


バチカンが崇める『極東の生ける伝説』の正体が、エアコンの壊れかけた軽トラで移動する、地方在住の頑固な便利屋まがいの老人であると、カルロが知るまで――あと、およそ40分。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る