14 ボート小屋へ
それから私達は、ボートの貸出しが行われているという小屋に向けて歩き始めた。
「湖が綺麗だね」
「ええ。とても」
シリナ湖は自然豊かで、思っていた何十倍も美しい場所だった。
今日は天気がいいから、日の光が湖面に反射してキラキラと輝いている。
私達は景色を楽しみながら、ゆっくりと湖に沿って歩いていた。そうしていると、芝生に腰掛けて絵を描くイアンの姿を見つけた。彼は真剣な表情で、キャンバスに向かっている。
声をかけていいものかと悩んでいると、ふいに彼が顔をあげた。彼は私達に気づくや否や、帽子を取ってペコリと会釈をしてきたから、私は思い切って彼のもとへと駆け寄った。
「絵を見せてもらってもいい?」
「勿論。ただ、まだ色を塗り始めたばかりですよ?」
キャンバスには薄っすらと鉛筆で線が引かれていて、その上にぽつりぽつりと色が塗られている。
「少し線を書いただけで、もう色を塗るんだね」
私と一緒に絵を覗き込んでいたアーサー様が言った。
「俺は下書きを描き込むタイプではありませんから」
確かに鉛筆で描かれた線は簡素で最低限のものしかない。
イアンは足元に筆を置くとぐっと伸びをした。
「お二人はこれからボートに乗られるのですか?」
「ええ。そのつもり」
「ボート乗り場はあっちをまっすぐ歩いて、10分くらいの場所にあります」
イアンの指さす小道を私達はしっかりと確認した。
「親切にありがとう」
お礼を言ったら、彼は微笑んだ。
「舟遊びをぜひ楽しんで来てくださいね」
「ええ。お仕事中の邪魔をしてごめんなさい。また会いましょう」
そうして私達は、彼の教えてくれた道を歩き始めた。
彼と別れてから5分もしないうちに、私達は若い売り子の女性に声をかけられた。彼女は黄色い液体の入った瓶を見せて「冷たいレモネードはいかがでしょうか」と勧めてくる。
「そういえば、イアン卿は飲み物を持っていなさそうだったね」
アーサー様はつぶやいた。
言われてみれば、彼は水筒のようなものを持っていなかったような気がする。日差しの強い中で夢中で絵を描いていれば、気分が悪くなってしまうかもしれない。
アーサー様は私と同じことを思っていたに違いない。
「差し入れに、一つ持っていってあげてもいいかい?」
「ええ」
アーサー様は上着のポケットから財布を取り出すと、売り子が告げた金額を支払った。
彼がレモネードを受け取ると、私達は道を引き返して、再びイアンに会いに行った。
イアンは帰ってきた私達を見るなり、筆を置いて立ち上がった。そして、心配そうな顔つきで私達のもとに駆け寄ってきた。
「道に迷われましたか」
「違うよ。イアン卿に差し入れを、と思って」
アーサー様がそう言ってレモネードの入った瓶を差し出すと、イアンは目を見開いた。
「ありがとうございます。丁度飲み物が欲しいと思っていたので助かります!」
彼は瓶を受け取るなり、すぐに蓋を開けてレモネードを口にした。ぐびぐびと勢いよく飲んでいる様子からして、本当に喉が渇いていたらしい。
瓶から口を離し、ぷはぁと息を吐いた後、彼は言った。
「ミランダにお金と飲み物を預けていたのをすっかり忘れていて困っていたんです」
「え? とっくに着いているはずなのに、再会できていないのかい?」
イアンは頷いた。
「ここで描いていたら、そのうち会えると思っていたんですけど……。彼女はどこをほっつき歩いているんだか」
「それは大変だね。彼女を見かけたら、ここに向かうように伝えておくよ」
「そうしてもらえると助かります」
イアンはそう言うと、改めてレモネードのお礼を言った。
私達は別れの挨拶をして、今度こそ、ボート小屋に向けて歩き始めた。
イアンが教えてくれた道を歩くこと約10分。私達はついに、ボートを管理する小屋へとたどり着いた。
小屋の中にはボートを管理しているであろう人がいて、彼はタバコを吹かしながら新聞を読んでいた。
「手続きをしてくるから、ここで待っていて」
アーサー様はそう言うなり小屋に入っていった。私は言われた通り、その場で待つことにした。
そうして、何の気なしに周囲を見渡していたら、遠くの木陰に人影を見つけた。よく目を凝らして見ればそれはミランダで、私は彼女に近づこうと一歩踏み出した。
すると、彼女は私に背を向けて林の奥へ入っていこうとする。
「エレノア嬢!」
後ろからアーサー様から呼びかけられて、私は振り返った。
「どうかしたのかい?」
彼は私の顔を見て言った。
「ミランダがあそこにいたんですけど……」
ミランダのいた方を見たら、彼女はもう、そこにはいなかった。
「どこかに行ってしまいましたね」
「そうか。しかし、何でこんなところに一人で……」
一人で舟遊びだなんてつまらないだろう。けれど、この辺りにはボート小屋以外には建物がなく、用があるのなら、それしか思いつかなかった。
私達は顔を見合わせて首を傾げた。けれど、そうしたところで、答えは出てこない。
「ミランダの考えはよく分かりませんね。彼女はいつも、突拍子のないことをする子ですから」
「そうか。一先ず彼女のことを考えるのはやめよう」
アーサー様は気持ちを切り替えるかのように笑顔を作った。
「ボートを借りられたから、乗ろう」
アーサー様はそう言うと、私をボートのある場所まで連れて行ってくれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます