天網恢々にして

「あずきは十勝産か」


詰襟の制服はここの学校の生徒だろう。数日前からこちらを見つめる視線があった。ここ甘味処はな屋では主人が店の前で鯛焼きを焼いていた。使い込まれた鯛焼き器は真っ黒で取っ手の木部は手の形に凹んでいる。下校時間になれば女生徒達で席が埋まるほどの人気の店だった。


今はまだ授業中のはずだ。昼日中このへんを彷徨いている学生を怪しい目で見ていた。


「うちのあずきは産地直送、混ざりもの無しの十勝あずきでずっとやってきてるよ」


鋭い三日月のような目がさっきからこちらの手つきを凝視していた。やれと言われれば目を瞑っていても出来る慣れた動作だったが、その目で見られていると、緊張しペースを狂わされていた。


「皮は何だ」


自分の子供といってもいいほどの歳の差がある少年から真剣を素肌に当てられるような緊張と圧を感じていた。相変わらず手元を凝視したまま詰襟の学生は聞いてきた。


「皮は普通の薄力粉だよ、あとは教えられないね」


ふむ、とその学生は言うとしばらく黙ってしまった。早く帰ってくれと内心祈ったが顔には出さず、無視してそのまま焼き続けた。


「皮はパリパリか」


再び心臓に刃が突き付けられた。その切先はあと紙一枚のところで止められ、少しでも動けば硬い筋肉を豆腐の様に容易く貫く切れ味だった。


「う、うちはね、餡多め薄皮のパリパリを売りでやってるんで、それよりさっきから何だ、買うのか買わないのかどっちなんだ」


伏せていた目がゆっくりとこちらを向いた。それは猛禽の目だった。目を逸らせば一瞬で命を奪われる、そんな迫力があった。しばらく睨みあっていだが、やがて学生はフンと嘆息を漏らすと去っていった。


(恐ろしい小僧だったがひょっとして甘党なのが人にばれるのを気にしているのかも知れない)


一番賑わう時間を避けていることと、結局買わずに帰ってしまう所など考えてみれば年相応の男子らしい可愛げがあるではないか、そう店の主人は推理した。


翌日少年はまた現れ店内にはいり席に座った。どうやら今日は食べて帰るつもりらしい。お茶を出すとお品書きを眺めていた。


「鯛焼きを一つくれ」


最初から決まっていたのだ、これは真剣勝負だった。渾身の一枚でこの曲者客を唸らせてやりたくなった。


「はい、少々お待ちください」


三十年使い込んできた鯛焼き器はもう自分の手のように馴染んでいる。熱せられた鉄板の凹凸に油を敷き生地を流し込む。先日はもったいぶった言い方をしたが、生地自体はいたって普通の市販のものだった。


焼き方に工夫があった。二枚ある鉄板を熱している火加減は片方を少し弱くしてある。焼いていない時は鉄板を休め一定の温度を保つ様にしてあった。


餡は多め、鯛の鱗に薄っすらと中の餡子が透けて見えるほどの量を置いていく。しっぽまで行き届き両面を適切な温度で焼き上げる。はたして最高傑作が焼き上がった。


「お待ち遠さま」


鯛焼きの背鰭が皿にあたると硬質な音を鳴らした。少年は表情一つ変えず出された鯛焼きを眺めている。さあ食ってみろ、俺の最高傑作を。


少年は鯛焼きを掴むと頭から齧った。


(頭からいくタイプか、男の子らしくていい)


店の主人はシンの一挙手一投足に自分の人生を試されているような気持ちになっていた。そのまま二口、三口と食べ進め、断面を確かめている。粒あんの十勝小豆は宝石のように輝いていた。


最後のしっぽは一口で食べしばらく噛んだのち目を閉じた。主人はただ一言を待っていた。


するとシンは勘定をテーブルの上に置くと何も言わず店を出ていってしまった。これまでの態度から考えれば敗北なのだろう。呼び止めて感想を求めるのは職人としてのプライドが許さなかった。


「また来る」


去り際主人の顔を見てそう言った。その口元は少しだけ笑っているように見えた。


それからシンは毎日店に通うようになった。店頭に出された長椅子に座り、出来上がるのを待っている。


「お待ちどうさま、おやっ?」


そこにシンはいなかった。




(お前たちの望みを申してみよ)


それは女の声をしていた。美兵の声から発せられるのは殺意ではなく、慈悲慈愛の心だった。


シンは楽しみを邪魔されて機嫌が悪かった。


縁あって現れた妖は、元はまだ言葉のなかった頃の人間の女王で、今聞こえてくるそれも音楽のような響きでしかなかったが直接頭に響く音色は、時差なく意味を伝えていた。


「攻撃ではないようだ。ただ望みを叶える為だけの女王の願いそのものか」


今までのような妖の怨念ではなく、古い人間達の在るべき姿だったそれは、同じ言葉を繰り返すだけだった。


(お前達の望みを申してみよ)


「害がないということか」


「過剰な善意は暴力と変わらない、人間は数を増やすことで個が生まれ、それぞれの願いは他者から見れば唯のインフレにすぎ………


シンの言葉が終わらないうちに視界に入る端から端までが色とりどりの花に変わった。それは山の稜線を越えて、水平線の彼方まで続いている。


「リン、やめろ」


シンが叫んでいた。これはリンの望む争いの無い世界だった。果てしなく広がる花畑の中に座る少女の姿は、印象派の油絵のような光の世界だった。リンは花を摘み花輪を編んでいる。


願いの強さに応じて具現化されていく揺らぎのない整然とした連続は狂気だった。ここでは正気を保つことは出来ない。その中で自分とシンだけは元の世界を繋ぐ点としてそこに機能し続けているはずだった。


旧日本海軍の戦艦大和。まるで動く島のような黒い塊が起こす波は花びらを吹雪のように巻き上げていた。


「完成していたのか」


シンはひとりごちて、その巨体を眺めている。正気のないリンを抱き起こすと、幼子のように嫌がった。争いの無い世界に現れた戦艦はシンとリンの心そのものを表しているようだった。


シンはタラップを登り始めるとリンを抱えて後を追いかけた。甲板の上はまるで町のように広く巨大な主砲や艦橋が塔のように聳えていた。


大和は花の海を切り裂いて進んで行った。シンの望んだ世界、それは勝利することだった、相手が強敵であるほど価値を増し、目の前の大編隊もシンの願いで生まれた物だった。


塔で見た光景を上回る夥しい数の銀色の爆撃機とそれを護衛する戦闘機が視界を埋めた。今自分は大和の艦橋にいた。シンとリンの姿はない。主砲が敵機に向けて仰角の角度をとると、一斉に46サンチ砲が放たれた。


爆音と衝撃波は艦橋を震わせ、音速を越えた砲弾が編隊を貫くとその中心から広範囲の爆撃機を破壊した。するとその残骸は花びらとなり、重さを失って辺りに浮かんでいた。


空を見るとそこにも花が咲き乱れている。再び主砲が火を噴くと今度はその衝撃で戦艦はバラバラに崩れていった。破片の山を掻き分けてなんとか外に這い出るとその一つ一つが鯛焼きに変わっていた。


(これも誰かの願いなのか)


昔聞いた落語噺を思い出していた。その主人公の結末はどうだっただろうか、嘘をついたむくいを受けたのか、それとも全く別の結末だったのか、、


(お前の望みを申してみよ)


妖や神には嘘の概念が無く個の認識も曖昧だった。二つの宝石の力を使えばどうなるか分からなかったが、シンとリンを欠いた状況ではその使用も考えなければいけなかった。



真っ暗な空間の中は光を通さず自分の手足すら見る事が出来ない。いや体すらもう無く意識だけがそこにあった。自分の願いが成就した世界がこの暗闇なのだろうか。


(お前には願いが無い)


女王の声が響いた。自分の願いは元の世界に戻ること、リンとシンを取り戻すことだ。


(妾と其方は良く似ている)


「それが二つという概念だ。女王と私は良く似ているけれど、それは一つではない」


自分の言葉なのかそれとも別の誰かのものなのか、語りかけていた。


(これが二つか、こんなにも脆いものなのか)


「たしかにそうとも言える。一人だと寂しいものだ」


これは自分の言葉だった。


「女王よあなたの望みは」


(………………………………………)


宝石は光を放ち女王の影を映した。それは人の形だった。


そこにはもう無限に広がる花畑も戦艦も鯛焼きの山もなくなっていた。



「お待ちどうさま」


「天網恢恢疎にして漏らさずか」


シンは鯛焼きを頭から齧った。






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