第19話 姉 神崎茜



「だから……僕だよ、僕が殺したんだ……!」

震える隼人はずっと、自分が悪いと言い続けている。

悪夢を見たときの寝言の様に、ずっと繰り返している。

ごめんなさい。

僕が殺した。

それをずっと、繰り返し言っている。

「……隼人はやってない」

「どうしてそんな事言うんだよ! 言ったでしょ、僕が「どう考えても隼人が殺せるはずないんだもん!」

どうやっても、どう考えても、隼人が出来っこない。

それは意気地なしだからとか、人を殺せる度胸が無いからとか、そんな簡単な理由じゃない。物理的に無理だから、隼人は殺していない……。

「隼人、一つだけ聞くよ」

怯えた子供のような目で私を見て、小さく頷いた。

「あの日……隼人はどうやって殴ったの?」

あの日、家族の誰もが忘れたくても一生消えない、忌まわしい日。

隼人にとってそうであるように、私にとってもそうだ。

だから安心させてあげないといけない。

私はお姉ちゃんだから……。



「お前ヤらせてくんねぇじゃん。こいつその日にヤらせてくれたんだよねぇ」

放課後、呼び出された私は彼氏にそう言われた。

高校に入ってすぐ告白してくれた彼と、順調に付き合っていると思っていた。

中学から一緒の子に……親友だと思ってたその子に恋愛相談をして、デートプランの相談もしていたのに、今は彼の腕の中で見せつける様にキスをしている。舌を絡めて、唾液の音を響かせて。

今ここで、自分の教室で事を始めようかとでも言いそうな雰囲気だった。

過去に彼とそういった雰囲気になった事はあるけど、私は徹底して断り続けた。あいつがお母さんに言った汚い言葉が、私に言った言葉が、どうしても蘇ってくるから。

「ごめんね、茜。でもさせてあげない茜にも、問題はあるんじゃない?」

「男の欲を解消できない女って、一緒にいて何の意味があんだよ?」

ねー、と顔を付き合わせて微笑んでいる。

「何なら今から三人でするか?」

「えー、私以外の人ともするのー?」

「俺、茜の欲しいなぁ」

目尻は下がっているのに口角は上がっている。

女子をそういう風に見ている教師達と同じ顔で近寄ってきたから、私は近くの席の椅子をぶん投げて威嚇してやった。

「あんたみたいな下半身バカなんて、こっちからごめんよ!」

私の価値は彼なんかで決まらない。

私の体は、私のものだ。

男に好き勝手されるために、この世に生まれたわけじゃない。

彼もあの子も驚いた顔していたけど、そんなの関係無しに私は通学バックを持って教室を出た。途中会った先生に「教室で性行為をしようとしている生徒が居ました。注意してください」って告げ口だけして、校門を出た。

本音を言うと悔しかった。

私があんな男に惚れてしまった事も、あんな男だって見抜けなかった自分にも。悔しくて、アホらしくて……こぼれそうになる涙を必死にこらえて帰宅した。引き戸を開ければタバコの臭いが風に乗って一気に私を突き抜けてきて、そういえば彼も隠れてタバコ吸ってたな……なんて思い出してまた泣きそうになった。ちょっとでも泣いてから帰ってくればよかった、なんて思っていたのに追い討ちをかける声が聞こえる。

「おー茜、お前小遣い欲しくないかぁ?」

ふー、と煙をこっちに吹き付けながら言ってきた。

こういう時の、いやこういう時でなくても、こいつから話しかけてくるなんてこれから不快な事が始まる証拠だ。小遣いというワードに引っかかったのは単純に私のミス。

「スカートは短いし、ほれ、その泣きそうな目。十分色気付いてんだろ」

「……何が言いたいの」

「高校生ってだけで付加価値があるんだから、体売れば十万や二十万なんて楽に稼げるぞ? なんなら紹介してやってもいい。あの安月給の父親とお前が稼いだ金があれば、もーちょっとこの家も潤うだろうに。なぁ、茜」

どいつもこいつも……。

男は下半身に脳みそがついてるって聞いた事があるけど、あながち嘘でもないみたい。世間では『おじいちゃん』って呼ばれる年齢なのに、まだそんな事を考えているのかと本気で吐き気がした。

「金持ちの相手でもすりゃーいいんだよ、その短いスカートでなぁ」

「……いい加減にして」

「あ?」

「なんで私が体売らないとならないわけ? あんたが稼いでくればいいじゃん」

「なんだと……?」

ソファーの手すりをバチンと叩く。

普段なら肩や足が震えるのに、今日はあの一件もあって……私は最悪な気分だったから。さらに最悪な気分にしたこいつに、私は立ち向かえた。

今まで思っていた事、全部吐き出してやる。

「家に金入れろとか言うけど、あんたがタバコばっか吸うから家計が圧迫してるんじゃないの?」

「あぁ?」

「食事だって皆より一品以上多いよね。それだって食費払ってるのはお父さんとお母さんじゃない。ご飯食べてタバコ吸って酒飲んで寝るだけなのに、口だけは一人前だよね」

「誰に向かってそんな口きいてんだ!」

「そんな事もわかんないの? あんたにだよ!」

ムカつく。

……ムカつく、ムカつく!

何でもかんでも人のせいにして、体を売れって最低な事を言う人が同じ屋根の下にいるなんて。いなくなればいいのに。こんな性欲モンスター。

「出来損ないの娘なんだから、お前だって股開くしか能がねぇだろ! 若いうちにたくさん稼いで孝行しろ!」

「そんな年になってもソレしか頭に無いの?」

「高校生の今だからこそ言ってるんだろうが! 金稼いで一人前になって、バンバン稼いでこの家を潤わすんだ!」

「いい加減にしてよ!」

通学バックを投げつけてやった。

彼と一緒だ。

女の体を好き勝手する事しか頭に無い、空っぽで、女を物としか見てない。

冗談じゃない……冗談じゃない!

「私の体は一生、私のものなんだ! 誰にも好き勝手させない!」

「何すんだこのガキ!」

「あんたにだって……あんたみたいな男にだって、金をチラつかせたって脅してきたって指一本触れさせない!」

あの部屋の入り口すぐに飾ってあるおばあちゃんの写真をひったくるようにして取って、あいつの顔の前に押し付けてやった。

「おばあちゃんにも同じ事言えるの? 股開いて金稼げって。言える!? 言ってみせてよ! 自分の妻にすらそういう事言えるの!?」

「茜! 何してるの!」

エプロン姿のお母さんが走っていて、私とあいつの距離をとらせる。

「言えよ! 言ってみせろ! おばあちゃんにも!」

「茜、何したの!」

「このガキゃあ……!」

「お父さん、お食事先に召し上がってください。茜の事は謝ります。ですから、お先にどうぞ。お風呂もできてますから……」

「……ふんっ。出来損ないのガキめ」

あいつは私をギロリと睨みつけながら部屋を出て、リビングへ行った。

いつもそうだ。

何もかもあいつは一番にしてもらって、食事だって一番多く食べて。

運動部なのにひょろひょろの隼人の為に私のおかずを減らして隼人に分けてあげてって、お母さんにお願いした事もあるぐらいなのに。

いつも、いつもいつも、いつだってうちの家族はあいつの言いなりで、好き勝手されて……。

「茜、大丈夫? 怪我は?」

「……した…………い」

「え?」

「殺したい、殺してやりたい……あいつ! 体なんて売りたくない!」

「大丈夫、そんな事絶対にさせないから」

「殺したい、殺したい、嫌だ、嫌だ!」

涙でぐちゃぐちゃになった私を、お母さんは背中をさすってなだめてくれる。

いつか本当に体を売るような場所へ売り飛ばされてしまうんじゃないか、目が覚めたらそういう場所にいるんじゃないか。そんな不安を一度も抱えた事が無い、やろうと思えば簡単に出来る人がいるだけでどれだけ怖いか、あいつは一生かかったって、来世でだってわからないんだろう。

お母さんの胸の中でわんわん泣いていると、頭上から声がした。

「お母さんも……」

顔を上げてお母さんを見ると、私を見つめる目はじゅくじゅくと潤んでいた。

「お母さんもね……殺してやりたいよ。子供達をこんな目にあわせて……」

「おかあ……さ」

「でもね、茜……これはお母さんとの秘密にしてほしいんだけどね……」

「おい! 飯出せ!」

「はぁい今行きます! いい? 一度だけ言うわよ」

そっと、私の耳元で言った。

『遺言書さえ見つかれば今まで通り、もしかしたらそれ以上に、不自由無く暮らせるだろうから……』

見つかれば幸せになれるの?

お父さんもお母さんも、食事でビクビクしなくてすむ?

私は蹴られずにすむ?

隼人は殴られずにすむ?

「おい役立たず! 早くしろ!」

「それが見つかれば、みんな幸せになれるから……」

走ってダイニングに向かうお母さんを見て、私は涙を拭きながら自分の部屋へ行く。あいつの怒鳴り声を聞きたくなくて、音量ををかなり大きくしたイヤホンを耳の奥まで入れて、見もしない動画を流しながら考えていた。

遺言書。遺産って事だよね。

遺産が手に入れば、まとまったお金が手に入れば、体を売れなんて言われない。そうか、遺産が手に入るって事は……あいつが死ぬって事だ。

あいつが死んで、遺産が……お金が手に入る…………?

これ以上の幸せがあるの?

それからしばらくして、どすん、という大きな振動があった。

「……地震?」

動画を止めて、イヤホンを外してみる。

地震だと思ったけれど、それにしては揺れは最初の一度だけ。

細かな揺れもなければ、地震が来る時の、あの毛が逆立つような独特の感覚もない。大地震が来る前触れかもしれないから、学習机の下に隠れる準備もしていたけど何も無い。安心するべきなのに、妙に胸元がザワザワした。

もしかしたら……帰ってきた隼人が殴られているのかもしれない。

お母さんが暴力を振るわれているのかもしれない。

今日こそ、今日こそは、あいつに思い知らせてやる。

みんな、あんたの言いなりになってばかりじゃないんだ、と。

すぐに通報できる様にスマホを握りしめて降りると、お母さんが小さく悲鳴を上げていた。やっぱりあいつ、暴力ふるってるんだ……!

「お母さん!」

「茜、来ちゃダメ!」

お母さんの胸に顔を押し付けられて、視界は遮られた。

それでも私の鼻には、嗅いだ事のない変な臭いが濃くなるのがわかった。

奥からお父さんが飛んでくる。

お父さん、今日は早上がりだったんだ……。

「お義父とうさん、お義父さん!」

部屋が騒がしい。

何が起きているの?

引き戸が開いて隼人が帰ってきた。驚いた顔をしている。汗かいてるからか、顔も髪も濡れていた。

目が合って、隼人はすぐに靴を脱いで部屋を覗いていた。

口元を覆っている。

「隼人、見ちゃダメだ、部屋に戻っていなさい。お母さん、救急車を!」

それからは慌ただしかった。

私と隼人はダイニングに閉じ込められるように避難させられると、お母さんは「酷い状態だから来ちゃダメよ」とだけ言って部屋の方に走っていった。

救急車はすぐに来て、救急隊員が担架を持って家に上がって、お母さんを乗せて行ってしまった。お父さんが開けた部屋の襖はすぐに閉められて「ご飯食べちゃいなさい」と普段通りにしようとしている。

その後、あいつは死んだ。

お父さんとお母さんがバタバタと、いろんな所に忙しそうにしている中で噂として流れていた。

『おじいさん、灰ですべって頭を打ったみたいでね。しかも棚にぶつけちまったもんだから、下敷きになっちまったんだと。やっぱりタバコはろくなもんじゃねぇや』

『真美ちゃんばっかり可愛がってたんだろ? バチが当たったんだよ。天罰だありゃぁ。昔はあんなんじゃなかったのになぁ……』

『うちの先生がいってたよ。なんていったかね、後頭部……打撲? 打撃? だったかでね、おっちんだって』

お父さんとお母さんであいつが死んだ後の手続きをしている時も、ご近所のおばちゃんおじちゃん達はそんな事を囁き合っていた。

しっかりご飯を食べなね、っていろんな人がご飯を持ってきてくれた。

気をしっかりね、泣いてもいいんだよ、辛かったね。

誰もが言うけど、うちは誰一人泣かなかった。

あいつの死因は後頭部打撲、つまり、頭の後ろを打った事で死んだって病院の先生は言っていた。




「ぼ……僕は、こう…………こうやって、構えたんだ」

隼人は右腕を大きくあげて、でも力を入れてないから招き猫の様なポーズになっている。わざわざ後ろに回り込まない限り、隼人は前からしか殴れない。

「やっぱり…………隼人じゃないよ」

「でも……」

「じゃあ、今言った事は嘘なの?」

「嘘ついてないよ!」

「なら、殺したのは隼人じゃない。それに先生も『不幸な事故』って言ってたじゃない」

隼人の前に周り、手を取ってあげる。

小さい頃、怒られるかもって泣きそうになっていた隼人にしてやったように。

「大丈夫、隼人はやってない。あいつは事故で死んだの」

「…………」

「それと……灰皿はどこにあるかわかる?」

何も言わず、勢い良く首を振る。

どうしよう。それが見つかれば、隼人が苦しむ要因の一つをなくせるのに。

それにもし万が一にでも、お父さんやお母さんの気が変わって隼人を警察に突き出そうとした時に証拠になっちゃう……。二人より早く見つけないと。

「でも……ど……どこら辺にあるかは、わかる」

お母さん……あなたの手伝いはもうしません。

私は隼人の為に、この子の為に、意地でも見つけ出してやると決めました。

たった一人の大切な弟の為に……。








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