プロローグ

​ 流れていく街並みを車窓から眺めながら、助手席に座る私はこれから向かう空籠邸の事を考えていた。

 九条不動産H支店を出て、一時間ほど車を走らせている。

 空籠邸は、D県のB町という人里離れた山奥に建てられている。H市からは三時間ほどの道のりだ。

 段々と軒を連ねていた建物が減っていき、車窓の景色はコンクリートの灰色から、木々や生い茂る草葉の深い緑へと変わってきた。窓の隙間から入り込む風も、街中の生温いものから、少しひんやりとした山の空気へと変化している。

​ 流れる景色をぼーっと眺めていると、次第に瞼が重くなり、うとうとしてきた。

 無理もない。昨日はあまり眠れていなかったのだ。

 天才建築家の手掛けた建物、それも階堂陽が残したとされる資産を探すという依頼。わくわくが止まらず、夜通しネットなどで色々と調べてしまっていた。特に目新しい情報は見つからなかったけれど……。

 でも、理由はそれだけじゃない。何より、葛城さんと一緒に現場で仕事ができることが、私には嬉しかったのだ。

 H支店では、受付や書類作成などの簡単な事務仕事ばかり。次期社長として現場の空気を学びたいと言っても、葛城さんは「君にはまだ早い」と取り合ってくれず、こうしてバディのように動くこと自体が少なかった。だから今日は、私にとって特別な一日なのだ。

​ ふと運転席を見ると、葛城さんは相変わらず何を考えているのか分からない、思案げな横顔でハンドルを握っていた。

「本当に、階堂陽の資産が見つかると思いますか?」

 沈黙を破って私が尋ねると、葛城さんは前を向いたまま静かに口を開いた。

「分からない。けど、あるとするなら『手元に持っておきたくないもの』か、『動かすことが出来ないもの』じゃないかな」

「動かすことができない……」

 言われてみればそうだ。わざわざ自分の資産を建物に隠し、他人に探させるなんて意味がわからない。普通の金塊や現金なら、銀行の貸金庫にでも入れておけばいいのだから。

 手元に置いておきたくないものか、動かすことのできないもの……。

 私は無意識に顎に手を当てて考え込んでいた。

 (あ、葛城さんの癖がうつっちゃったみたい)

 そう思うと、自然と「ふふっ」と笑みが溢れた。

​「例えば、建物の素材自体がすごく高価なものだったとかですかね? 隠し部屋の柱が全部純金でできているとか!」

「その可能性は低いんじゃないかな。鑑定して調べればすぐに分かることだろうし、それならわざわざ『隠している』とは言えないからね。それに、純金の柱なんて構造的に脆すぎて家が建たないよ」

「うっ、確かに……建築学生としてはお恥ずかしい推理でした」

 少し頬が熱くなるのを感じて、私は誤魔化すように小さく咳払いをして居住まいを正した。気を取り直して、真面目なトーンで言葉を継ぐ。

「じゃあ、何か人には見せられない書類なんかでしょうか? 過去の犯罪の証拠とか……」

「その線はあり得るね。もしかしたら、謎に包まれた階堂陽の正体が分かるものかもしれない。……だが、僕が一番気になっているのはそこじゃないんだ」

「え?」

「『階堂陽が空籠邸に資産を隠した』というこの情報自体、一体誰が、どこから流したものなのかということだよ。そもそも隠したいなら、誰にも言わずにひっそりとしていればいい。なのに、わざわざこんな噂が立っていること自体が不自然だと思わないかい?」

​ 赤信号で車をゆるやかに停めると、葛城さんがこちらを向いた。

「ところで玲奈くん。さっき事務所で見せてもらったあの資料だけど……ずいぶんと詳細だったね。経歴不詳の階堂陽が、過去に手掛けてきた特異な建築物とその間取りについて、細かく書かれている。あれは一体、どういうコネで調べたんだい?」

 少し探るような葛城さんの視線に、私は落ち着いた微笑みを返した。

「実は、知り合いに雑誌記者のアシスタントをしている方がいて、その方にお願いして過去のデータベースや裏情報を探ってもらったんです。とても有能な方で……おまけに、ため息が出るほど綺麗な顔をした美青年なんですよ」

​ 葛城さんは表情一つ変えずに青になった信号を確認し、アクセルを踏み込んだ。

「顔はどうでもいい。情報が正確ならそれで十分だ。……ただ、素性の知れない相手にはあまり深入りしないことだね。君は危なっかしいところがあるから」

「私はもう19歳です。子供扱いは辞めてください」

​ 私は少しむくれながらも、心の底では彼に心配されていることが嬉しくて、また窓の外へと視線を向けた。

 トレードマークの寝癖をぴょんと立てたまま、葛城さんがふっと優しく微笑んでいたことなど、助手席に座るこの時の私には見えていなかった。

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