偽善者たちに吹く風
鷹丘咲哉
第1話 似た者どうし
「よぉ」
物陰から声をかけられて、ケイティ・セネはぴょんと飛び上がった。解いた赤毛の髪先がふわりと跳ねる。
「おい、そんな反応ないだろ」
情けない顔を見せて笑ったのはダークオリーブの軍服を着た長身の男だった。ケイティは笑いながら近づいてその胸元を軽くつついた。
「何言ってんのよ、そんな迷彩服要らずの格好で、びっくりしないわけないじゃないの」
この服に、鉄灰色の髪と浅黒い肌の組み合わせは、夕闇に溶け込むにはもってこいだ。指摘すると男の眉が更に下がった。
「でもすごいわね、トニー。約束もしないでこんなところに来てるなんて」
ほんの外出から戻ったばかりだ、とトニーは首を振った。待ち伏せたわけではないと言い張るが、そのわりに、手が冷たい。夜風はそろそろ秋の気配だった。
「なぁに、そんなじっと見て。何か言いたいことでもあるの?」
気づかなかったふりで促すと、トニーは彼女を建物の陰に引き込んでから低い声で言い出した。
「この間はありがとう、偉かったな」
「こないだ?何?」
「シン・ユェたちとやり合ったって聞いたぞ」
声をひそめるついでに長身を折りたたむようにして、「忘れたのか?」と顔を覗き込む。その顔はいつになく真面目で、不安そうにさえ見えた。
「ああ。それね。まだユェはヘソを曲げてるけど、どうでもいいわ」
ケイティは前髪を払い除ける動作で男の心配を軽く流した。
「良くはないだろ?同じ隊舎で暮らしてるんだから」
それは、そっちもよ。浮かびかけたことばをそっとしまい込む。心配の贈りあいはどちらも望んでいなかった。
「大丈夫なのよ、あの子たちだって一枚岩ってことじゃないんだから」
「わざわざ正面突破するまでもない、って?」
「ええ。無駄な労力は使うべきじゃないわ」
「とんだ戦術眼だな」
呆れたように天を仰ぐ男を、見上げて笑った戦術オペレーターの声は、しかし、すぐに真面目な色を帯びた。
「……偽善であることに変わりはないし、ね」
「ケイティ、そいつは」
「ううん、偽善ですらないかも」
ケイティはトニーに肩を抱かれたまま、わずかに身を離した。姿勢を戻したトニーとはそれでも目線が合わない。
「レイは、サージじゃないのと同じくらいに、あんたのエマでもないの。
……って、あたしは、あんたに言いたかったのかもしれない。自分でもそう思うのよ」
「まいったな」
男は空いた手で鼻を掻いた。ふっと、安堵とも自嘲ともつかない吐息がケイティの上を通り過ぎる。
「そうか、お見通しだよな」
「そうよ、似た者同士だもの」
二人とも、だ。心身を破壊され尽くした子どもが喜びそうなもの、無理なく受け入れられそうなもの、これから大事にしてゆけそうなもの……相談するなかで思い浮かべたのは、それぞれの喪った
だが。
「俺にも、言うやつはいたさ。けど心配いらないぜ。俺と樹里亜でしっかり伸しといたからな」
トニーは気楽なふうに片目を瞑ってみせた。
「嘘おっしゃい、『高宮少尉を泣かせたいならそう言え』くらいなこと言ったんでしょ」
無骨なウインクに彼女の肩がわざとらしく上がる。
「バカ、女子隊舎の連中と一緒にするな」
「あんたと高宮少尉が並んでるときの男子たちも、あたしたちと似たようなもんよ」
ものすごい嫉妬の目で睨んでるから、とケイティは付け加えた。基地内で屈指の人気を誇る美形士官の隣に立つとき、誰しもその洗礼は避けて通れない。
「このっ……!」
男の腕が彼女の華奢な身体を捕まえ、軽々と抱き上げた。
「あ、やだ乱暴。伸したって案外ホントかも」
「黙らないとキスするぞ」
「なに、その脅し」
ケイティはひとしきり笑い転げ、トニーと唇を合わせた。
あたし達は寂しさだけであの子にあげる服を集めたんじゃない。あの子に「いま」を作ってやりたいのは、あの子自身が自分で喜べる日を迎えられるように、だ。「妹を喪った兄」と「弟を喪った姉」でなく、トニーとあたしが愛し合っているように。
ふとトニーが、ほの白い壁を見せるメディカルセンターを振り返った。彼の腕から滑り降りたケイティも、つられるようにそちらへ目を向けた。
そこに見えている灯りのどれでもない、最奥の専用室で、小さな子どもがいまもひとりきりで闘っている。
「レイ、早く目を覚ますといいわね」
「そうだな」
「起きたら、現場を思い出したらかわいそう、なんて言わずに会ってあげなさいよ」
ケイティはトニーを振り返らずに言った。
「あン?」
「男の子でしょ、あっという間に抱き上げられなくなっちゃうわよ」
お前より重くなるのかな、あのちびっ子が。呟いたトニーに、ケイティは振り返りざまぽかりと一発食らわせた。
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