YOUR LAST SEEN 2: TYPING(REI SIDE)

@rei-0014

第1章 灯りの消えた部屋



モニターの白い光だけが、この部屋で時間がまだ流れている証だった。


天井の照明は夕方からわざと消してある。

壊れたわけじゃない。

電気代を節約したいわけでもない。

ただ、あの強すぎる光がいつも頭を締めつけるからだ。

締め切りに追い詰められているときはなおさら。


暗闇の中にいるほうが落ち着く。

ここには私と机、そして目の前の機械の光だけ。


――カチ、カチ、カチ。


ペン先がタブレットを叩く音が単調に響く。

呼吸のリズムに合わせて繰り返され、だんだん浅く重くなっていく。


二十ページ目の五番目のコマはまだ終わらない。

線がいつも数ミリ右にずれる。

手が頭の命令を聞かない。

指の筋肉が固まって、協力を拒んでいる。


キーボードに指を伸ばし、Ctrl+Z。

――Undo。

間違った線が消える。

深く息を吸い、腕を止めて、もう一度。

新しい線。

また斜め。

――Undo。


「あと少し……頼むよ」

呟いた声が部屋に溶ける。


自分の声が耳に異物のように響いた。

最後に人と直接話したのはいつだったか。

二日? 三日? それとも一週間?

六畳の借り部屋に閉じこもっていると、日付の感覚は消えていく。

すべてが疲れ果てた長いサイクルに溶けてしまう。


――ブッ。


机の隅に伏せて置いたスマホが短く震えた。

ドラフト用紙が少しずれる。

画面が一瞬だけ光り、闇を裂く。

見慣れた番号からの通知。


【編集者・斎藤さん】

「立花さん、第三章の進捗はどうですか? 最終ファイルの締め切りは明後日午前九時です。先月のように遅れないでください。編集長が厳しく見ています。」


スマホには触れない。

姿勢も変えない。

ただ目だけで文字を追い、画面が暗くなるのを待つ。

そして再び闇に溶ける。


外の世界はいつも時間通りを求める。

窓の外の街は恐ろしい速度で動いている。

彼らは秒単位で電車を追い、目的地へ歩を進める。

その騒がしいシステムに私を走らせようとする。


だが足は遅すぎる。

いや、魂が拒んでいるのかもしれない。


外へ出るたび、人の海に沈むような感覚に襲われる。

知らない声、クラクション、電車の轟音。

容赦なく耳に流れ込み、残りの力を削っていく。

だから私は退く。

鍵を閉め、灯りのない部屋に取り残される。


ペンをゆっくりホルダーに置く。

右手を開き、冷え切った手首を揉む。

鈍い痛みが肘まで広がる。

十数時間の前屈みの代償。


視線は窓ではなく、モニターの片隅へ。

小さなゲーム画面を開いたままにしてある。

背景でずっと動き続けるオンラインの街。


そこでは空がいつも澄んだ青。

都市の汚れも、出版社からの圧力もない。

穏やかなBGM、通り過ぎる足音、噴水の光。


アバターは街のスポーン地点に立ち尽くす。

初期装備のまま、ただ揺れている。

孤独そうに。

現実の私と同じように。


マウスを動かし、ゲーム画面をクリック。

フレンドリストを開く。

五人にも満たない短い名簿。

ほとんどはもう消えている。


ただ一番上の名前を除いて。


――Naoya Offline。


その文字列をしばらく見つめる。

数字も飾りもない、ただの名前。

この世界で出会った中で一番奇妙な存在。


戦略を語ることもない。

武器を尋ねることもない。

SNSを聞いてくることもない。

ただ隣を歩き、私が止まれば一緒に止まる。

線を直すために画面を切り替える私を待ってくれる。


その沈黙は空虚ではなかった。

呼吸のために用意された空間のようだった。

要求も期待もない。


名前の横のステータスは曖昧なまま。

ただ「未ログイン」と表示されるだけ。


「まだ来てないんだな……」

小さく呟く。


声は冷たい壁に吸い込まれる。

剥がれかけた椅子の背にもたれ、

チャット欄の白いカーソルを見つめる。

「いいよ」「うん」「大丈夫」――そんな一行だけが並ぶ場所。


左手で顎を支え、緑のランプが点るのを待つ。

今夜来るのかどうかもわからない。


それでも、この不確かさの中に奇妙な安らぎがある。

少なくとも、待つ場所はわかっている。

同じスポーン地点で。

老いないピクセルの空の下で。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る