5章

いない人

 『完成した』

 送信したメッセージは、既読にならなかった。

 透はスマホを見つめたまま、小さく息を吐く。

 時計は午前一時を回っていた。

 最後の一行を書き終えたあと、透はしばらく椅子から動けなかった。

 達成感というより、妙な空虚感に近かった。

 長かった。


 途中で何度も書き直した。

 消した章もある。

 全部投げたくなった夜もあった。

 でも、ようやく終わった。


 透はノートPCの画面を見る。

 完成した本文。

 スクロールバーが細い。

 その長さだけで、少し現実感が湧いた。

「……終わったんだな」


 誰に言うでもなく呟く。

 スマホを見る。

 紗奈から返信は来ていない。

 珍しいと思った。

 いつもならすぐ既読がつく。

 眠っているのかもしれない。

 そう思い、透はPCを閉じた。

 その日は、久しぶりによく眠れた。


 翌朝。

 透は教室へ入ってすぐ、窓側の席を見る。

 いない。 まあ、まだ朝だし。

 そう思って席につく。

 一時間目

 休み時間

 昼休み

 放課後


 結局、紗奈は来なかった。

 透は少し迷ったあと、帰り際にクラスメイトへ聞いた。

「なあ、紗奈って休み?」「……誰?」

「図書委員の」「図書委員、男子二人じゃなかったっけ」

 透は少し固まる。

「いや、黒髪の……」「知らん」

 あまりにも自然な返答だった。

 冗談じゃない。


 本気で知らない顔だった。

 透は曖昧に笑ってその場を離れる。

 嫌な感じがした。 喉の奥がざらつく。

 放課後、透は図書室へ向かった。

 静かな部屋。 本の匂い。

 カウンターには一年の女子生徒が座っていた。

「すみません」「はい」

「紗奈って今日……」

 そこまで言って、透は止まる。


 女子生徒は不思議そうな顔をしていた。

「誰ですか?」 透は言葉を失った。

「……いや」

「図書委員なら名簿ありますけど」

 女子生徒がファイルを開く。

 透はそれを覗き込んだ。

 名前がない。 どこにも。


 紗奈の名前だけが。

 透は背中に冷たい汗を感じた。

 そのまま図書室を出る。

 呼吸が浅い。 スマホを取り出す。

 トーク履歴を開く。

 紗奈。 検索。

 出てこない。

「……は?」


 透は立ち止まる。

 もう一度検索する。

 ない。 連絡先も。

 DMも。 通話履歴も。

 全部消えていた。

 指先が冷える。

 そんなはずない。

 昨日まで話していた。


 深夜三時。 あの一文。

 絶対消さないで。 全部覚えている。

 なのに。

 スマホには何も残っていない。

 透は急いで帰宅した。

 部屋へ入り、ノートPCを開く。


 創作フォルダ。 作品データ。

 開こうとする。

 その瞬間、画面にエラーが表示された。

『ファイルが破損しています』 透は固まる。

「……嘘だろ」 クリック。 反応しない。


 バックアップ。開けない。

 クラウド。 同期エラー。

 透の呼吸が乱れる。

「待って、待って……」


 指が震える。 もう一度開く。 ダメ。

 何も表示されない。 真っ白だった。

 透は椅子から立ち上がる。

 頭が痛い。


 耳鳴りがする。 視線の端で、スマホ画面が光った。

 通知。

 反射的に掴む。 画面を見る。

 新着メッセージはない。

 でも。

 トーク一覧の一番下。

 消えたはずの名前が、一瞬だけ表示された気がした。

『紗奈』

 透は息を止める。

 だが次の瞬間には、もう消えていた。


 代わりに画面へ映っていたのは、

 自分の青白い顔だけだった。

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