第2話 最後通牒
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倒産、という言葉には、不思議と現実感がない。
数字でなら、何度も見てきた。資金繰り表の残高がマイナスに沈む瞬間。赤字が累積していくグラフの、あの下り坂。前職では他人事として、何十社ぶんも眺めてきた。
でも、自分が立っている床が抜ける番になると、人間の脳はうまく処理できないものらしい。
「久遠くん。座って、座って」
翌朝。事務所の奥の、社長室というには狭すぎる四畳半に呼ばれた俺は、勧められたパイプ椅子に腰を下ろした。
熊野社長の机の上には、一枚の書類。スポンサー企業のロゴが、やけに立派に見える。
「単刀直入に言うね」
社長が言った。いつものへにゃっとした笑みが、今日はない。それだけで、だいたい中身は察しがついた。
「次の四半期。三ヶ月で、ゼロプロ全体の登録者を一万人。届かなかったら、スポンサー契約は打ち切り。……うちは、たぶん、もたない」
「全員、契約解除ですか」
「事務所ごと、解散だね」
俺は書類に目を落とす。条件、期限、違約金。淡々と並んだ文字を、頭の中で勝手にグラフに変換してしまう。
現在の三人合計の登録者、約二千四百。三ヶ月で一万。差分、七千六百。一日あたり、約八十四人の純増が要る。
今の純増ペースは、月十二人。
……桁が、二つ足りない。
「無理だと思うかい」
社長の声に、顔を上げた。
「正直に言えば」
「うん。久遠くんは、そう言うよね」
社長は笑った。怒るでも、すがるでもなく。ただ、困ったように。
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「私はね、久遠くん」
社長が、湯呑みを両手で包んだ。中身はとっくに冷めているだろう。
「昔、大きい事務所にいたんだ。それなりの役職でね。そこで何度か、タレントを切る側に回った」
「……」
「数字が出ない子を、契約満了で見送る。それが仕事だった。正しい判断だって、自分に言い聞かせてた。実際、正しかったんだろうね」
湯呑みの表面を、社長の親指がなぞる。
「でも、最後に挨拶に来たひとりに、言われたんだよ。『社長は、一度も私の配信、見てくれませんでしたね』って」
俺は、何も言えなかった。
「数字は見てた。毎日、君みたいに、きれいなグラフでね。でも、配信は一度も見ていなかった。……それに気づいたとき、私はこの仕事に向いてないって、わかったんだ」
だから、と社長は続けた。
「ここの子たちは、切らない。数字がどうでも。家族みたいなもんだからね」
経営者として、それがどれだけ間違っているか。俺にはグラフで説明できる。情で会社は回らない。情でタレントは食えない。正論なら、いくらでも。
でも、口には出さなかった。
この人は、たぶん、それを全部わかった上で、切らない方を選んでいる。
数字を読めないんじゃない。読んだ上で、人を取っているのだ。
――俺とは、逆の壊れ方をした人だ。
ふと、そう思った。らしくないな、とまた苦笑する。最近、こういう「らしくない」が増えている気がする。
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その夜、頭を冷やすために、俺は一人、分析画面に向かっていた。
逃避だったのかもしれない。数字を見ているときだけ、俺はまともに息ができる。
メインモニターに、もう一つの配信を開く。所属ライバー、レイ──VTuber名・Rei。配信での二つ名は、自称「白百合の死神」。
画面の中では、銀髪に赤い瞳のアバターが、黒いゴシック軍服風の衣装をはためかせていた。胸元に飾られた白百合だけが、やけに清楚で、本人の言動とは全く釣り合っていない。
『は? 今の見えてた? 見えてたよね? 壁一枚向こうの足音で抜くの、こっちは。エイム以前に耳がいいんだわ』
『おー、よしよし、一人キル。それな、そうやって芋ってればいいんだよお前は』
……口が、悪い。
深窓の令嬢が中身だとは、画面からは到底わからない。煽って、煽って、煽り倒す。けれど不思議と、嫌味に聞こえない。むしろ小気味がいい。
同接、千二百。うちでは瞬間最大をいつも叩き出すのがこの子だ。コメント欄は「死神www」「煽り芸人」「すこ」で流れていく。
『はいはい、勝ち。おつかれー。よわよわでごめんね、敵さん?』
画面の中の彼女は、楽しそうだった。
明日、この灯が消えるかもしれないなんて、何も知らずに。
俺は、マグカップの冷めたコーヒーを一口飲んだ。
……消すのか。これを。
数字が二つ足りない。それは事実だ。でも、事実と、あきらめは、イコールじゃない。
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俺はもう一度、グラフを開いた。
三人ぶんの全配信データ。流入、滞在、離脱。何百本ぶんの数字の海を、端から端まで、もう一度。
勝てる導線は、どこかにある。桁が二つ足りなくても、跳ねる場所さえ見つければ、指数は一気に立ち上がる。バズとは、そういうものだ。
そして、俺はすでに、一つだけ心当たりがあった。
昨夜、見つけたばかりの、あれ。
星宮うたの、声が震える、二番のAメロ。客が「上手い時」ではなく「震えた時」に集まる、あの一点。
あれは、まだ誰も知らない。本人すら、知らない。
――いける、かもしれない。
俺は、震える指先で、彼女の過去配信の再生数を、投稿時間ごとに並べ替え始めた。
いつか、ちゃんと伝わる関係になれたら言おうと思っていた。
その「いつか」が、ずいぶん早く来てしまったらしい。
(第二話 了)
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