第23話「弁護士の慰め」

【2日目・潤視点】


夜遅く、事務所は完全な静寂に沈んでいた。窓の外の都市の雑音だけがかすかに響き、書類をめくる音以外、何も存在しない空間だった。私はちょうど伊藤直樹に関する事件ファイルの検討を終えたところだった。二つの事件、二人の被害者、そして一人の寄生虫。パズルのように散らばっていた事実が、一つの醜悪な絵として完成しつつあった。


昨夜届いた直樹からの脅迫メッセージは、彼の幼稚で暴力的な性質をそのまま示す証拠だった。「母親を寝取ろうとしているのが趣味か?」というその低俗な表現に怒りを感じるというよりも、むしろ彼の行動パターンを分析するための良いデータが増えたとすら思えた。彼は所有欲と支配欲を愛情と勘違いし、自分の失敗を他人のせいにする典型的な人間だ。


今日の昼、長谷川恵から届いたメッセージは、少しだけ過去を思い出させた。しかし私は迷うことなく断りの返信を送った。今さら私的な感情で関わることは、彼女にとっても、この戦いにとっても有益ではない。弁護士と依頼人。この線を明確に守ることこそが、今の私にできる最大の尊重だった。彼女がどんな気持ちで連絡してきたとしても、今は感情に振り回される時ではない。


机の上で「ジン」と短く鳴った携帯が思考を遮った。発信者は西原詩彩。遅い時間に届いたメッセージの内容は予想外のものだった。


📱詩彩|「弁護士さん、遅い時間に本当にすみません。西原詩彩です。その日以来、どうしても眠れなくて…。ご迷惑なのは承知していますが、あまりにも辛くて、少し頼らせていただきたいと思ってしまいました。ご迷惑でしたら無視していただいて構いません。」


私は画面をしばらく無言で見つめた。彼女の文章には、危うい震えが感じられた。伊藤直樹という存在が残したトラウマの深さは、容易に想像できるものではない。中途半端な同情や慰めは、彼女にとって毒にしかならない。必要なのは感情的な救いではなく、この状況を乗り越えられるという現実的な確信と方法だ。


私は少し考えた後、返信を打ち始めた。感情を排し、弁護士として、そして一人の大人として伝えられる最も明確な言葉を選ぶべきだった。


📱潤|「西原さん。眠れない夜が続くということは、それだけ伊藤直樹という人間から抜け出すために戦っている証拠です。弱さを恐れないでください。その弱さを認め、助けを求めることは、弱さではなく勇気です。一人で戦っているわけではありません。この戦いが終わるまで、弁護士としてあなたの側にいます。」


メッセージを送り、私は椅子の背にもたれた。事務所の窓の外には、深く沈んだ夜の街の景色が広がっている。長谷川恵の壊れた携帯、事務所にかかってきていたが出られなかった不在着信の記録。西原詩彩の不安なメッセージ。そしてそのすべての中心にいる伊藤直樹の憎悪。


静かだった私の日常に、波紋が広がり始めていた。しかし、私は逃げるつもりはない。これは私に託された責任であり、必ず終わらせるべき戦いだからだ。


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【2日目・詩彩視点】


暗い天井へと伸ばしていた虚ろな視線が、携帯の画面が再び明るくなった瞬間、吸い込まれるように固定された。心臓が大きく沈む。返信が来た。こんなに早く?無視されるか、形式的な慰めの言葉が返ってくるものだと思っていた予想を裏切るように、彼の名前がはっきりと表示されていた。


私は乾いた唾を飲み込みながら、慎重にメッセージを開いた。指先が冷たくなっている。画面いっぱいに並んだ彼の言葉を、一つひとつ噛みしめるように読み進めていった。


📱潤|「西原さん。眠れない夜が続くということは、それだけ伊藤直樹という人間から抜け出すために戦っている証拠です。弱さを恐れないでください。その弱さを認め、助けを求めることは、弱さではなく勇気です。一人で戦っているわけではありません。この戦いが終わるまで、弁護士としてあなたの側にいます。」


一瞬、視界が滲んだ。熱いものが一気に込み上げ、頬を伝って落ちていく。涙だった。しかし伊藤直樹に裏切られたと気づいた時の、怒りと自己嫌悪の涙とは違う。凍りついていた心の一部がゆっくりと溶け出し、あふれ出した、温かい安堵の涙だった。


彼は私を「かわいそうな女」とは見なかった。眠れない苦しみを「戦っている証拠」と言ってくれた。弱くてもいい、助けを求めることは「勇気」だと教えてくれた。伊藤直樹に感情のゴミ箱のように扱われ、自分の感情をすべて押し殺して強がるしかなかった過去が、走馬灯のように蘇る。初めてだった。誰かが私の弱さをそのまま認め、否定するのではなく立ち上がらせてくれたのは。


「一人で戦っているわけではありません。」


その言葉が心臓に深く刻み込まれた。世界に完全に一人きりで放り出されたような感覚だったのに、彼は見えない手を差し伸べて私を支えてくれていた。それは同情でも憐れみでもなく、弁護士としての「責任」と、一人の人間としての「尊重」だった。その二つだけで十分だった。いや、あまりにも過分だった。


💭詩彩|「そう……これは弱さじゃない。戦っているんだ。私は今、自分の人生を取り戻すために戦っている。」


私は涙を拭い、再び携帯を握った。もう暗闇の中で震えているだけの存在ではいない。彼は私を単なる依頼人ではなく、この戦いの主体として認めてくれた。ならば私も、その信頼に応えなければならない。単なる被害者として彼の後ろに隠れるのではなく、この事件を解決する当事者として自分の役割を果たすのだ。伊藤直樹——あのクズ野郎が私から奪った真実と誠実さを、今度は自分の手で取り戻す。そしてその始まりは、彼の見えない場所で全てを暴くことだ。


固い決意と共に、私は短い返信を送った。感謝と、もう揺らがないという誓いを込めて。


📱詩彩|「弁護士さん……本当にありがとうございます。弁護士さんのおかげで大きな勇気をいただきました。もう逃げません。自分の役割を果たします。この戦い、必ず一緒に勝ちましょう。」


メッセージを送った後、不思議と眠りはもう怖くなかった。むしろ頭は澄み渡り、明日何をすべきかがはっきりと見えていた。夜はまだ深いままだったが、私の心の中には小さく、しかし消えない火が灯り始めていた。

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