第3話「婚約」

【過去・恵視点】


直樹先輩が運転する車は、見慣れた街並みを抜けて、次第に華やかな灯りに包まれた都会へと向かっていった。私が普段友達と行くような可愛らしいカフェやレストランとはまるで違う、まるで大人の世界に足を踏み入れていくような気分だった。先輩は慣れた手つきで車を走らせ、夜景が一望できる丘の上のレストランの駐車場に停めた。


💬直樹|「どう? 雰囲気いいだろ? 恵に見せたくて、わざわざ予約したんだ。」


大きなガラス窓の向こうに、きらきらと輝く街の夜景が広がっている。

こんな場所は初めてだった。何もかもが新鮮で素敵で、まるでおとぎ話のお姫様にでもなったみたいな気持ちになる。


💬恵|「わあ……先輩、すごく素敵です。どうしてこんなお店知ってるんですか?」


私の素直な感嘆に、直樹先輩は満足そうに微笑んだ。


💬直樹|「これくらいじゃないと、うちの恵には似合わないだろ。ほら、入ろう。」


彼は当然のように私の手を取って、店の中へと導いた。予約席へ案内される間も、その足取りに迷いは一切なかった。メニューを受け取って何を選べばいいのかわからず戸惑う私とは対照的に、先輩は慣れた様子でウェイターに注文した。


💬直樹|「一番おすすめのステーキと、このワインに合うパスタをお願いします。ワインは、恵が飲みやすいものを選んでもらえますか。」


彼のすべての動きに迷いがなかった。何をするか、何を食べるか、私が考える必要なんてない。全部決めてくれる。竹山くんと一緒にいる時の居心地のよさとは違う。何もかも任せても大丈夫だと思えるような安心感。私は、彼が作ってくれるこの完璧な時間の中で、ただ楽しんでいればよかった。


💭恵|『先輩と一緒にいると……私、何も気にしなくていいんだ。すごく大人だな……』


食事をしながら、先輩は自分の将来について熱く語った。今の会社はあくまで通過点。いつか自分で事業を始めて、大きく成功するつもりだと。その目は野心に輝いていて、その姿は私に限りない信頼感を与えた。私はそんな彼を、見惚れるように見つめていた。竹山くんのことなんて、もう思い出しもしなかった。告白を断った罪悪感も、直樹先輩がくれる強いときめきと、未来への甘い幻想の前では、きれいに消えていた。先輩の自信に満ちた言葉は、甘いワインみたいに私を酔わせた。彼の大きな夢も、成功への確信も、全部本当のことのように思えた。


そして、その未来の中に私が当然のようにいる――。


そのことが、たまらなく嬉しくて安心できた。この人と一緒にいれば、私の未来もきっと安定して、華やかなものになる。そんな漠然とした確信が、胸の奥に生まれていた。食事が終わりに近づいた頃。直樹先輩はワイングラスをゆっくり回しながら、まっすぐ私を見つめた。レストランの柔らかな灯りが、彼の瞳に映って揺れている。


💬直樹|「恵って、本当に優しいよな。……それに、すごく純粋だ。」


不意の言葉に、私は少し驚いて目を丸くした。


💬恵|「え……急にどうしたんですか?」


💬直樹|「世の中ってさ、恵が思ってるほど綺麗なもんじゃないんだよ。利用しようとするやつもいるし、傷つけようとするやつもいる。」


彼は少しだけ目を細めて、穏やかに続けた。


💬直樹|「でも心配しなくていい。俺がそばにいるから。誰にも恵を傷つけさせない。」


まるでドラマの主人公みたいな台詞だった。


守ってあげる――


その言葉は、選ばれたい、愛されたいと願っていた私の心をまっすぐ射抜いた。竹山くんがくれた“友達”としての安心感とは違う。“男の人”としての頼もしさと、強く求められているような感覚が、私をもっと惹きつけた。私は、寄りかかれる強い人を求めていた。そして、直樹先輩こそが、その人に見えた。


💭恵|『私を……守りたいって……?こんなに素敵な人が……私を……』


胸がいっぱいになった。彼の気持ちが本物に思えた。その瞬間。直樹先輩がテーブル越しに手を伸ばし、私の手をそっと包み込んだ。


💬直樹|「恵。――俺たち、結婚しない?」


……結婚?


あまりにも突然の言葉に、私は息を呑んだ。頭が真っ白になる。まだ付き合ってそんなに経っていないのに。こんなに早く?


だけど彼の目に、冗談の色はひとつもなかった。


💬直樹|「初めて会った時から思ってた。

この人と結婚するんだろうなって。」


彼の視線が、まっすぐ私を捉える。


💬直樹|「だらだら引き延ばすの、俺の性格じゃないんだ。

確信したら、ちゃんと進みたい。……どう? 恵。俺と結婚してくれる?」


そのまっすぐすぎるプロポーズに戸惑いながらも、胸は壊れそうなくらい高鳴っていた。迷わない。躊躇しない。思ったらまっすぐ進む。


――そんな彼の勢いこそ、私が惹かれた理由だった。


この人を逃したら、きっと後悔する。


私は彼の熱い視線を見つめ返しながら、気づけばゆっくりとうなずいていた。


人生でいちばん大切な選択が、こんなにもあっという間に決まってしまった。

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