第2話 アシハラを旅していた。
小屋というよりは天幕に近い。
けれど、十分な広さがあり、暮らしていく分には不自由はない。
揚々と中に入ったヤトヲミの目に、三つの人影が見えた。
七つ上の兄のように育った黒髪長髪の青年カミタケと、その隣に立つタチトの双子の妹タチハ。
彼女は横髪のみ胸元まで長く伸ばし、後ろ髪は肩の所で切り揃えられている。
そしてその隣で、ふわりとした黒髪を無造作に一つに束ねた、中年の男。
彼の黒髪は陽に透けると少し緑に見えた。
「ハヤトキ…!久しぶりだね!」
ヤトヲミがそう声をかけると、ハヤトキと呼ばれた男は少し笑い、頷きながら、静かに言った。
「“ハヤテ”と呼べ。…
そう言われてあっと息をついた。……彼は常々四ツ音の名前で呼ばれることを嫌っていたのだ。
「ごめん」
小さく謝ると、ハヤテは満足気に頷いて、カミタケを見た。
背後にタチトが天幕に入ってきた気配がある。
それを確認してから、カミタケが言った。
「オヲナギの手の者が近くまで来ている。……ここも時間の問題だ」
ハヤテはニヤリと笑う。
「そうか。好機だと思おう」
“好機”……彼がこの言葉を口にしたのは初めてだった。
いつも、「まだ早い」と、「逃げろ」と言うのに。
カミタケがチラリとヤトヲミを見る。
その目線を受けて、無理に微笑んだ。「大丈夫だ」と伝えるために。
ふと、カミタケの後ろに立つタチハに目線が行った。
彼女の左腕に、不器用に包帯が巻かれている。
「怪我したの?」
思わず声が出た。タチハは気まずそうにヤトヲミから目を逸らした。
カミタケの声が響く。
「流石に、今回は肝が冷えた。タチハ、反省するんだな」
「だ、だって……!村に近づこうとするから……!!」
「こちらから、居場所を知らせたようなものだ。…冷静になれぬのなら、“神の力”を軽々しく使うな」
タチハはグッと喉を鳴らすと、俯いた。
そんなタチハの様子を一度目に入れた後、カミタケがタチハの頭に手を置く。
ぐしゃぐしゃと髪を撫でると、少し柔らかく言った。
「だが、時間稼ぎにはなっただろう。
ハヤテも着いたことだ。結果、悪くないのかもしれん」
その言葉にも、タチハはどこか不服そうだった。
そこに一人の中年の男イサミが、天幕の布をあげて勢いよく入ってきた。
「カミタケ様!ひとまず、武器っぽくなりそうなもんは全部磨いておきました!」
顔に傷があり、腕にも細かな傷がある。筋肉質で大きな男だ。
けれど、長身のカミタケはその男を見下ろすほどの背丈がある。
カミタケは頷くとイサミに不敵に笑って見せた後、ハヤテを振り返った。
「準備はできている。…明日にでも」
ハヤテは頷く。
そんなハヤテを見たイサミが、鼻息荒く言った。
「ハヤテ様も来られたし、男たちの準備も十分だ!──早くこの地を取り戻してぇ!」
イサミの声に、ヤトヲミが少し目を伏せた。
それを見つけたイサミが、ヤトヲミの方へとずい、と体を寄せた。
「おい、緊張してんじゃねえぞ!
その赤髪とタケル様の血が、この集落にいるんだ!
……カミタケ様とこの国を取り戻して、ヤトヲミ様の名前をアシハラの大地に響かせてやる!────気張れよ」
がはは……と豪快に笑って、バンっと背中を叩いてからイサミは去っていった。
タチトが肩を回しながら言う。
「カミタケ様!…いよいよですね」
カミタケは不敵に笑うと頷いた。
このヤハ之国は、元々タチヤイバ神の王である、カミタケのものだ。
── 約二十年前、突如としてアシハラ大地の全土を巻き込んだ戦。
アシハラ大戦と呼ばれる大きな戦の始まりは、このヤハ之国だった。
時のヤハ之国王タチトミ…カミタケの父による、アマ之国への宣戦布告である。
この戦で名を上げたのが、人間の男──後に“英雄”と呼ばれるヤトヲミの父タケルだ。
タケルはクミモリカミの戦神タチヤイバの血を引く軍勢を押し退け、ヤハ之国を制圧し、
さらにアシハラの諸国を、アマツカミの名のもとに次々と平定していった。
敗れたクニモリカミの子孫たちはアマツカミへの忠誠を誓わされ、アシハラ大地はすべて、アマツカミの支配下に置かれることとなった。
その“傷”を思い返しながら、ヤトヲミはそっとカミタケを見つめた。
カミタケはヤトヲミの視線を受け止めると、力強い眼差しで微笑んだ。
──彼の語る父タケルの姿は、歴史とは少し違っていた。
神々の争いに戸惑いながらも、タケルは刀を取り、人々を励まし、“平和”を願って戦い続けたという。
傷ついた人々も、行き場を失った神々も、タケルは自らの軍に迎え入れ、──守った。
国と父を同時に失い、わずか五歳で孤児となったカミタケは、タチヒメ──後のタチトとタチハの母とともにタケルに保護され、穏やかな日々を過ごしたのだと。
そして、風の神を祖に持つハヤテ…ハヤトキは、そんなタケルを支え、
彼が“穢れた血”として処刑された後も、タケルの生きた証を唄い、アシハラを旅していた。
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