第11話 咀嚼とスープの温度

 五日目、僕は彼女がほとんどまともな食事を摂っていないことが、どうしようもなく気になり始めていた。


 台所のゴミ箱には、僕が買ってきたゼリー飲料の空切れがいくつか丸めて捨てられているだけだった。冷蔵庫を開けても、僕が詰めたパックの豆腐やスープの缶詰が、手をつけられないまま冷たい冷気の中に並んでいた。


「フタバさん、ちゃんと食べていますか」


 僕はソファの傍らに立ち、横たわる彼女に尋ねた。


「あんまり、食欲が沸かなくて」


「食べないと、骨のくっつきも遅くなりますよ。何か、喉を通りやすいものを今から作りますから、少しだけでも口にしてください」


「食べなければいけないのは、自分でも分かっているんだけど」


 フタバは、ゆっくりと上体を起こし、包帯の端を指の腹でそっと触った。


「口を……大きく開けようとすると、顎の縫ったところが引き裂かれるみたいに痛むの。奥歯を噛み合わせようとすると、頬の骨の奥が、小さなナイフで削られているみたいな音が頭の中で響いて。それで、食べることそのものが、すごく億劫になってしまう」


 顔面の骨折を伴う咀嚼が、どれほどの苦痛を伴うものか、僕には想像することしかできなかった。けれど、彼女が食べるという本能的な行為に対してすら恐怖を抱いているという事実は、僕の胸を締め付けた。


 僕は台所に立ち、市販のクラムチャウダーの缶詰を開け、小鍋でゆっくりと温めた。焦げ付かないように、木べらで静かに底をかき混ぜる。パチパチという小さな気泡の音が、静まり返った部屋の中に優しく響いた。


 出来上がったスープを小ぶりのマグカップに注ぎ、彼女の前に差し出した。


「これなら、噛まなくても飲めます。温かいうちに、少しずつすすってみてください」


 フタバは両手でカップを包み込むようにして持った。その細い指先が、スープの熱を吸い上げるようにして微かに赤みを帯びていく。

彼女はスプーンを使わず、マグカップの縁に直接、薄い唇を寄せた。顎の傷に触れないよう、極めて慎重に、ほんの僅かな量を口の中に滑り込ませる。


 ごくり、と彼女の喉が小さく鳴った。


 その、かすかな咀嚼と嚥下の音が、僕の耳には、都市のどんな呼吸よりも切実な「生」の記録のように聞こえた。


「……あたたかい」


 彼女はそれだけを言い、再びカップを見つめた。スープから立ち上る白い湯気が、彼女の左側の瞳をかすかに潤ませ、そして空気の中に消えていった。彼女が数口のスープを飲み終えるのを見届けるまで、僕は台所の柱に背を預けたまま、息を詰めるようにしてその光景を見守っていた。僕たちの間には、スープが放つ微かな潮の香りと、規則的な湯気の揺らめきだけが、唯一の会話として存在していた。

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