第10話 薬の目盛り、フードの影
四日目の夜、外は朝からの冷たい雨がようやく上がり、路面が街灯の光を浴びて黒く濡れ光っていた。
フタバが、ソファから窓の外を見つめたまま、ぽつりと言った。
「……外に、出たいわ」
「まだ、無理じゃないですか」
僕は、彼女のひびの入った肋骨のことを思い出し、反射的に止めるような声を上げた。
「お医者さんも、一週間は安静にしているようにと言っていましたよ」
「少しだけ。アパートの周りを、ぐるっと一周するだけでいいの。部屋の中にずっといると、自分の呼吸の音が、前よりも大きく聞こえすぎて……なんだか、苦しいから」
彼女のその、静かだが拒絶を許さないトーンに圧され、僕は仕方なく付き合うことにした。
フタバは、丈の長い厚手のウールコートを羽織ると、そのフードを深く、顔の半分が完全に見えなくなるまで被った。白い包帯で覆われた右側の顔を、世界の視線から隠すための身振りだった。
外の空気は、雨上がり特有の、湿った寒気を含んでいた。
僕たちは並んで、アスファルトの上をゆっくりと歩いた。彼女の歩幅はいつもよりずっと小さく、革のショートブーツが地面を叩く音も、どこか湿り気を帯びていた。僕は彼女の右側に立ち、万が一にも通りすがりの人間が彼女の右半身に接触しないよう、細心の注意を払いながら影のように寄り添った。
「薬が、足りなくなりそう」
フードの奥から、フタバの声が漏れ聞こえてきた。その声は、夜の湿気の中にすぐに溶けてしまいそうなほど微かだった。
「処方された分が、ですか?」
「うん。お医者さんは、痛むときだけ飲むようにって言っていたけれど、痛まない時間なんて一瞬もないから。言われた通りの時間を待てずに、つい、次の錠剤を口に含んでしまうの。だから、まだこんなに痛みが残っているのに、シートのアルミが全部、空っぽになりそうで」
「明日、僕が仕事の合間にでも病院へ行って、追加で出してもらえないか聞いてきます。診察券を預かってもいいですか」
「……正直、病院のあの、白い廊下をもう一度歩ける自信がないの」
彼女は足を止め、街灯の柱に寄りかかるようにして視線を落とした。
「あそこに行くと、自分が『壊れたもの』として扱われているのが、すごくはっきりと分かってしまうから。お医者さんの視線も、看護師さんの手の感触も、全部、私をただの『損傷した肉体』として処理しようとしているみたいで、それが、録音機にノイズが入ったときみたいに、頭の奥でずっと嫌な音がするの」
「一緒に行きます」
僕は彼女の震える肩に手を触れようとして、寸前で思いとどまり、その手をポケットへと戻した。
「いつでも、僕が隣にいますから。フタバさんが一人で傷つく必要なんて、どこにもないんです」
フタバは、フードの奥で小さく頷いたようだった。けれど、それ以上の言葉を僕に手渡してくれることはなかった。僕たちはただ、アパートの周りの暗いブロックを、何の意味もない儀式のようにゆっくりと一周し、再び沈黙の満ちる部屋へと戻っていった。
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