第4話 査定者
翌朝、ガロウが書庫に運び込んだのは、二通の封書だった。一通は第一局のリリア調査報告、もう一通は本部・経理部の人事評価記録。クロイスは押収品の山から手控えのメモを引き寄せたまま、二通を机の左端に並べた。封の角度を、左端から右へ順に押さえる。独房棟出入り業者の照合結果は、まだ来ない。
リリアの報告から開く。
王都郊外の小屋、ヘイバー街二十七番地。三ヶ月前から無人だった。隣家の証言では、副支部長家からの送金は届くが、本人は引き払って久しいという。送金はリリア宛の名義で続いているが、受け取っているのは別の人物だった。受取人欄の印章は、王都商業ギルドの預り口座のもの。預り口座の登録者氏名は、空欄になっている。
金は別の場所へ流れていた。義妹は、もうそこにいない。
クロイスは独白を一行だけ走り書きにする。
「ヘイバー街、三ヶ月前」
ペンを置いた。
二通目を取る。本部・経理部の人事評価記録だ。
会計事務官二等、ヴェロン・カスパル、三十八歳。勤続十二年、配属歴は経理部一筋。経歴に外傷の記録はない。月の十三日と二十七日にだけ出勤し、業務報告会議には一度も出ていない。代行記録もない。架空業務の可能性が高い人物だ。
評価の項目は概ね並みだが、勤怠の欄だけが異様に高得点だった。出勤日数が極端に少ないにもかかわらず、勤怠評価は満点に近い。書類上の整合性で勤怠を判断する規定があるとはいえ、ここまで均整が取れているのは、外部から人事をコントロールしている者がいる証拠だ。
ここまでは、昨日の絞り込みで読めていた。
問題は査定者の欄だった。
本部・経理部内の上司ではない。経理部長でもない。部長代理でもない。外部組織からの指名で、その組織名は——王立宮内省・庶務部。
クロイスは指示書の一行目に、新しい見出しを書き加える。
〈王立宮内省・庶務部〉
脱税の中継役を、王家の私的事務組織が査定している。会計上は外部監査の形だが、実質的には人事権そのものが移っている。本部・経理部の中で、ヴェロン・カスパル一人だけが、王家の手のひらの上にいた。
王家の私的会計と、脱税中継役の査定。
この二つが同じ部署に置かれているのは、偶然ではない。
ペン先がインクに沈み、上がる。
◇
夕方、もう一冊、別の押収帳簿を開く。副支部長個人の家計簿の、巻末に近い頁。事件の主筋とは関係のない、雑記の束だった。買い物の覚書、家族の誕生日、子供の身長の記録。その中に、ひとつだけ異質な行がある。
「ご署名いただいた件、感謝」
短い一文。下に、急ぎ書きの筆跡で名前が書かれている。
エレオノーラ・ヴェル・ヴァルハイム。
クロイスはその一行を、二度読み返した。
筆跡は急いでいる。本人の正式な署名ではないかもしれない。だが、王立学院図書館の蔵書印に押されている署名と、母音の流し方が同じだった。第二局の閲覧権限内に、蔵書印の照合資料がある。必要なら、第一局の魔導士に解呪を依頼して、より厳密な照合もできる。
王女エレオノーラ・ヴェル・ヴァルハイム。
冒険者ギルド・ヴァルハイム支部の脱税犯の家計簿に、王女の私的署名らしき字が、何の文脈もなく挟まっている。
脱税中継役の査定者は王家の私的会計部署。脱税本人の家計簿の中には王女の署名。
二本の線が、王家筋に伸びている。
クロイスは独白する。
「なぜ、ここに」
局長宛の追加上申書を書く。三行だけ。
押収帳簿に王家筋の私的署名らしき記載あり。本部・経理部の脱税中継役の査定者は王立宮内省・庶務部。両者の接続を確認する権限の付与を要請する。
書き終えて、ペンを置いた。書庫の壁の冷え方が一段落ちている。夕方が、夜に変わる手前だ。
扉が叩かれた。
「ライサです」
クロイスは顔を上げない。
「#03、入っていい」
ライサは単独で入ってくる。手には何もない。報告のためではなく、話のために来たことが、それで分かった。
「リリアは、生きてないと思うか」
短い問いだった。クロイスはペンの先をインク壺の縁で軽く拭いてから、答える。
「副支部長は几帳面な人間です。殺した相手の送金を続ける馬鹿ではない」
「じゃあ誰が」
「金が動く先を、もう一度全部読み直す必要があります」
ライサは机に近づき、リリアの調査報告を覗き込む。受取人の印章、預り口座、空欄の登録者氏名。
「商業ギルドの預り口座。登録者なしで運用されてる口座は、王都に十か所もない」
「十か所より少ないでしょう。本店規模で運用できるのは、たぶん三か所」
「あんた、その三か所も読んでんのか」
「明日の指示書に書きます」
ライサは机の左端を見た。新しい指示書の一行目に、〈王立宮内省・庶務部〉。
「あんた、まさか宮内省にまで踏み込む気か」
「指示書通り、ご確認をお願いします」
「……あんた、自分が誰に喧嘩を売ってるか、分かってんのか」
「数字が示す先に、進むだけです」
ライサは小さく息を吐いた。それから、扉に向かう途中で振り返り、低く言う。
「気をつけろよ、あんた」
扉が閉まる。
書庫の中で、ペンが紙を擦る音だけが、再び続きはじめた。
◇
数十秒後、扉がもう一度叩かれた。
ライサとは違う。低く、硬い、男の声だった。
「失礼する。ハーグレイヴ局長の取り次ぎだ。王立宮内省・庶務長官閣下のご使者がお見えになっている」
クロイスは、初めて顔を上げた。
扉が開く。
黒い式服、胸に銀色の紋章。王立宮内省の使者だった。年齢は三十前後、姿勢のいい男だ。
「クロイス・キリュー殿。閣下より、口頭でお伝えする」
使者の声は、抑揚をきれいに均してあった。
「明朝、宮内省庶務局に出頭されたし。装身具は不要。指示書、押収帳簿、いずれも持参するな」
クロイスは、ペンを机に置いた。
「承知しました」
「結構。失礼する」
使者は一礼して退出した。書庫の扉が閉まる音が、低く尾を引く。
クロイスは机の上の押収帳簿に視線を戻した。
「持参するな、と言われた」
書きかけの指示書の一行目を、クロイスはインクで黒く塗りつぶした。〈王立宮内省・庶務部〉の文字が、書庫の燭台の灯りの下で、ゆっくりと黒く沈んでいく。書類を奪われに、明朝、書類を持たずに行く。それが向こうの指定する戦い方だった。
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