おねえさんと鈴木くん、やっちゃう

「えっ……ちょっ」


驚く暇もなかった。彼女は毛布に包まっていた俺の腕の中に、まるで温かい場所を探す子猫のように丸くなって入り込んできたのだ。


「……ん、あったか……」


俺の胸元に顔を埋め、山葉さんは安心したようなため息を漏らした。


同時に、大きすぎるTシャツの下から伸びる素足が、俺の足にぬるりと絡みついてくる。ひんやりとした滑らかな肌の感触が、薄手のスウェット越しにでもはっきりと伝わってきた。


それだけではない。俺の胸元に押し付けられた彼女の体からは、華奢な骨格とは裏腹な、驚くほど豊かで柔らかな質量が、ダイレクトに伝わってきていた。

俺は全身を硬直させ、完全に息を止めた。


近い。あまりにも近すぎる。


抱き着いてきた彼女の腕が、俺の背中に回されている。Tシャツの襟元から零れ落ちた肌の匂いが、逃げ場のないほど至近距離で俺を包み込んでいる。


「……んぅ」


微かな甘い呻き声とともに、俺の背中に回された彼女の指先が、スウェットの布地をきゅっと弱く握りしめた。まるで逃がさないようにホールドするような、それでいてただ寝ぼけて何かにすがっているだけのような、絶妙な力加減。


さらに、俺の首筋にすり寄せられた彼女の頬が、ゆっくりと上下に擦り付けられる。

時折、甘く熟れたような吐息が、ぞくっとするほど意図的なタイミングで耳元に吹きかけられ、下半身に絡みついた滑らかな素足が、わずかに際どい位置へと擦り上がってくる。


これは、どういう状況だ?


酔って完全に寝ぼけていて、俺を大きな抱き枕か何かと勘違いしているのか。それとも、俺の動揺をわかっていて、わざと弄んでいるのか。――あるいは、このまま俺が『男』として一線を越えてくるのを、暗に誘ってすらいるのか。


 ドクン、ドクンと、自分の心臓の音が破裂しそうなほどにうるさい。

 理性が、今すぐ彼女を引き剥がしてベッドに戻せと警鐘を鳴らしている。


 だが、大量のアルコールに浸かった俺の脳は、すでに正常な判断を手放そうとしていた。


首筋に吹きかけられる甘い吐息。スウェット越しに擦り付けられる滑らかな太もも。俺の胸元に押し当てられた、柔らかな双丘の圧倒的な質量。

それらが理性のストッパーを次々と焼き切っていく。


気がつけば、俺は宙に浮かせていた両腕をゆっくりと下ろし、彼女の細い背中へと回していた。


 薄いTシャツ越しに、華奢な肩甲骨のラインと、ブラジャーのホックの僅かな起伏が手のひらにダイレクトに伝わってくる。


「……んっ」


 俺が背中を抱きしめるように腕に力を込めると、山葉さんは嫌がるどころか、身をよじるようにしてさらに自分の体を俺へと密着させてきた。


大きすぎるTシャツの襟元がはだけて、暗闇の中でも白く発光するような肩が露わになる。


 やばい。


酔いに任せてこのまま体を反転させ、彼女を床のマットに組み敷いてしまえば。この無防備な塊を、俺のものにしてしまうことが、できてしまうかもしれない。


どこに眠っていたのかもわからない飢餓感と、彼女の放つ強烈ななにか、これがフェロモンってやつなのか? が、俺を暗くて熱い欲求の底へと引きずり込もうとする。


俺は背中に回した手をゆっくりと下へ滑らせ、その細いくびれを引き寄せるように抱きしめた。俺の顔が、彼女のうなじへと近づいていく。甘い香水とシャンプーの匂い。その奥にある、ミルクを思わせるすべらかな肌の匂い。


唇が、彼女の滑らかな首筋に触れるか触れないかの距離まで近づく。


「……すぅ、すぅ……」


俺の胸の奥深くから、規則正しい彼女の寝息が聞こえた。

 ハッとして動きを止める。


ドクン、ドクンと早鐘を打っていた俺の心音とは違う、とても穏やかで、静かなリズム。完全に安心しきって、無防備に眠りに落ちている子どものような寝息だった。


それを聞いているうちに、俺の頭の中に、昼間の大学で見かけた彼女の姿がふとよぎった。


 山葉さんに女神を見る多くの人たち、それに向けられていた彼女の完璧な笑顔。ショートパンツのポケットで鳴り止まなかった、あの無機質な震動音。


外の世界で、彼女はどれだけ無理をして、あの重たい仮面を被っているのだろう。

この部屋は彼女が唯一その重い鎧を脱ぎ捨てられる『シェルター』なのかもしれない。


 もし今、俺が酔いと欲求に任せて一線を越えてしまえば、俺も山葉さんを消費する有象無象の一人になってしまうのではないだろうか。彼女からこの避難所を奪い、このバグった心地よい距離感を永遠に壊してしまうのではないか。


それは、嫌だ。


性欲なんかでこの人を消費したくない。傷つけたくない。


それにそもそも山葉さんは酔ってる。そういう時にそういうことをするのは良くないと思う。


俺のヘタレな本性と、意地なのか、見栄なのか、それとももっと純粋ななにかなのか、とにかく得体の知れない強い想いが、ギリギリのところで俺の首の筋肉を硬直させた。




 俺は深く、長く息を吐き出し、彼女のうなじから顔を遠ざけた。




 腰に回していた手のひらの熱をそっと抜き、代わりに、怯える子どもをあやすように、優しく彼女の背中を一定のリズムでトントンと叩く。




 張り詰めていた緊張や、男としての熱い何かが、山葉さんの吐息を聞くたびにスッと抜けていく気がした。


でも、それを察したかのように、声がした。


「……すずきくん」


 耳元で、ひどく小さな、掠れた声。


 長い睫毛の奥、暗がりに慣れた俺の視界の中で、山葉さんがゆっくりと目を開く。


 とろんと潤んだタレ目の三白眼。そこには寝ぼけた気配なんて微塵もなくて、微熱のような、どこか切実な光が静かに灯っていた。


「かっこつけすぎ」


 彼女はくすりと、ごく密着した状態でしか聞こえない声音で、悪戯っぽく笑った。


 だけど、俺の背中に回された彼女の細い腕には、さっきよりもずっと強い力が込められていた。


「鈴木くんとじゃないと……こんなふうに酔ったりしないし」


耳たぶに彼女の唇がかすめる。濡れたような、熱い吐息。


「しよ」


 蜜のように染み込むその言葉に、俺はもう、考えるのはやめた。


 フランス文学やジャズ、いろいろな要素が俺の頭をよぎって、混ざり合って、山葉さんと過ごした時間が洪水のように胸の中に流れていく。


同時に発生した剥き出しの衝動が、そのまま彼女をマットへと組み敷いていた。


「んっ……」


重ねた唇から、小さく甘い吐息が漏れる。



 大きすぎる黒Tシャツの隙間から覗く、彼女の華奢な肩。そこに触れた俺の指先は、不器用極まりないくらいに震えていたけれど、山葉さんは優しく目を閉じ、その震えごと俺のすべてを受け入れるように、深く、深く身体を委ねてくれた。


 大きすぎる黒Tシャツの襟元がはだけて、暗闇の中でも白く発光するような彼女の肌が露わになる。


 俺の指先が、彼女の細いくびれから、薄いバンドTシャツの裾へと滑り込んだ。スッと滑り上がらせた手のひらに、彼女のなめらかな脇腹と、華奢な背中の起伏がダイレクトに伝わってくる。その驚くほどの肌の柔らかさと、指先を狂わせるような熱。


 俺が震える手つきでTシャツをさらに押し上げると、山葉さんは自ら身をよじるようにして、衣服を脱ぎ捨てるのを手伝ってくれた。


 お団子にまとまっていた彼女の髪がハラリとほどけ、暗いマットの上に散らばった。アッシュの髪の隙間から、鮮やかなブルーのインナーカラーが、窓からの薄青い街灯の光を浴びて艶めかしくきらめいている。


 彼女の左耳の軟骨を貫く、あの無骨なシルバーのインダストリアルピアスが、俺の頬にカチリと冷たく触れた。けれどその冷たささえも、二人の重なり合う沸騰しそうな熱に、瞬く間に溶かされて温くなっていく。


 深夜の換気扇の回るゴーゴーという音が、急に遠くのホワイトノイズのように退いていく。


 目の前にあるのは、月光に照らされた、驚くほど美しくて華奢な、それでいて眩しいほどに女性らしい柔らかな起伏。


 

「……すずきくん、」


 耳元で、湿り気を帯びた彼女の掠れ声が、俺の名前を呼ぶ


窓の外から差し込む薄青い街灯の光が、くしゃくしゃになった毛布と、静かに重なり合う二人のシルエットを淡く浮かび上がらせる。


鼻腔を満たす、ミルクチョコレートのような、果物のような、甘くて瑞々しい匂い。肌と肌が擦れ合う生温かい熱。


耳元で、せつなげに、でもどこか嬉しそうに弾ける彼女の呼吸を聴きながら、俺はただ無我夢中で、世界のどこにもない二人だけの密室の時間を、溺れるようにしてむさぼった。


山葉さんも初めてなのは、すこし意外だった。


いや、よく考えてみると、全然意外じゃないな。


なんてことを、ちょっとだけ思った。

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