第11話「床上操作式クレーン」

 冒険者ギルドを出たあとも、ハルトの頭の中には先ほどの表示がはっきりと残っていた。


 Citizen Cardの裏面に書かれている内容――大型自動車、フォークリフト、床上操作式クレーン、玉掛け、スタッカークレーン、電気基礎講座修了証、英検2級。


 それらはすべて、日本にいた時に身につけた技能であり、本来であれば“仕事のための資格”に過ぎないはずのものだった。


 だが、この世界ではそれが魔法適正として扱われている。


 その事実を受け入れた瞬間、今まで当たり前だと思っていた感覚が、少しずつ形を変え始めていた。




 中でもはっきりしているのは、床上操作式クレーンだ。


 あのとき、離れた場所からテーブルを浮かせた感覚は、偶然ではなく再現できる力だと確信できるほど、記憶として鮮明に残っている。


 だからこそ、確かめる必要があった。


 どこまで動かせるのか。


 どうすれば安定するのか。


 そして、何ができて何ができないのか。




 考えながら歩く足は自然と速くなり、気付けば借家の前に立っていた。


 扉を開けて中に入ると、大分見慣れてきた部屋が、今はまったく違う意味を持つ空間に見える。


 ここなら、好きなだけ試せる。




 ハルトは一度だけ周囲を見渡し、まずは対象を決める。


 部屋の隅に置かれているベッド。


 大きさも重さも分かりやすく、動かしても問題のない対象だ。




 ハルトはゆっくりと息を整え、意識を集中させる。




 持ち上げる。




 そう考えた瞬間、ベッドの脚がわずかに軋み、ゆっくりと床から浮き上がる。


 冒険者ギルドで試した時と同じ感覚だが、今度は驚きはない。


 そのまま意識を保ち続けると、浮いた状態を維持できていることが分かる。




 さらに、少しだけ横へ動かすイメージを重ねる。


 ベッドはぎこちなく、だが確実に位置をずらす。


 ハルトはその動きを見ながら、静かに息を吐く。




 やっぱり、できる。




 それは単なる再現ではなく、操作できる力として成立していた。


 ハルトはベッドを元の位置へ戻しながら、もう一度だけ意識を集中させる。


 今度は、どこまで細かく動かせるのかを確かめるために。




 ベッドを元の位置に戻したあとも、ハルトはその場に立ったまま、もう一度意識を集中させる。


 さきほどの動きは偶然ではなく、明確に「操作」として成立していたが、どこまで思い通りに扱えるのかはまだ分かっていない。




 今度は、ただ持ち上げるのではなく、より細かい動きを試すことにする。


 ゆっくりと浮かせ、わずかに右へ、そして少しだけ手前へと寄せる。




 ベッドは最初こそぎこちなかったものの、意識の向け方を変えると動きが安定し、滑らかに位置を調整できるようになる。


 力を強く意識すれば速く動き、弱めればゆっくりと止まる。


 その反応の違いが、はっきりと体感として返ってくる。




 ハルトはそのまま数回同じ動作を繰り返し、持ち上げる高さや移動の距離を少しずつ変えながら試していく。




 やがて、ある程度思った通りに動かせるようになったところで、一度力を抜く。


 ベッドは静かに床へと戻り、小さく音を立てて止まる。




 ハルトは軽く息を吐き、次の対象へ視線を移す。


 テーブルと椅子。




 どちらも大きさは違うが、同じように動かせるかを確かめるにはちょうどいい。


 まずはテーブルに意識を向けると、先ほどと同じように浮き上がる。


 ベッドよりも軽い分、動きは素直で、少ない力でも十分に操作できることが分かる。




 そのまま位置をずらし、回転させるように角度を変えてみると、わずかに遅れはあるものの、意識した通りに動く。




 ハルトはその挙動を見ながら、無意識にうなずく。


 ……これは、慣れればかなり使える。




 次に椅子にも同じように試してみると、こちらはさらに軽いため、ほとんど抵抗なく持ち上がり、細かい調整もしやすい。


 対象の重さによって必要な力の強さが変わるが、基本の操作感は共通している。




 ハルトはテーブルと椅子を元の位置に戻しながら、頭の中で整理する。


 このスキルは「物を持ち上げて動かす」ことに特化している。


 そして対象の大きさや重さによって難易度は変わるが、やり方自体は変わらない。


 つまり、扱い方を覚えれば、応用はいくらでも効くということになる。




 ハルトはもう一度だけ周囲を見渡し、次に試すべきことを考えていた。


 ここまでで、単体の物体を持ち上げて動かすことは問題なくできると分かったが、それだけではこの力の限界は見えてこない。


 応用の幅を確かめるためには、もう一段踏み込んだ試行が必要だった。




 視線を再度テーブルと椅子に向ける。


 今度は、同時に動かせるかどうか。




 ハルトは二つの対象を意識の中に並べ、それぞれを持ち上げるイメージを重ねる。


 最初はテーブルだけが浮き上がり、その動きに引きずられるように椅子への意識が途切れる。


 慌てて椅子に意識を向け直すと、今度はテーブルが不安定になり、わずかに揺れて床に戻りかける。


 そのまま両方を維持しようとするも、どちらもその状態で止まり、次の瞬間には力が抜けたようにテーブルは床へ落ちた。




 ハルトは眉を寄せ、もう一度同じことを試す。


 が、結果は変わらない。


 どちらか一方に意識を集中すれば動かせるが、二つを同時に扱おうとした瞬間に制御が崩れる。




 何度か繰り返すうちに、その原因がはっきりしてくる。


 これは単純に、扱える対象が一つに限られている。




 意識の分散ができないというよりも、そもそも同時操作という前提が存在しない構造なのだと理解できる。


 ハルトは小さく息を吐き、次に考えを進める。




 では、自分自身はどうか。


 物体を動かせるのであれば、その対象に自分を含めることができるのかどうか。




 ハルトは立ったまま、足元に意識を向ける。


 持ち上げる。


 そう強くイメージするが、何も起こらない。




 もう一度、よりはっきりと意識を集中させる。


 だが、やはり反応はない。




 床の感触は変わらず、体はその場に固定されたままだ。


 試しに腕や手先に意識を向けても、同じ結果になる。




 つまり、このスキルは「自分以外の物体」にしか作用しない。


 ハルトは視線を落とし、静かに考える。


 動かせるのは一つ。対象は自分以外。




 制約ははっきりしているが、その分だけ使い方も見えてくる。


 何ができて、何ができないのか。


 その境界が、少しずつ形になり始めていた。




 一通りの検証を終えたあと、ハルトはゆっくりと息を吐き、部屋の中を見渡した。


 ベッドもテーブルも椅子も、元の位置へ戻してあるはずなのに、さっきまでとは違って見えるのは、それらがただの家具ではなく「動かせる対象」として認識され始めているからかもしれない。




 実際に手を使わずに物を動かすという感覚は、最初こそ違和感があったものの、繰り返すうちに少しずつ馴染んできている。


 意識の向け方ひとつで動きが変わるという点も含めて、この力は筋力とはまったく別の体系で成り立っていると分かる。




 そして何より大きいのは、制約がはっきりしていることだった。




 一度に扱える対象は一つだけであり、自分自身には作用しない。


 どれだけ意識を集中させても、その範囲を超えることはできなかった。


 だがその代わりに、対象を定めたときの反応は確実で、慣れれば精度も上がる。




 つまり、これは「万能ではないが、扱える力」だ。


 ハルトはゆっくりと腰を下ろし、腕を組みながら考える。




 キャラバンでの仕事を思い返せば、この能力は単純な力仕事の補助にとどまらず、積み込みや荷降ろしの効率を大きく変える可能性がある。


 重い荷を持ち上げるだけでなく、離れた場所へ正確に運べるのであれば、作業のやり方そのものが変わるはずだ。


 それだけでも十分に価値はある。


 だが同時に、それだけでは終わらないという感覚もある。




 床上操作式クレーン以外のスキル――玉掛けやスタッカークレーン――については、まだ何も試せていない。


 それらがどう作用するのかが分かれば、この能力の全体像も変わってくる可能性がある。




 ハルトは視線を少しだけ上げ、天井を見つめる。


 できることは増えた。


 だが、それは同時に「まだ分からないことが多い」という事実をはっきりさせる結果にもなっている。


 それでも、不思議と不安はなかった。


 試せば分かる。


 そう思えるだけの手応えが、今は確かにある。




 ハルトはもう一度だけ手を伸ばし、椅子に意識を向ける。


 椅子は静かに浮き上がり、少しだけ位置を変えてから、ゆっくりと床に戻る。


 その動きを確認してから、ハルトは小さくうなずく。




 まだ、使い切れていない。


 だが、使えるようにはなってきている。




───




 部屋の中で一通りの検証を終えたあと、ハルトは次に何を試すべきかを考えながら、ゆっくりと視線を巡らせる。


 自分自身には作用しないという結果はすでに出ているが、それが「自分だから」なのか、それとも「生き物だから」なのかまでは、まだ切り分けができていない。


 その違いを確かめるには、外に出るのが一番早い。




 そう判断したハルトは、軽く身支度を整えると、そのまま通りへ出る。


 街はすでに人の流れができており、荷を運ぶ者や買い物へ向かう者が自然と行き交っている。


 その中に紛れながら、ハルトは意識を集中させ、近くを通る人間へと静かに対象を定める。




 持ち上げる。


 そのイメージを重ねても、何の反応も返ってこない。




 距離を変え、対象を変え、何度か同じことを試してみるが、結果はまったく同じだった。


 人間には作用しないという結論は、ほぼ間違いないと判断できる。




 では、他の生き物はどうか。




 ちょうど視界の端を横切った猫に意識を向け、同じように力を重ねてみるが、こちらも何も起こらない。


 猫は一度だけ耳を動かしたものの、そのまま何事もなかったかのように歩き去っていく。


 どうやら、この力は生き物全般に対して作用しないらしい。




 その事実を頭の中で整理しながら歩いていると、不意に焼き立ての匂いが鼻をかすめる。


 視線を向けると、小さな屋台でミートパイが並べられており、表面がこんがりと焼けたそれが次々に手渡されているのが見える。




 ちょうど腹も減っていた。


 ハルトはそのまま足を止め、一つ注文する。




「5リンだ」




 短い返答を聞きながら硬貨を渡すと、包み紙に包まれたパイが手渡される。


 やはりこの街でも、こうした屋台の食べ物は基本的に5リンで統一されているらしい。




 歩きながら包みを開き、一口かじると、ラム肉特有の香りと脂の旨味が口の中に広がる。


 素朴だがしっかりした味で、昼食としては十分すぎる内容だった。




 食べ進めながら、ハルトはふと別のことを思いつく。


 食べ物はどうなるのか。




 手の中にあるパイへ意識を向け、いつもの感覚を重ねてみるが、まったく反応がない。


 位置も形も変わらず、ただ手で持っている状態のまま留まっている。




 生き物には効かないというのは理解できるが、食べ物まで含まれるのか。


 その境界が、まだはっきりしない。




 食べ終えたあと、ハルトは包み紙を丸め、何気なく通りの端へと放る。


 するとすぐに後ろから声が飛んできた。




「こら、ポイ捨てはいかんぞ」




 振り返ると、年配の男がこちらを見ている。


 しまったと思いながらも、ハルトはとっさに包み紙へ意識を向け、クレーンの力で回収しようとする。


 しかし、丸められた紙はぴくりとも動かず、そのまま風にあおられてコロコロと転がっていく。




 さっきまで動かせていたはずの"物体"が、なぜ動かない。


 違和感を覚えながらも、ハルトは慌てて追いかけ、手で拾い上げる。


 魔力切れかとも考えたが、体に変化はないし、疲労のようなものも感じない。




 納得がいかないまま、ハルトは足早に借家へ戻る。


 扉を閉めると同時に、すぐにテーブルへ意識を向ける。




 持ち上げる。


 そのイメージに応じて、テーブルは問題なく浮き上がり、わずかに位置をずらしたあと、ゆっくりと元に戻る。




 さっきと同じだ。


 いや、それ以上に安定している。


 ハルトはその場に立ったまま、しばらく動かずに考え込む。




 なぜゴミは動かなくて、テーブルは動くのか。


 同じ物体のはずなのに、結果が違う。




 この力には単純な可否ではなく、何らかの条件がある。


 その境界がどこにあるのか。




 ハルトは静かに息を吐きながら、まだ見えていない仕組みを頭の中で探り始めていた。

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