第2話人生敗北者同盟
海は、思ったより暗かった。
街の光が届かない防波堤。
遠くで波が砕ける音だけが響いている。
「寒っ……」
思わず肩を縮める。
五月とはいえ、深夜の海風は普通に冷たい。
一方で、澪は平然としていた。
黒いパーカーのフードを被り、防波堤の上に座っている。
「藤崎くん、体力なさそう」
「社会人辞めるとHP削られるんですよ」
「メンタル系の毒ダメージ?」
「常時入ってました」
澪は小さく笑った。
その笑い方は静かで、夜に溶けるみたいだった。
俺は缶チューハイを開ける。
炭酸の音がやけに大きく聞こえた。
「海とか久しぶりです」
「私も」
「よく来るんじゃないんですか?」
「そんなキラキラした人間に見える?」
「見えません」
「即答なんだ」
「お互い様です」
澪は「確かに」と呟きながら、膝を抱えた。
少し沈黙が流れる。
でも、不思議と気まずくなかった。
知らない相手だから、逆に楽なのかもしれない。
会社の人間みたいに気を遣わなくていい。
友達みたいに期待されない。
ただ、“終わってる者同士”として座っているだけ。
波の音を聞きながら、澪が聞いた。
「なんで仕事辞めたの?」
俺は少し迷った。
でも、隠すのも面倒だった。
「向いてなかったんですよ、営業」
「どんな感じだった?」
「毎日怒鳴られてました」
「うわ」
「ミスすると詰められて、数字取れないと人格否定されて」
「テンプレ地獄」
「はい」
苦笑する。
今思い出しても胃が痛い。
「最初は頑張ろうと思ってたんですけどね」
「うん」
「でも、頑張るほど空回りして」
言葉が止まる。
夜の海を見る。
暗くて、底が見えない。
まるで自分の人生みたいだと思った。
「気づいたら、朝起きるだけで吐きそうになってました」
澪は何も言わなかった。
ただ静かに聞いている。
それだけで、少し救われる。
「……情けないですよね」
「別に」
「え?」
「壊れるまで頑張ったなら、十分じゃない?」
その言葉に、胸が少し痛くなった。
そんな風に言われたの、初めてだった。
会社では甘えだと言われた。
親には根性が足りないと言われた。
友達には“次頑張れよ”と軽く言われた。
でも。
“十分”なんて言われたことはなかった。
俺は誤魔化すように笑う。
「雨宮さんは?」
「澪でいい」
「……じゃあ、澪は?」
彼女は海を見たまま答えた。
「イラスト描いてた」
「プロ?」
「なりたかった人」
その言い方だけで、全部分かった気がした。
夢を諦めた人間の声だった。
「SNSで絵上げたりしてたんだけどさ」
澪は缶コーヒーを回しながら続ける。
「数字ばっか気にするようになって、描けなくなった」
「数字……」
「いいねとか、フォロワーとか」
ああ、と小さく納得する。
今の時代らしい地獄だと思った。
「才能ある人見るたび、自分がゴミに思えてくるんだよね」
澪は笑った。
でも、その笑顔は全然楽しそうじゃなかった。
「頑張るほど、自分だけ置いていかれる感じ」
その言葉が、やけに刺さる。
俺も同じだった。
頑張ってるのに報われない。
周りだけ先へ行く。
気づけば、自分だけ何も残ってない。
「……人生って難しいですね」
思わず呟く。
澪は静かに頷いた。
「ほんとね」
風が吹く。
潮の匂いがした。
しばらく無言だった。
でも、その沈黙は嫌じゃない。
むしろ安心した。
無理して喋らなくていい相手なんて、久しぶりだった。
澪が突然言う。
「藤崎くんってさ」
「はい?」
「彼女に尽くしすぎて捨てられるタイプ」
「なんで分かるんですか」
「顔」
「顔で人生診断しないでください」
澪は声を出して笑った。
その笑顔を見て、少しだけ思う。
もっと見たい、って。
そんなことを考えた瞬間、自分で驚いた。
いやいや。
今日会ったばかりだぞ。
何考えてんだ俺。
でも。
深夜の海で笑う彼女は、
どうしようもなく綺麗だった。
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