0部 5話

――2年後――




「エテア……待ってよ…」



「お兄ちゃん! 早く来て!」





「そんなに速く歩かないでよ!」



「お兄ちゃんが遅いんだよ!」





エテアは愚痴をこぼしながら、のろまな兄の手を引いて歩いた。


学校の門の前でずっと待ちぼうけを食らっていたのだ。



約束の時間を過ぎても現れない彼を待つ間、エテアの不機嫌は頂点に達していた。





その上、アカスは学校で思いがけない補習まで受けさせられたようで、帰路につく間、エテアの小言は止まらなかった。





「あーあ、どうしてそんなに急ぐの?」


「祭りが始まってどれだけ経ってると思ってるの? お兄ちゃんが遅いからでしょう。私、どれだけ待ったか……」





「それは僕のせいじゃないよ。急に補習が入るなんて思わなかったんだから」



「そう! 知らなかったお兄ちゃんのせい。絶対に!」


「わかったよ……」






エテアは、歩みも反応も鈍い兄に苛立ちながらも、つないだ手を放そうとはしなかった。



二人はすぐに村の繁華街に到着した。





空に届かんばかりの屋根を持つ高層の建物には、誰がどうやって飾り付けたのか、きらめく装飾が長く垂れ下がっている。




通りではあちこちで食べ物が売られ、足元にまで広げられた露店で歩くのもやっとだったが、そこにいる誰もが笑みを浮かべていた。





エテアは手首につけるブレスレットのような装身具が特に好きで、アカスは彼女がそういった店に立ち寄るたびに胃が痛む思いだった。



母親からのお小遣いが足りなくなると、彼女はいつもアカスにねだる。


こうして活気に満ちているときなど、例外なくそうだった。





エテアは赤いリボンをつけたクマのぬいぐるみを持ってきて見せた。




「エテア、ぬいぐるみはもういいでしょう?」


「買って!」





「ダメだよ! エテア、君がそうやってねだるから、僕だけ母さんに怒られるんだ……。勝手に物を買い与えるなって言われてるんだよ」


「でも、母さんは私にはそんなこと言わないよ?」






「当たり前でしょう! 妹の君を叱るわけないじゃないか。怒られるのは兄である僕なんだよ」


「ヒヒヒヒ……私は知らない。それでも買って」


「あぁ……」





結局、エテアに一度も勝てたことのないアカスは、彼女の髪をくしゃくしゃに撫で回し、抱えているぬいぐるみの代金を払った。



エテアが赤いリボンのクマを撫でながら喜んでいるのを見て、ふと思いついたアカスが足を止めて言った。





「あれ? でも君、まだお小遣い残ってるんじゃないの?」


「お小遣いを全部使ったなんて、一言も言ってないけど?」





「え、何? 君、お兄ちゃんを騙したの? 返してよ」


「あ、嫌! 渡したものを返せなんてどこにあるのよ」





エテアはぬいぐるみを取り上げられまいと、彼の腕をひらひらとすり抜けて人混みの中へと消えた。



アカスはそんな彼女を追いかけて捕まえ、じゃれ合いながら、大勢の人で賑わう広場で祭りの様子を眺めた。





通りで演奏している音楽に耳を傾け、アカスの背中を押してバイオリンを弾いてくれとせがんだりもした。そうして遊び回り、時計塔を見て帰宅の時間であることに気づいた。






「エテア、もう帰ろう。母さんと父さんが待っているかもしれないから。明日になれば、もっと楽しいことがあるよ」


「うん!」




エテアはアカスの言葉に柔らかく微笑んで頷いた。



アカスも妹の手をしっかりと握り、足並みを揃えて家へと向かった。しかし、彼は遠くに何かを発見し、眉をひそめて怪訝そうに口を開いた。




「あれ……? あそこは僕たちの家なのに……」


「……?」




彼らの家は鬱蒼とした森の真ん中に広大な敷地を構えた、村からもよく見える大きな屋敷だった。夜の帳が下りて見えにくいはずの場所が、今は異様なほど明るく照らされている。




アカスは燃え上がる真っ赤な炎を見た。エテアは風に乗ってきた異様な臭いを嗅いだ。




『この臭いは……』




それは彼女が訓練所を脱出した日、すべてを焼き払う爆発と、真っ赤に燃え盛る炎を見たときに嗅いだ、忌々しい臭いだった。



決して忘れることのできない、あの悪夢を思い出させる火薬の臭い。



エテアはそれを悟るや否や、当時の恐怖に飲み込まれ、叫ぶように言った。




「お兄ちゃん、早く帰ろう! 家が、家が燃えてるの!」



「え、あ、あ……!」




アカスとエテアは人混みを避け、一斉に走り出した。



家に近づくにつれ、真っ赤な炎が鮮明に瞳に焼き付く。燃える森の中でさらに強烈になる臭いに、エテアの不安はピークに達した。




あのときと同じだ。



黒いものだけで造られた城塞で、初めて他の「色」を見たあの日と同じだ。


炎がそこかしこで上がり、嗅いだこともない異臭と、激しい爆発音が連鎖する。



仲間たちが、かつて刃を交えた者たちが、何者かに追われ、切り刻まれていく光景が脳裏をよぎる。







『まさか、私を探しに来たの? 母さんと父さんが無事だといいけど……!』




かつては遠い過去の出来事として記憶の底に追い払っていたはずなのに、今のエテアは、まるでその地獄の中に引きずり込まれたかのように頭が熱く、首の後ろに冷たい戦慄が走った。




「母さん!! 父さん!!」


「エテア! 待って!」





家に着いたとき、大きな屋敷が轟音を立てて崩れ落ちるのが見えた。



エテアは、自分が買ってもらったクマのぬいぐるみさえ放り投げて、崩れゆく火の海へ飛び込もうとするアカスを必死に引き止めた。





「エテア、母さんと父さんを探さなきゃ! まだ中にいるかもしれないんだ!」



「お兄ちゃん、落ち着いて! 人の焼ける臭いはしない。母さんと父さんは家にはいないわ!」




「エテア……?」



「誰か火をつけた人が近くにいるかもしれない。だからお兄ちゃんはあそこの森で待ってて! 絶対に誰かに助けを求めてはダメよ! 私が戻るまで待ってて! 周りを見てくるから!」







エテアは冷静に判断を下し、駆け出そうとした。しかし、アカスが彼女の手を掴んで止めた。




「エテア、一緒に行こう!」


「……うん!」




エテアは一瞬躊躇したが、頷いて燃える屋敷の裏側へと回り込んだ。アカスは崩れゆく炎の館に入ることも、妹を一人にするわけにもいかなかったのだ。不安に震える手と手を固くつなぎ合う。




屋敷の裏手にたどり着いたとき、二人は見慣れた姿が木の下に倒れているのを見つけ、駆け寄った。




「母さん!!!」


「……お前たち……!」





母親は腹部に刃を突き立てられ、血に濡れていた。先ほどまで戦っていたのか、彼女の手には剣がしっかりと握られている。青ざめたアカスとエテアを見て、母親は荒い息を吐きながら言った。




「早く……逃げなさい……!」


「!」




エテアは暗い森の向こう、炎に照らされて木陰に潜む人影を見た瞬間、母親が握っていた剣を瞬時に奪い取った。




「女がいるとは言ってたが、あいつは娘で、金髪でもないな。どうする?」


「今さら何を……殺さなきゃいけない相手には違いない」



「……」





『私を探しに来たんだ……』





その言葉を聞いた瞬間、エテアの思考は氷のように冷え切った。



素手ででも引き裂いて殺してやりたいという殺意がこみ上げ、自分を呼び止めるアカスの声さえ遠くに置いて、彼女は先制攻撃を仕掛けた。




しかし、彼らはまるでエテアを誘い込むように森の奥へと逃げ出した。爆発する怒りを抑えられないエテアは、そのままその罠に足を踏み入れた。



三人は逃げるのをやめ、三角陣形を組んで彼女を包囲した。


怒りに狂った少女が、誘い込まれたことに気づいたときにはもう遅い……そう確信していたはずだった。




「……?!」


だが、彼らは走るのをやめてはいけなかった。


執拗に一人を狙ったエテアの追撃に、一人は背中を貫かれて即死した。




死んだ仲間の剣をも瞬時に奪い、両手に刃を握って暗闇の中で舞う彼女の猛攻。



最後の一人は最初の数合こそ防いだが、両膝を深く切り裂かれて姿勢が崩れ、首を突かれた。




予想をはるかに超える異常な手際と強さに、最後の一人は恐怖して逃走しようとした。しかし、闇の中から飛んできた剣がその脚に突き刺さり、彼は地面に転がった。



剣を引き抜いて立ち上がる彼に対し、エテアは再び刃を投げつける。


金属がぶつかる高い音が響く中、エテアは瞬時に距離を詰め、彼が持つ剣の柄を直接つかみ取った。




彼は必死に耐えたが、彼女の怪力には勝てない。


剣身が彼自身に向かって傾き、斧で木を割るように彼の肉を切り裂いていく。


指が砕ける苦痛とともに、刃が体内に潜り込んでくる冷たい感覚。それが、彼の最後の記憶だった。









……


エテアは荒い息をつき、湧き上がる怒りを鎮めようとした。


誰が彼らを差し向けたのかを聞き出すために一人は生かしておくべきだったが、沸騰する血がそれを許さなかった。



「あ……アカスお兄ちゃん……!」




彼女は自責の念を振り払い、急いでアカスと母親のもとへ戻った。しかし、目の前の光景に絶望するしかなかった。




「……」



「お……母さん……」



「お前たち……アカス……ごめんね。母さんが……」






母親はかすかな息を絞り出して言葉を紡ごうとする。エテアはこれまで多くの傷を見てきたし、自分自身も負ってきた。だが、母親の傷を見た瞬間、このままでは助からないという直感が脳裏を白く染め上げた。




涙がこぼれ、足が震える。母親が蒼白な微笑を浮かべ、エテアを手招きした。





『今しかない! 私が知りたかったことを、今すぐに聞かなきゃ……!』


母親はもう助からない。



この家族を離れるべきだと考えながらも、喉の奥まで込み上げていた問いをぶつけるときが来たのだ。




『母さん、父さん……いや、あなたたちは……。


私があの猟犬訓練所の出身だってこと、知ってたんでしょう。それどころか、訓練所を維持することに賛成していた人たちでしょう。



私が知らないとでも思った? それなのに、どうして私を引き取ったの? ……』






だが、口が開かなかった。問う勇気など、どこにもなかった。



ただ涙が落ちるだけ。エテアは母親の手招きに従い、顔を近づけた。




「エテア……少し……そばに来てくれるかしら……」



「母さん……大丈夫……?」



母親は弱々しく頷き、彼女を抱きしめようとしたが、腹の剣がそれを阻む。







それでも何とかエテアを強く引き寄せ、髪を優しく撫でた。そして、涙で濡れた声で懇願した。





「エテア……アカスを……しっかり守ってあげてね……」


「……」


「母さん? 母さん!」


「アカス、あなたも……エテアを頼むわよ……。二人で……一緒に……絶対に……」




アカスが何かを言いかけたとき、母親は静かに瞳を閉じた。




アカスは信じられない様子でその肩を揺さぶったが、エテアが彼を制した。




「起きて、お兄ちゃん! あいつらが、もっと来るかもしれないわ!」


「エテア……」


「私たちまで死ぬわけにはいかない! 立って、起きて!」



「でも、母さんが、父さんが……」


「立つの!」


エテアは涙を噛み殺して叫んだ。そして、魂が抜けたようなアカスの手を掴み、強引に立たせて隠れる場所を探し始めた――。














…………


結局、アカスはその森で、自分の家が燃えるのをエテアと共に夜通し見つめるしかなかった。



火が消え、鎮火してからもしばらくして、ようやく彼らを呼ぶ人々の声が聞こえた。





北部地域で、所属する家門の長が留守にする屋敷が襲撃されたと聞いたとき、真っ先に駆けつけたのはレンソールだった。




崩れ去り、灰と化した屋敷の前で、レンソールは膝から崩れ落ちた。




他の騎士たちが彼を支えようとしたが、絶望に暮れる彼を置いて、襲撃された屋敷の捜索を始めた。しかし、間もなくして騎士が大きな声で誰かを呼んだ。







「ここだ!! 生存者がいるぞ!!!」



「生存者……?」


レンソールはその叫びを聞いて立ち上がった。



あちらで互いを抱きしめ合い、煤だらけになったアカスとエテアの姿を見るやいなや、彼は嘆きながら叫んだ。





「お前たち……!!!」




「レンソールお兄さん……」













……


その後、状況がどう収拾されたのか、アカスの記憶は曖昧だ。目の前の現実と意識が乖離しているようだった。




ただレンソールが両親の遺体を収拾し、葬儀を進めるなど、幼い二人にできないことを片付けていくのを、三人は無言で見つめていた。




葬儀が終わり、聖堂での祈りさえも終えたとき。



すべての手続きが終了し、レンソールは枯れ果てた声で、震える二人にこう告げた。







「お前たち……我が家へ行こう」



「……」



「……」





レンソールは二人の兄妹を連れて、自分が暮らす王国の首都へと向かった。



馬車に揺られるアカスとエテアは、ガタゴトという音を聞きながら、ただ沈黙の中にいた。





そのとき、エテアが静かに瞳を閉じたまま言った。




「お兄ちゃん……」


「……」





「ごめんなさい……あの人たち……私を追ってきたの……」


「……」




「私が……母さんと父さんを死なせたの……。

もし私がもっと早く離れていれば……あの時、せめて傷が癒えた時に逃げていれば、こんなことには……」



「……」






「……お兄ちゃんには、剣の使い方だけ教えてあげる。

誰にも傷つけられないように……。そうしたら……そのときは本当に離れるから。

私が……」


「……」







「全部、私のせいよ……ごめんなさい……全部……全部……」











「…………………」







アカスは茫然と窓の外を見ていた首を巡らせ、彼女を見た。



エテアは彼の視線に耐えられず、膝を見つめたまま拳を握りしめ、涙を流した。しかし、すぐにアカスが寄り添い、優しく彼女を抱きしめた。




言葉はなかったが、エテアは彼が流す熱い涙が自分の服を濡らすのを感じ、もうこれ以上語る必要はないのだと悟った。





エテアは歯を食いしばり、慟哭をこらえた。



誰よりも悲しいのは、アカスなのだから。




――0部:終――

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