灼けつく夜

拓海はソファに寝転がったまま、スマホを弄っていた。



「おかえり」



 目も合わせずに言う。



「……ただいま」



 ももかは靴を脱ぐ。



 空気で分かった。



 今日は機嫌が悪い。



「何してた?」



「映画見て、ご飯食べてた」



「誰と?」



 心臓が跳ねる。



 けれど、顔には出さない。



「店の子」



「ふーん」

 


 拓海はスマホを置いた。



「男と会ってただろ」



 断定だった。



「会ってない」



「嘘つけよ」



 次の瞬間、髪を掴まれた。



「っ……!」



 頭皮が引っ張られる。

 痛みで涙が滲む。

 


「最近なんか怪しいんだよ、お前」



「違う、ほんとに——」



「じゃあスマホ見せろよ」



 ももかの喉が詰まる。



 良太とのLINE。



 別にやましい事はない。

 けれど、拓海に知られたら終わる。



「……やだ」



「は?」



「プライバシーくらいあるし」



 頬を殴られた。 



 乾いた音が部屋に響く。



 一瞬、視界が白くなる。



「誰に口利いてんの?」



 低い声。



 怖い。



 本当に怖い。



 なのに。



 胸の奥が、じわりと熱を持つ。



 この男は、自分に執着している。



 自分が他の男のものになるかもしれないと、怒っている。



 その事実に、ももかは救われてしまう。



 最低だ、と思う。



 良太なら、こんな事しない。



 スマホを覗こうともしないし、怒鳴らないし、殴らない。



 でも。



 どんな形でも。どんな理由でも。拓海がももかを見るとき、その目には確かにももかだけがいる。疑って、怒って、手を上げようとしていても——それは全部、この人がももかのことを気にしているということだ。



 ——拓海は、私がいないと駄目なんだ。



 そう思う瞬間だけ、自分に価値がある気がした。



「……ごめん」



 ももかが呟くと、拓海は舌打ちした。



「ほんとダリィ」



 髪を掴んだまま、顔を近づけてくる。



「で? 誰?」



「……いない」

  


 また嘘をついた。でも今度は、はっきりと、目を逸らさずに。



「嘘つき」



 また頬を叩かれる。



 涙が落ちる。



 けれど、ももかは良太の名前だけは言わなかった。



 あそこだけは。



 あの場所だけは。



 汚したくなかった。



 拓海の知らない場所。ももかが、ももかちゃんでいられる場所。あそこだけは渡せない。それはちゃんとした恋愛感情なんかじゃなくて、もっと自分本位な、ひどい理由だと分かっていたけれど。あの穏やかな時間は、ももかが唯一、消耗しない時間だった。













 ベッドの上で、ももかは天井を見ていた。隣に拓海がいる。少し前まで荒れていたのが嘘みたいに、今は穏やかな息をして、ももかの髪を指先でなんとなく触っている。



 抱き寄せられる。



 煙草と香水の匂い。



 痛かった頬を、拓海の指が雑になぞる。



「……腫れてんじゃん」



「拓海がやったんでしょ」



「お前が変なことするからだろ」



 まるで、当然みたいに言う。



 ももかは笑ってしまった。



 乾いた笑いだった。



「なに笑ってんの」



「別に」



 謝らない。でも聞く。それが拓海のやり方だった。謝ってくれた方がいいに決まっている。でもこの人が「ごめん」と言うとき、どこか他人行儀な感じがして、かえって遠くなる気がした。



 こういうときの、静かな拓海が、ももかは一番好きだ。



 自分でも分かっていた。



 壊れている。



 良太といる時、自分はまともになれる気がする。



 普通の女の子みたいに笑える。



 でも結局、帰ってくるのはここだ。



 殴られて、責められて、雑に抱かれて。



 それなのに、“必要とされてる”と勘違いして安心してしまう。



 拓海がキスしてくる。



 ももかは目を閉じた。



 あたし、どうしようもないな。



 呆れた。本当に、心の底から、自分に呆れた。良太の優しさはありがたくて、拓海の乱暴は怖くて痛くて、それでも今夜ここにいることを、ももかは後悔していなかった。



 後悔していない自分を、一番どうしようもないと思った。



 拓海がまた、覆い被さって来る。良太への罪悪感も、自分への嫌悪も、拓海の熱に上書きされていく。ももかは目を閉じ、熱に身を委ねた。

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