優しい男を愛せない 〜DV彼氏と優しい男の間で揺れる、最低な私の話〜
@totaku555
ぬるま湯の午後
待ち合わせは、いつも良太から指定してくる。
「駅前のドトール、13時でどう? ももかちゃん、最近コーヒー好きって言ってたじゃん」
そういう細かいことを、良太はちゃんと覚えている。ももかが何気なく言ったひとことを、メモでもしているかのように。
拓海は覚えない。
ももかが何を好きで、何が嫌いで、どんな日に悲しくなるか。そういうことに、あの人はまるで興味がない。
それでも——とももかは思う。それでも、なんで好きなんだろうな、あたし。
◆
ドトールに着いたのは13時2分だった。良太はもう来ていて、窓際の席でスマホをいじっていた。ももかの姿を見つけると、ぱっと顔を上げて、少しだけぎこちなく手を挙げる。
「ごめん、待った?」
「全然。俺も今来たとこ」
絶対嘘だ、とももかは思った。良太はいつも早く来る。でも「待った」と言わない。それが気遣いなのか、それとも単純に気が小さいのか、たぶん両方だろうとももかは結論づけていた。
向かいに座ると、良太がトレーを示した。
「ブレンドでよかった? 違ったら買い直すけど」
「ありがとう、ちょうどいい」
ももかはカップを両手で包んだ。11月の初めで、外はもう冷えていた。昨日——というか今朝方まで仕事で、帰ってから4時間しか眠れていない。体の芯がまだどこかぼんやりしている。
「なんか疲れてる?」
良太が、遠慮がちに聞いた。
「顔色、ちょっと」
「仕事だよ。夜遅くなって」
「そっか」
それだけだった。良太はそれ以上聞かない。ももかの「仕事」が何を意味するか、もう知っているから。最初に打ち明けたとき——あの夜のことをももかはよく覚えている。良太は三秒くらい黙って、それから「そっか、大変だね」とだけ言った。引かなかった。でも、すごく興味ありげにもしなかった。ちょうどいい距離を、この人は本能的に取れる。
たぶんそれが、ももかには少し物足りない。
◆
「最近、漫画読んだ?」
良太が話題を変えた。ももかが漫画好きなのも、知っている。
「読んでない。ていうか読む気力がなくて」
「じゃあ布教するのやめとこうかな」
「何それ、気になるじゃん」
「いや、疲れてるときに勧めても、ももかちゃん絶対ちゃんと読めないじゃん。俺、ちゃんと読んでほしいから」
ももかは少しだけ笑った。
拓海はそういう言い方をしない。拓海が何かを勧めるときは、もっと一方的だ。「これ見ろよ」「これ聴けよ」。ももかの状態なんて関係ない。でも、だからこそ熱量みたいなものを感じる。良太の優しさはいつもなめらかで、角がなくて、ももかの中をすうっと通り過ぎていく。
心に引っかからない。
それが問題だと、ももかは分かっている。分かっていて、コーヒーをまた一口飲んだ。
◆
2時間ほど、たいしたことは話さなかった。
良太の職場の話、ももかが最近行ったコンビニスイーツの話、どこかで見たバズってた動画の話。くだらなくて、でも妙に居心地のいい時間だった。良太といると、ももかは「ももかちゃん」でいられる。風俗嬢でもなく、拓海の彼女でもなく、ただの、ももかちゃん。
それは本当に、ありがたいと思う。
思うんだけど。
「そろそろ行く? 寒くなる前に」
良太が言って、立ち上がりかけた。ももかも頷いて、上着を着た。そのとき、スマホが振動した。
画面を見なくても分かった。
拓海だ。
胸の奥が、きゅっとなった。心臓が、少しだけ速くなった。それがももかには分かって、自分で自分が嫌になった。
「どした?」
「なんでもない」
スマホをポケットに押し込んで、ももかは笑った。
「帰りにコンビニ寄っていい? グミ買いたい」
「いいよ。俺も肉まん食べたい」
「子供か」
「ももかちゃんだってグミじゃん」
並んで店を出た。風が冷たかった。良太が少しだけ歩調を緩めて、ももかに合わせてくれた。
ポケットの中で、スマホがまた振動した。
ももかは無視した。
——でも早く返さなきゃ、と思う。
隣を歩く良太の横顔を、ちらりと見た。真面目な顔で信号を見ている。穏やかで、誠実で、ももかのことをちゃんと人間として扱ってくれる人。
どうして、ときめかないんだろう。
答えは出ないまま、信号が青になった。
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