第一章 1

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 都の金貸し通りには、金が唸るほどある。

 それを、狙う盗賊がいる。

 エルリックはその盗賊の用心棒、腕の立つ槍使いと評判だった。若いのに気が利くし、素早くて足が速いし、なにより強い。その辺の兵士など、歯が立たない。

 だから、盗賊たちはこぞって彼を雇いたがる。そう取り沙汰されていた。

 その夜も、ある金貸しの蔵を襲うために五人組と共に、エルリックは槍を持ってやってきた。

 夜こっそりと忍び込むなどという生ぬるいことはせずに、いきなり門を叩き壊し、大音声と共に蔵を大槌で破って、金貨を頂くというのが昨今のやり方である。

 この大飢饉と旱魃で、都の警護はなにかと緩くなっている――はずであった。

 ところが、その夜に限っては違った。

「曲者だ。出合え」

 夜回りの警護隊が、馬を引き連れてたまたま通りに出ていたのである。

「いけねえ。ずらかれ」

 エルリックは槍を振り回し、警護隊と戦って振り切ろうとした。二人倒して三人目と対峙した時、ひときわ背の高い男がずい、と出てきて、

「小僧。来い」

 と剣を抜いてきた。

「む……」

 その殺気に、エルリックは怯んだ。

 この男、ただ者ではないな。誰だ。

 他の者が、隊長、と声をかけた。

 そうか。この男は、責任者なのか。どうりで凄いはずだ。ごくりと唾を飲んで、エルリックが槍を構え直した時、男がすっと地面を飛んできて、それで決着はついた。

 あれ?

「縛っておけ。こ奴に話を聞く」

 身体が動かない。なにがあったんだ。気がついたら、暗い夜空を見上げていた。

 そうして、エルリックはなにがあったかわからないままに、警護隊に捕まってしまった。 気がついた時には、大木に縛りつけられていた。

「なんだこれは。どこだここは」

「気がついたか小僧」

 周りには大勢の男たちと、それから宝物≪ほうもつ≫を分配しているあの男が離れた場所にいて、あれこれと男たちに指示をしている。

「貴様、なにをしている」

「なにをしているように見える」

「貴様、泥棒だな」

「お前こそ泥棒だろう」

「俺は違う。用心棒だ」

「どっちも同じようなもんだろう」

「貴様、都の警護をしているのではないのか」

「それもしているがな。生憎良心というものがそれだけではだめだというのだ」

「なにをっ」

「なんだ、その小僧、目が覚めたのか」

 そこへ、むこうから青い外套を着た隻眼の男がやってきた。

「ヴィズルか。この小僧、どう思う」

「どうって……」

 ヴィズルと呼ばれた片目の男は、大木に縛られたエルリックをまじまじと観察すると、「殺しちゃえば」

 と言い放った。

「な……なんだと」

「だって、お前の正体見られちゃったんでしょ。まずいよ、そういうの」

「そうか? なかなかいい目をしてると思うんだがなあ」

「あんな猿みたいなの、俺は面倒見ないよ」

「そう言わずに」

「やだやだ」

「金なら出すから」

「なに?」

「金貨十枚でどうだ」

 ヴィズルは顎に手をやって髭を触っていたが、やがてうーんと唸ると、

「ま、いいだろう。もらっておく」

 とこたえ、

「小僧、来い」

 とエルリックに言った。彼は縄を解かれ、後ろ手に縛られてヴィズルに縄を持たれる形で歩くことになった。

「じゃあなルノー」

「またな」

 相変わらず、都の有り様はひどい。死体を焼く黒い煙があちこちからもうもうと上がり、物乞いが道に溢れている。空は灰色で道は茶色く、田畑は枯れ、役人が幅を利かせて歩いている。

「あ、あの男、都の警護をしているのに泥棒もしているのか」

「あまり大きな声で言ってはいかんぞ。聞こえてしまう」

 ヴィズルの後を縄で縛られたまま歩きながら、エルリックは彼に尋ねた。彼は小声で聞いた。

「なぜ、あんなことをする」

「ルノーか。やさしい男でな。施政者が知らん顔でなにもしないのを見るに見かねて、ああやって被害に遭った金貸しの蔵からこっそり金やら宝物やらをくすねて、横流しして施しておるんだ。そのうちばれるのではないかと思うんだが、まあ俺の知ったことではない」

 ヴィズルはエルリックの縄を解いてやり、共に並んで歩いた。

「友達ではないのか」

「友ではないな」

「……違うのか」

「それよりお前、名前はなんだ」

「……エルリックだ」

「エルリック。なぜ盗賊の用心棒なんぞしていた」

「割がいいからだ」

「先が知れているのに、なぜそんなことをする」

「こんな大飢饉で、先もなにもあったもんじゃねえよ。今が楽しけりゃ、それでいいじゃねえか」

「そうか。そうかもしれねえなあ。だがよ、それだけじゃねえぜ。人生ってのは長いもんだ。今さえよけりゃいいってのは、ちっと違う」

「そんな……」

 そんなことは知ったことか、とエルリックが言いそうになったとき、彼は盛大に蹴躓≪けつまず≫いて道の傍にあった池に落ちた。

「ははははは。猿ではなく、蛙だったか。どれ、掴まれ」

 ヴィズルに手を貸してもらい、エルリックはずぶ濡れになって池から這い上がった。

 冬の始まりの季節である。寒い。

「おっさんといると、ろくなことがねえ」

「ははははは。火にでもあたるか」

 そうしてエルリックが震えながら歩いていると、あちらに大きな小屋が見えてきて、人だかりがしている。

「なんだ?」

 道には柵が張ってあって、容易には向こう側に行けないようになっている。

「ここは関所だ。あちら側に行きたいのなら、金を払ってから通れ」

 人々はその金が支払えずに、困り果てて足止めを食らっている。口々に文句を言い、どうすればいいのかと言い合い、顔を見合わせては、どこからか通れはしないかと首を巡らせているのだ。

 と、小屋からそれて、山道を上がっていこうとした者が見咎められて、矢を射かけられた。

「あの狼藉者を始末せよ」

 たちまち、何十本もの矢が飛び交い、その男に突き刺さった。人々は悲鳴を上げてその光景を見守った。

「ひでえことしやがる」

 エルリックはそれを、唇を噛みしめながら見つめていた。

「おいおっさん、どうすんだ」

 ヴィズルは振り返って、にやりと笑った。

「どうするかって?」

 彼は背中の大剣に手をやった。

「こうすんのさ」

 そして大剣を引き抜くと、ついでのように腰の剣も同時に抜いた。

「む、無礼者」

 たちまち、それを見た兵士がヴィズルを睨んだ。彼はその兵士の額を無言で割った。そして返す刀で飛びかかってきた二人の兵士を斬り、小屋から出てきた兵士たちと斬り合った。

 右から振りかぶってきたその剣を、彼は真っ向から受け止めた。そして舐めるように流すと、そのまま相手の肩を斬った。次にやってきた兵士は、正面から叩き切った。

 上から飛んできた兵は、よけきれなかった。だから肩口で受けて、まるで水を切るように避けた。そしてそのまま、足を斬り払った。次にやってきた兵士は、問答無用で剣を下から突き上げてそのまま顎を斬った。

 あっという間の出来事だった。

「蛙。松明を探してこい」

「えっ、えっ」

 エルリックはヴィズルのあまりの強さに圧倒されてしまい、すぐには言葉が出て来ない。「松明だ松明」

「はっはい」

 彼は小屋の側に掲げらていた松明を持ってくると、ヴィズルに渡した。

「おお、これだこれだ」

 彼はそれを受け取ると、小屋のなかにずかずかずかと入っていって、なかの油をひっくり返した。そしてそれに容赦なく火をつけた。

「蛙、喜べ。服が乾くぞ」

 火はあっという間に燃え広がり、ヴィズルは小屋から退散した。

 間もなく後ろからドン、ドン、という爆発音がして、人々が恐れ慄く声が聞こえてきた。

「あれであのひとたちもここを通れることだろう」

「こ、これは立派な関所破りでは」

「少し前までは、ここに関所などなかった。奴らが勝手に作っただけの小屋だ。関所などではない」

「しかし」

「お前、盗賊の用心棒だった割にお堅いな。融通を利かせろ融通を」

「奴ら、追ってくるのでは」

「倒せばよい」

「それはそうだが」

「なにが問題だ」

「……」

 あれだけ強いのだ。そう言われてみれば、そうだ。

 すたすたと歩くヴィズルに仕方なくついていって、エルリックは今晩の宿をどうするかを考えていた。

「今日、野宿か」

「だろうな」

「飯は」

「適当に狩る」

「奴らに襲われたらどうする」

「その時考える」

「だが」

「あのなあ」

 ヴィズルは振り返って、あれこれと言い募ろうとするエルリックに言った。

「お前、若いのにそんなんで疲れないか。その時はその時だ。心配事のためにいちいち考えていたら、髪がみんな抜け落ちてしまうぞ」

 そんなことを言い合っているうちに日が暮れてきて、適当な場所を探して野営した。あの関所からはそう離れてはいないので、エルリックはびくびくしていたが、幸い誰もやっては来なかった。

 ヴィズルは平然として横になって、すうすうと寝息を立てて眠ってしまった。その寝姿を見て、エルリックはぼんやりと考えていた。

 このおっさん、なんでこんなに強いんだ。なんで片目なのに、あんなに敵との距離が掴めるんだ。戦いに慣れてるのか。どれくらい実践を積めば、ああなれるんだろう。

 俺もあれくらい強くなりたい――

 膝を抱えて、そんなことをふと思う。

 パチ、と火が爆ぜて、星が流れていることにも気がつかなかった。

 翌日また二人で歩き出していると、街道でいきなり足止めを食らった。

「止まれ。先日の関所破りで、手配書が回っている。人相をあらためる」

 ヴィズルとエルリックは視線を交わした。

「おっさん、だから言ったじゃねえかよ」

「ふうむ」

「俺ぁ面倒事は嫌いだぜ」

「ふうむ」

「ふうむふうむ言ってないでなんとかしろよ」

「今考えている」

 言い合いになる二人を、兵士が割って入って止めようとした。

「黙れ黙れお前たち。なにをしている」

「あんたたちこそ黙っててくれ。こっちは今大事な話をしてるんだ」

「そうだ。一大事なんだ。ちょっと黙っててくれ」

「なにを……」

 兵士が言うより先にもヴィズルはその腹に一発くれて黙らせ、返す拳でもう一人の顎に決めた。

「これが結論だ」

「あーあー」

「お、お前たち、やはり手配書の二人組だなっ」

「捕えろ」

 二人はあっという間に囲まれてしまい、兵士の数は十数名にもなった。

「切り抜けられるかな」

「さあて、どうかな」

 ヴィズルと背中合わせになって、エルリックは彼に聞いた。

「お前さん次第だ。俺は助けんよ」

 ヴィズルはそう言うと、腰の剣を抜いた。それを見た兵士が飛びかかってきた。その兵士をよけながら、エルリックは、

「薄情だなあ」

 と愚痴をこぼす。幸い、槍を持っている兵士がいる。あれから武器を奪って戦えばいい。

 槍を突き出してきたところを逆に柄を掴んで引き剥がし、引っ張って相手の腹を蹴り飛ばしたところで奪い取った。

「こいつがあればこっちのもんだ」

 エルリックは槍をぶん回して兵士と戦った。飛びかかって来る三人を薙ぎ倒し、次いで左からやってきた二人の足を斬り払った。

「蛙、なかなかやるな」

「おっさんほどじゃねえよ」

 十数人の兵士たちが次々に倒されていき、それに業を煮やした兵隊長が顔を赤くして、

「むむむむむ……弓隊、前へ」

 と怒鳴った。その声で、ヴィズルははっと顔を上げた。

「蛙、退散だ」

「なん、なに?」

「放て!」

 遅かった。

 二人が逃げ出すより前に、何十本もの矢が放たれ、次々に二人に襲いかかった。

 もうだめだ――エルリックがそう思った時、一陣の風が起こった。

 シャッ

「……?」

 ふわり、その不思議な感覚で、エルリックは目を開けた。

 一人の女が、立っていた。

 剣を片手に兵士たちを睨み、二人の前に立ちはだかる様は、まるで鬼神のようである。「な……女、貴様何者だ」

「兵士は嫌いだ」

「な、なんだと」

「よって、この二人に助太刀する」

 ヴィズルとエルリックは顔を見合わせた。女は再び放たれた矢を剣を払った風圧でものの見事に撥ね退けてしまうと、それを見た新たな兵士と斬り合い始めた。

 その太刀の鋭さたるや、目にも止まらぬ速さであった。

 強え……おっさんも強いけど、この女も強い。

「なにをしている。かかれ」

 兵士長が唾を飛ばし、新たな兵士が飛びかかってくる。血飛沫が飛び、目の前が真っ赤に染まった。

 時間を忘れて、三人は戦った。

 兵士の数が減り戦いに疲れが生じてくる頃、息を切らせたエルリックが血に足を滑らせた。

「あぶない」

 女が、思わず兵士とエルリックの間に入ってきた。

 一瞬のことだった。

「――」

 ざくっ、という肉を裂く音がして、刃が女を貫いた。女は倒れた。エルリックは彼女を抱き起こして、その顔をぺちぺちと叩いた。

「ね、ねえちゃん。しっかりしろ」

 しかし、その瞳は既に閉じられている。エルリックは信じられない気持ちになって、その胸を貫いた兵を見上げて滅茶苦茶に突いた。突いて突いて突きまくった。

 それから、何刻が過ぎたことだろう。

 気がついた時には日が暮れていて、手についた血が乾いて、喉がからからになっていた。 死体の山のなかから、エルリックは女の遺体を探し当てた。

「……」

 すっかり冷たくなってしまったそれは、もうすでに固くなっている。ただの肉の塊だった。それを見ていたら、視界が滲んできた。ヴィズルがやってきて、肩に手を置き、

「埋めてやろう」

 とだけ言った。

「なんで……なんでだよ」

 ただ、涙が止まらなかった。

 遺体を埋めて、その墓の側で野営をした。

 パチパチと火が燃える音を聞きながら、エルリックは自分のために命を失くしてくれた名前も知らない女のことを考えていた。

「俺、親いないんだ」

 膝を抱えながら、彼はぽつりと言った。

「捨て子だったんだよ。道っ端に捨てられてたのを、ばあちゃんが拾ってくれて、育ててくれたんだ。でもすっげえ年寄りだったから、すぐに死んじゃって。ガキの頃から竿とか持って振り回すのが好きでさ。でもばあちゃんがいなくなってからは、誰も俺を世話してくれるひとがいなくなって、村を出て。それからはなんでもやった。盗みでも殺しでも、食べるためならなんでも。槍をぶん回すのが好きで、気がついたら槍使いになってた」

「ふむ……それで、盗賊の用心棒になったというわけか」

「だから俺、ばあちゃん以外に俺に無条件でよくしてくれるひとって初めて会ったんだ、あのねえちゃんに」

 ちらりと墓の方を顧みて、それからまた焚き火を見つめる。

「もう死んじまったけどな」

 深々とため息をついて、拳を握る。それを見て、ヴィズルは一つしかない黒い瞳を細める。

「俺も経験があるが、いい気分ではない。ひとに命をもらうというのは」

「それって……」

 と、エルリックが顔を上げてなにかを尋ねようとした時、突然彼の背後でもこもこもこと気配がしたかと思うと、墓の土が盛り上がって銘のない墓標がひっくり返り、土の下から白い手がにょっきりと出てきた。

「なんだなんだ」

「うわーっ」

 ヴィズルは顔を上げ、エルリックは絶叫して腰を抜かし、そうこうしているうちに手はずんずんと肘まで出てきて、さらにもう一本の腕が出たかと思うと、ぷはっという声と共に土まみれの顔が地表に現われた。

 エルリックの恐怖は今や最高潮に達し、彼は焚火を飛び越えてヴィズルにしがみつきながらそれを見守った。

「こりゃ一体なにごとだ」

「うわーっうわーっ」

 ヴィズルの方は落ち着いたもので、冷静に起きたことを見守っているようである。

 そして、とうとう墓のなかから埋めたはずの死体だった女が出てくると、土まみれの身体で彼女は言った。

「なんか飲むもの、ある?」

「おお、あるぞ。なにがいい。水か? 酒か」

「水がいい」

「じゃこっちに来て、まずは火に当たれ。土の下は寒かったろう」

 女は全身についた土を振り払いながら歩いてくる。ぱらぱらと、土埃が舞った。

「あわわわわ」

 エルリックは自分が座っていた場所に彼女が座るのを見て、なにがなんだかわからない気持ちでいっぱいになって、恐怖で失禁しそうになっている。

「ほれ、水だ」

「ありがと」

 ヴィズルが水を渡すと、女はごくごくと一気にそれを飲み干した。いい飲みっぷりだった。

「ああああ」

「ほら、返すよ」

「なんか食うか」

「あったら有り難いね」

「あんたの荷物、あっちにあるぞ」

「後で探しに行くよ」

 淡々と会話を続ける二人を、エルリックは信じられない思いで見つめていた。

「あ、あんたら、どういう神経してんだ」

 彼はやっとのことで言った。

「ねえちゃん、あんた何者だ。あんた、死んだはずだろ。なんで生き返った。なんで死なない」

「それは、俺も聞きたいな。なぜなんだ」

「まずは、名前からだ。あんた、なんて名だ」

 女はちょっとうつむいて、それからしばらくなにかを考えていたが、やがて顔を上げて静かに言った。

「……ルイーゼ。ルイーゼンハルよ」

「いい名前だな。出身は?」

「アールツ王国の、北のはずれ。といっても、もうないわ。なくなっちゃった」

「なんでだい」

「滅びたのよ」

「おかしいなあ。アールツ王国の辺りには行ったことあるけど、あの辺の集落が滅びたなんて話は聞いたことないぜ。なんかの間違いじゃないのか」

「……ずっと前の、ことだから」

「前って、どれくらいだ」

「……」

「なあ、どれくらいだ」

「よせ」

「いいじゃないか」

「ひとには事情というものがある」

「死なない事情があるんだろう。ぜひ聞きたいよ」

「いいのよ。故郷が滅んだのは、ざっと数えてそうね、四百年くらい前よ」

「よん……?」

「そうよ。私はね、こう見えて、もう今年で五百八十九歳になるわ」

 思わず絶句するエルリックを置いて、ヴィズルはルイーゼに言った。

「ほほう、そりゃずいぶんご長寿だな。せいぜい見たとこ二十二、三てとこだ」

「二十三の時に時間が止まったの」

「そうか。そりゃ納得だ」

 エルリックは呆れて隣に座るヴィズルを見た。

「おっさん、ものに驚くってことがないのか」

「なに、戦いに身を置いているとな、滅多に驚くなんてことはなくなるんだよ」

 それで、とヴィズルはルイーゼに視線を戻した。

「それで、どうしてあんたはそんな身体になった」

「呪いを受けたのよ」

 視線をすい、とはずして、彼女は言った。

 炎の灯かりを受けて、暁色の瞳が反射した。

 ルイーゼはあの日のことを思い出していた。

 なんの変哲もない、しかしすべてが劇的に変わってしまった、あの運命の日を。

 


 その日、ルイーゼは供物を捧げるために一足先にご神域に行って、そこから帰ってきたところであった。

 水の女神に仕える巫女である彼女は、水垢離を毎日欠かさない。

 その日も冷たい水を浴びてからご神域に入ったので、全身が凍るように冷たかった。

 こういう時は、早く家屋のなかに入って、火にあたりたい。じんじんとかじかむ指先をこすりながら、早足で歩いていた時のことである。

「お姉さま、ご供物ですか?」

「ご苦労さまです」

 後輩の巫女たちが、神殿の廊下のむこうから歩いてくるのが見えてきた。雪の降りしきる十二番目の月、紫苑の月のことである。裸足で歩くのには、寒い。

「あなたたちも当番? ご苦労さま」

 吐く息が、白い。

 言葉を交わして、すれ違った時、吹き抜けの廊下から見える庭に、人影が見えた。

 ルイーゼは、それを目敏く見つけた。

「何者です」

 神殿内は、関係者以外は立ち入りは絶対の禁忌である。無論、庭に入るなど以ての外だ。 ルイーゼは廊下から庭に下り、侵入者を追った。

 それは、二人いた。

 男たちはするどく舌打ちすると、ルイーゼに向かってきた。彼女は果敢にそれと戦った。

「お姉さま、頑張って」

「右です、右」

 後輩たちの応援を受けて、余裕をかまして片目を瞑って見せていた時のことである。

 賊が、刃物を取り出してルイーゼに襲いかかってきた。ルイーゼはそれを躱しながら、なんとか血を出さないようにと懸命な努力をしながらどうにか一人目を気絶させることができた。

 しかし、二人目は違った。

 なんといっても相手は男でルイーゼは女なだけに、腕力ではとても勝ち目がなく、組み合った挙句に彼女は組み敷かれてしまい、揉み合った拍子に賊は自らの腹を刺してしまったのである。

 後輩の巫女たちが、恐怖の悲鳴を上げた。

 ルイーゼの水色の巫女服に、血飛沫が霧のようにかかった。

 男は腹を押さえ相棒を抱えながら逃げ出し、後輩たちはおろおろとしてどうすればよいのかを決めあぐねている。

「あなたたちは行きなさい。今すぐに」

「で、でも」

「いいから。早く」

「は、はい」

 空が、唸った。

 来る――。

 ルイーゼは覚悟した。

 突如として、雲が厚くなり、空が黒くなった。ごろごろと、雷が鳴り始めた。

 不吉ななにかが、いくつも兆した。

 カッ、と稲光が光った。

 やってきた。

 水の女神が、やってきた。

≪絶対清浄の神域を血で穢したるは何者ぞ≫

 低い、打ち据えるような怒りに満ちた声が、雪の積もった庭に響く。

「わたくしでございます。水の巫女、ルイーゼンハル・アスコット」

≪巫女たる身ながらにして神域を穢すとは、一体どのような料簡か≫

「申し開きもできませぬ。いかような罰もお受けいたします」

≪罰とな。そなたに下す罰は、これじゃ≫

 白い光が、全身を貫いた。

 シュー、シューという音と共に、湯気が上がっているなかをルイーゼは倒れていた。

≪人外となって人の世を永遠に彷徨うがいい。そなたは家族を持つことはできぬ。我が呪いを受けるがよい≫

 自分の周りの雪が、熱で溶けている。

 騒ぎを聞きつけて、人がやってくる物音が聞こえた。ルイーゼはそれから逃げるかのように、慌ててそこから身を隠して、神殿から出て行った。

 初めは、女神の言葉の意味がよくわからなかった。人外、とは。永遠に彷徨う、とは。 しかし十年も時間が過ぎていくにつれて、それがおぼろげながらにわかるようになってきた。

 老けないのだ。

 身体が老化しない。

 二十三歳の肉体から、変化がない。顔も身体も、あの時のままなのだ。

 それが嫌になって、崖から身を投げたことがあった。

 だめだった。

 喉を切っても胸を突いても、すぐに生き返るのだ。

 それで、悟った。

 これが女神の呪いなのだ。

 放浪の旅を重ねるうちに、一人の戦士と知り合った。彼はルイーゼに剣のいろはを教えてくれて、戦い方や人の殺し方、血の止め方から人の助け方までをも教えてくれた。ルイーゼが初めて愛し、ルイーゼを愛してくれた、腕っ節の強い、しかし気のやさしい男だった。

 彼は戦場で息を引き取る最期の時までルイーゼと共にいてくれて、彼女にこう言った。「お前の唄を、聞かせてくれ」

 泣きながらその手を取る彼女に、男は尚も言った。

「お前の唄は、心地がいい」

 怒号飛び交い、矢があちこちを飛ぶ戦場で、ルイーゼは歌った。男はそれを聞くと、満足げに微笑みを浮かべて、瞳を閉じた。

「愛してるよ、ルイーゼ」

 それが、一人目の男の記憶だ。



                    2



 夜が明けて、ヴィズルはルイーゼに尋ねた。

「どこへ行こうとしている」

「どこへ行くかは、特に決めてはいない。しかし、探すものはある」

「なにを探してるんだい」

「私の呪いを解く鍵になるものよ」

「それは、なかなか難題だな」

「神の呪いを解くものなんて、あるのかい」

「ないかもしれない。でも、あるかもしれない。あるかもしれない限りは、私は探す。無為の日々を送るよりはずっとましだ」

「それはそうだな」

「顔が土まみれだ。洗ってくる」

 ルイーゼは川に行って顔を洗いに行き、ヴィズルとエルリックはその間に朝食の支度をした。彼女が帰ってくると、朝日がその白い顔を照らし出した。

「へえ、あんたのその目、紫、ってんでもないな。夜明け色、とでもいうのかな。不思議な色だな」

 覗き込むエルリックから目をそらし、ルイーゼは顔を伏せた。あのひとも同じことを言った。お前の目は、夜明け色だ。美しい色だ。

 もう、何百年経ったか覚えていないほど昔のことだというのに。

 まだ、顔を覚えている。

 まだ、声が聞こえてくる。

「しっかしこの飢饉はいつまで続くんだろうな」

「じきに雨が降るだろう。それまでの辛抱だ」

 二人の会話を横に聞きながら、かつてのことを思い出す。ルイーゼ、ルイーゼ。

「金貸したちは好き放題だぜ。雨より先に、まずあいつらをなんとかしないと」

「ふむ。証文がある限り、こちらからは手出しができん。そこからだろうな」

 街道を行って、宿屋についた。

「湯を浴びたい。土まみれだ」

「ああそうだな。墓から出てきたんだものな」

 という会話をしていたら、宿の主人に不思議な顔をされた。

 食事をしていると、

「ええ、お客様はヴィズル様でございますかな」

 と話しかけられた。

「ああ、俺だ」

「文が届いております」

 と渡された書簡の差し出し人を見てみれば、ルノーとあった。

「あの都の警護隊長か」

「なんだ今ごろ」

 ヴィズルは書簡を開いて文面を読んでいたが、それを読むにつれて次第にその表情が険しくなっていった。

「どうしたい」

「知っての通り、あの男は金貸しの持っている宝物ほうもつを横流ししている」

「ああ」

「そのなかの一部が、執政者に献上されたらしい」

「それがどうしたい」

「どうやら、都に行かなくてはならないようだ」

「なにい?」

「どうしたの」

 そこへルイーゼが戻ってきて、

「よう、都へ行くぞ。あんたも来るか」

「ご禁制の品が、執政者に献上された。為政者が持ってちゃならんものだ。俺はそれを止めに行く。飢饉のなか贅沢三昧しているようだし、そろそろ腰を上げてもいい時だろう」「一泡吹かせに行くってこと? そいつあいいや」

「その前にすることは山のようにあるぞ。お前さんは、修行だ」

「修行ぉ?」

「そうだ。あの程度の戦闘で息を切らせているようでは、足手まといだからな。なに、準備には時間がかかる。その間ちょっと鍛錬していろ」

「なんだよそれ」

「為政者が持ってちゃいけないものって、なんなの」

「『知識の書』と呼ばれる禁断の書物だ。古今東西のあらゆる知識が記されているといわれる。それを、賢い王ならともかく飢えた民を放っておくような者に渡したらなにをしでかすかわからん」

「あらゆる知識……」

 ルイーゼは肘をついたまま小さく呟くと、ちょっとの間なにかを考えているようだった。「それって、私が死ねる方法も書いてあるかしら」

「さあ? どうだろうな」

「禁断の書物というくらいだから、あるいは書かれているかもしれん。試してみる価値はあるだろう」

「……」

 彼女の決断は早かった。

「私も行く」

「そうこなくっちゃ」

 翌日、三人は街道を下って、海辺を行った。

 途中、見上げても足りないほどの、小山のような大きな大きな岩を運ぶための人夫たちが二十人ほど、縄でもってして引き、または押して、掛け声と共に移動しているのが見られた。彼らを監督しているのは、都の役人である。

「執政様のお庭に置くための岩だ。心して運べ」

 人夫たちは疲れ果て、大して食っていないのであろうか、やつれ果てて骨が浮いている有り様である。それへ、ぴしりぴしりと鞭をくれては、役人が重い重い岩を運ばせているのだ。

 エルリックはそれを忌々しげに見送ると、早足で歩いた。ルイーゼもそれを見ていたようだったが、こちらは無表情である。彼はその横顔をちらりと見て、ふと思った。

 そういや、役人が嫌いって言ってたな。なんでだ。長生きしてる割りには、無表情なんだな。いや、逆か。長く生きてると、感情なんてなくしちまうのかな。

「ほれ、ここだ」

 ヴィズルの声ではっとして、エルリックは顔を上げた。浜辺だ。

 網がいくつもかけられた場所があって、波打ち際には桟橋が幾重にもかけられている。 網の下に、襤褸切れのようなものがあった。

「じいさん、起きろ」

 ヴィズルはその襤褸切れを蹴り上げて起こすと声をかけ、

「な、なんじゃいなんじゃい」

 という声と共にそれが起き上がると、

「相変わらず汚ねえなあ」

 と呆れたように言った。

「なんじゃ、ヴィズルか。まだ生きておったか」

「ちょっと鍛えてほしい蛙がいるのよ。こいつだ」

「なに、蛙だと?」

 襤褸切れに見えたものは、ぼさぼさの長い白髪をした老人であった。歯が所々抜け落ちていて、日に灼けて真っ黒で、爪が黄色い。

 老人はぎょろりと目を剥いてじろじろとエルリックの青い瞳を覗き込むと、

「ふうん……ものになるかね」

「ものにしてやってくれ。素質は俺が保証する」

「いくら出す」

「二十枚」

 老人はヴィズルを見上げて、にやりと笑った。

「いつまでだ」

「春だ」

「ええじゃろう」

 ヴィズルは懐から金貨を二十枚取り出して、ざらざらと老人の掌にぞんざいに置いた。「ほれ」

 老人はなんでもない木の長い棒を持ってきて、エルリックに渡した。

「これで、あの桟橋の上に乗ってあそこに刺さっている釘をみな打つのじゃ」

「ええーっ」

 見れば、釘はごく小さい、針のような大きさである。それを、波間に浮かぶ桟橋に揺られながらすべて打たなければならないのだ。木に刺さった釘の数は、幾千ほどもあった。 エルリックは恐る恐る桟橋に歩いて行って、そっとその上に乗った。すると桟橋だとばかり思っていたそれは、単なる木の板である。たちまち、彼は平衡感覚を失って海に転げ落ちた。

「なんだよ、こんなのできるわけないよ」

 冬の、極寒の海である。身体が凍えた。

「力を抜け。余計な力を入れるから落ちるんじゃ。まずは、力を抜いて上に立て。払う、打つ、斬る。槍の動きを考えて釘を打て」

 ヴィズルは笑いながらそれを見ていたが、

「じゃあなじいさん。頑張って修行しろよ」

 と老人とエルリックに言って、すたすたと行ってしまった。ルイーゼは仕方なしに、それについて行った。

「これからどうするの」

「あいつは修行、俺たちは都で下準備がある。人を集めなければならん」

 その背中を恨めしげに見送って、エルリックはもう一度木の板の上に乗った。

 力を抜いて、力を抜いて。

 意識して脱力すると、案外簡単に板の上に乗れた。

「よし……いいぞ」

 次は、釘だ。釘を打つためには、力を入れなくてはならない。しかし、力を入れるとなると、板の上から落ちる。絶妙な力の入れ具合が要求された。

 一週間もすると、釘が打てるようになった。そうしていくとこつがわかってきて、どんどん釘は木のなかに埋まっていった。

 ひと月で、釘をすべて打つことができた。

「ほっほっほっほっ。よろしい。では第二段階じゃ。こちらへ来い」

 浜から上がって、松の木の下までやってきた。そこに、若い男女がいた。女の方は弓矢を持っていて、男の方はなにか、荷物を背負っていた。

「この女は口が利けん。小さい頃に折檻されて舌を抜かれてしまったのだ。それを儂が拾って弓を教えた。こっちは、儂の弟子」

 弟子の方が荷物からばらばらに切れた刃を取り出し、それを紐に結んで松の木に登り、あちこちに吊るし始めた。そして下りてくると、今度は砕いた土器の欠片をいくつも出してくると、それを地面にまんべんなくばらまき始めた。

「ほれ」

 老人は槍をエルリックに渡すと、

「戦場では、敵は前からのみ来るとは限らない。そのための訓練じゃ。すべてよけて、刃を打破せよ。足元にも注意しろよ」

 弟子が、木の上から紐を揺らし始めた。ぶん、ぶんという音がして、刃が上から横から斜めから、あらゆる方向からエルリックに襲いかかってきた。

「おっ」

 左から来たかと思えば、上から来る。それをよければ、足元の破片を踏んで痛い。

「いてっ」

 それに気を取られていると、右から斜めから、次々に刃が降ってくる。

「うわーっ」

 たまらず、エルリックは松の木の下から逃げ出した。それを見た弓を持った女が、やじりのない矢を放った。それはまっすぐにエルリックの足に当たって、彼は無様に転んだ。

 老人が歩み寄ってきて、にやにやと笑いかけてきた。

「素質はあると聞いたがのう」

「う……」

 そうだ。ヴィズルは金貨十枚もらって、あの男から俺を引き受けた。そしてこの老人に二十枚払って、俺の身柄をまかせた。俺は、その信頼に応えねばならない。

「まだやれるかな」

「や……やる。やらせてください」

 エルリックは両手をついた。

「地獄が待っておるぞ」

 彼はごくりと唾を飲んだ。

「地獄でけっこう」

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