『第2話 軍鶏鍋の味』
岡田 以蔵は酒を飲みながら、待った。
京都の夜は冷える。
こんなときは、燗酒がありがたい。上手につけられた上燗が、体を温める。
料理屋の個室。
6畳ほどの部屋。
板間。
厚手の座布団がありがたかった。
この店は鍋料理が売りだと聞く。部屋の真ん中には、四角い木の枠があった。おそらく、そこに炭火の台を置くのだろう。
部屋には火鉢が置いてあった。
鉄瓶がかけられ、ほのかに湯気を立てていた。
ふすまの向こうから、にぎやかな声が聞こえてきた。
「以蔵は、先に来ちょるんか?」
「ええ、お連れ様は先にお見えです」
「遅れてしもうた。
げにまっこと、すまんのう。
じゃあ、いつもの頼む」
「かしこまりました」
土佐訛りの若い男の声と、少し年配の男の声。
ふすまが開いた。
「以蔵、悪かった。
遅うなってしもうた。
許しとおせ」
低いとばかりに頭を下げ、鴨居をくぐった身長の高い男。
黒い着物には桔梗の紋。
ちぢれた髪は、後ろに流し、総髪にしていた。
「竜馬、先にやってるぞ」
そう言って、以蔵は盃をキュッとあおった。
竜馬は徳利をかかげて、言った。
「旨い酒があっての、
以蔵にぜひ飲ませかったんじゃ」
竜馬は、以蔵の対面に腰を下ろした。
以蔵の左脇には、朱塗りの鞘の2本差が置いてある。以蔵は気になることを聞いてみた。
「竜馬、刀はどうした?」
「ああ、ジャマじゃき、置いてきた」
「ジャマ?
土佐の坂本竜馬が、この京都を丸腰で歩くというのは危のうないか」
「ま、わしは、コレを持っちょるき」
竜馬は懐から、拳銃取り出して、それを見せた。
「長州の高杉さんがくれた。
すみすさんの鉄砲だそうじゃ」
スミス&ウェッソンと言いたいらしい。
回転式弾倉の6連発。
長州の高杉というのは、
竜馬は、銃口はクルリと後ろに向け、左脇に拳銃を置いた。
以蔵は、盆にのった盃を竜馬に渡した。
「さ、まずは一杯」
竜馬に酒を注ぐと、酒はなくなってしまった。以蔵が店の者を呼ぼうと手を叩く素振りを見せると、竜馬はそれを制した。
「以蔵、銚子が空になったなら、ちょうどよい。
コレを飲もうぜよ」
竜馬は空になった銚子に、持って来た酒を注ぎ、火鉢の鉄瓶のフタを開け、チャポンと銚子を入れた。
「夜は冷える。
あつ燗にしようかの」
竜馬は、以蔵に向き直り、盃をかかげた。以蔵もそれに応える。2人は盃をあおった。
「以蔵と飲むのも、久しい。
今日は幼馴染同士、ゆっくり飲もう」
竜馬が言い、以蔵はうなづいた。
ふすまの向こうから、声がした。
「失礼します」
ふすまが開くと、少女と言う表現がピッタリな若い仲居が木枠に入った炭火台、その上に湯気をたてる鉄鍋をのせて運んできた。部屋の中に醤油の香ばしい香りが広がった。
「では、ごゆっくり」
仲居が一礼して、去って行った。
「コレが以蔵に食べさせたかった
“
ココのは、出汁と醤油で作った甘辛の割り下にニンニクが入っちょる。
温まるぞ〜!
さあ、食べよう!」
軍鶏の肉に合わせ、内臓やゴボウのささがき、葉野菜、キノコが煮込まれている。橙色の丸い玉、生み出される前の卵の黄身、きんかんも入っている。
竜馬が美味しいとこを選んで、以蔵のために小鉢によそってくれた。モモ肉、皮、きんかん、見たことのない部位、ゴボウ、キノコ、葉野菜、鍋の中身をまんべんなくキレイに盛りつけてあった。
以蔵は、まず汁を吸った。
甘辛にニンニクの風味。
軍鶏の脂、旨味が溶け込み、ゴボウの風味が心地よい。
モモ肉を食べた。
ん?
思った以上にやわらかい。
軍鶏は、発達した筋肉が固い。その分、肉の旨味が強いと聞いていた。
その肉は旨味は強いが、柔らかく、旨かった。
「どうじゃ? 旨いじゃろ」
「ああ、旨い」
以蔵の感想を聞き、竜馬もハフハフ言いながら食べ、舌鼓を打った。
「失礼します」
ふすまの向こうから、声がした。竜馬がやって来たときに聞いた男の声。
ふすまが開くと、年配の男が膝を曲げ、床に手をついて、深々と頭を下げた。
「坂本様、
申し訳ありません」
謝る男に竜馬が声をかけた。
「どないしたんじゃ、主」
男は面を上げ、言った。
「本日は、軍鶏が大変出まして、切らしてしまいました。
お気づきとは、思いますが、今お出ししたのは、ただの鶏にございます」
「ん? ただの鶏?」
「申し訳ございません」
男は再び、頭を下げた。
「···いや、いや。
たまにはただの鶏も、やわらかくていいもんぜよ。
ここの味付けはやっぱり、絶品じゃ。
美味しく、いただいている」
竜馬がそう言うと、男は再三謝りながら、去って行った。
なるほど。
やわらかいわけだ。
以蔵は言葉に出さず、思った。
「以蔵、
軍鶏鍋じゃなく、ただの鶏じゃった」
竜馬は照れたように言い、おどけて、舌を出した。
小さい頃から裕福な家で暮らしていた竜馬。だからといって、偉ぶることもなく、無邪気に分け隔てなく接してくれた幼馴染。
子どものころと変わらない仕草に以蔵は思わず、笑った。
「おお、そうじゃ!
燗をつけていたのを忘れちょった」
竜馬は鉄瓶につけていた銚子を上げようとした。
熱っ!!!
思った以上に熱い銚子。
竜馬は、鉄瓶から引き上げて、火傷しそうになった指で、耳たぶをつまんだ。
「こりゃ、飛びきり燗になってしもうた」
熱っ、熱っ!と言いながら、竜馬が酒を注いでくれた。以蔵が銚子を取り、竜馬に注ごうとすると。やめちゃり。わしの方が熱さに慣れちょると竜馬は自分の盃に注いだ。
以蔵は、竜馬が燗をつけてくれた酒を口にした。
火のように熱い酒は、
以蔵を温めてくれた。
竜馬の温かさのせいか、それとも酔いが回ったのか。以蔵は少し、口が軽くなった。
「藩を抜けたあとも、土佐とは便りを続けているのか?」
以蔵は、竜馬が
「ああ、乙女姉さんとは、ずっと便りを続けている」
「そうか······“おちか“は、達者で暮らしているのだろうか?」
「おちか······
ああ、小さいころ、一緒によく遊んだな。
城の近くの大きな商家へ嫁いだらしい。
花嫁姿。
それは、キレイだったらしいぞ」
以蔵は見ることはなかった、幼馴染、おちかの花嫁姿を想像した。思わず、顔がほころんだ。
竜馬はそんな以蔵を見て、心が和んだ。
しばらく、2人は無言のまま、鍋をつついた。鉄瓶からは、湯気が上がっている。
沈黙の食事。
2人はこの空気を楽しんだ。
以蔵が、沈黙を破る。
「竜馬、
本気でおれを、軍艦奉行
以蔵は盃を置き、竜馬に尋ねた。
「もちろん、そのつもりじゃ。
京都に勝先生が滞在する間、わしもいろいろいそがしい。
そこで、以蔵の出番じゃ。
この京都広しと言えど、こんな頼もしい護衛はおらん。
最強の護衛じゃ」
「しかし、竜馬。
おれは、“人斬り以蔵“と呼ばれた男だぞ」
盃を空にして、竜馬は言った。
「わしは、
人斬り以蔵に頼んでるんじゃない。
“侍、岡田 以蔵“に
日本の宝、勝 海舟を守ってくれとお願いしとるんじゃ」
それを聞き、以蔵は愛用の朱塗り鞘に収まった刀を取った。
以蔵は刀を鞘から少し抜き、それを戻して、音を立てた。
「承知した」
以蔵がそう言うと、竜馬がうなづいた。
「頼むぞ、以蔵。
さ、飲もう。
食べよう。
······ま、軍鶏鍋じゃないけどの」
そう言って、竜馬は銚子を向けた。
『第3話 きみの手』へ続く
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