『金打』【ディレクターズプラス✏️➕️】

宮本 賢治

『第1話 おれの手』

【京都 文久初期】

「ホレ、食うてみろ。

おれの手は旨いぞ」

 竹藪沿いの細い道。満月が照らす月明かり。

 若い侍。  

 黒い着物、黒い袴。

 2本差、朱塗りの鞘。

 袴の裾はボロボロにすり切れていた。それに対して、朱塗りの鞘はピカピカと光ってはいないが、鈍い光沢があった。

 侍は右手を開き、腕を伸ばして、目の前に差し出した。

 目の前、そこには、侍に負けないくらい汚れた野良犬がいた。

 侍は左頬を、左手でかいた。何かが潰れた感触。侍が指先を見ると、膿で指が汚れていた。ニキビでもつぶしたのだろう。

 野良犬。赤毛で短毛。それほど大きくはない、やせ細った体。シッポは下げていて、ピクリとも動いていない。耳をピンと立てて、舌を出して、侍をジッと見ていた。そのつぶらな瞳には、警戒の色が見られた。

「ホレ、腹減ってるんだろ?

おれも腹ペコだ。

腹ペコ同士、仲良くしよう」

 侍がそう言って、チョイチョイと右手で手招きする。

 野良犬はシッポを下げた位置で、ゆっくりと振り始めた。トコトコと侍に近寄ってくる。

 クンクン。

 鼻を鳴らして、侍の右手の匂いを嗅ぐ。そして、ペロペロと手のひらを舐め始めた。野良犬のシッポは少し位置が上がり、ゆっくりと振り始めた。

「ふふ、くすぐったい」

 侍が野良犬とじゃれていると、それをとがめるように、もう1人の侍が声をかけてきた。

以蔵いぞう

何、野良犬と遊んでいる!

そろそろ、相手が来るぞ」

 すると、以蔵と呼ばれた侍は、もう1人の侍に尋ねた。

「なあ、何か食い物、持ってないか?」

 もう1人の侍。白い袴を履いていた。といっても、薄汚れて、いたるところにシミができている。あきれながらも、白袴の侍は、懐から竹の皮に包んだ握り飯を取り出し、それを以蔵に渡した。

「ありがとう」

 以蔵は握り飯を左手で受け取り、野良犬に舐められたヨダレだらけの右手も使い、2つに割った。

 1/3と2/3のアンバランスに握り飯は割れた。

 握り飯を見て、野良犬はシッポを高々と上げ、小刻みに激しく振り出した。

 以蔵はちょっと悩んで、大っきいほうを野良犬に差し出した。野良犬は以蔵の手から直接握り飯にかぶりつき、ムシャムシャと夢中で食べた。

 以蔵はその様子を見て、やさしくほほ笑んで、小さな握り飯を口に放り込んだ。ムシャムシャと咀嚼して飲み込む。そして、手のひらについた飯粒を舐めた。

「おれの手より、よっぽど旨かったな」

 以蔵は、野良犬のピンと立った耳を折りたたむようにしてなでた。野良犬は目をつむり、舌を大きく出して、よろこんでいた。

 月明かりが雲にかかり、辺りは暗くなった。竹藪沿いの道。街の方から、灯りが見える。提灯の灯りが2つ。灯りに3人の人影。

「お月さんが隠れた思うたら、ちょうどよい目印じゃ。

提灯を持った若い侍と、草履取りは任せたぞ。

おれは、あの高下駄をやる」

 以蔵がそう言って、提灯にはさまれた高下駄の身分の高そうな侍をにらんだ。

「あやつ、神影流の手練れらしいぞ。

大丈夫か?」

 白袴の侍が尋ねた。

 以蔵は刀を鞘から少し抜き、それを戻して、音を立てた。

 金打きんちょうを鳴らしたのだ。

 金打。

 ソレは、武士が堅い約束を交わし、その約束を守ることを示すときに打ち鳴らす、証。

 以蔵の刀の鍔には、赤と茶を基調とした龍が形どられていた。

「関係ないさ」

 以蔵は答えた。

 提灯に向かって歩く2人の侍の背中を、野良犬が見ていた。

 あちらから近づいてくる一行。以蔵たちはあわてる様子もなく、ごく自然に歩き、一行に近寄った。

 一行の先頭は、提灯を持った草履取り。すれ違う瞬間、白袴の侍が草履取りを斬りつけた。袈裟斬り。草履取りが提灯を落とす。ろうそくの火は、提灯に燃え移り、辺りを照らす。鎖骨下の頸動脈を斬られた草履取り。地面に倒れ、わずかに体を動かすが、すぐに動かなくなった。

 ソレを見た若侍。提灯を投げ捨て、即座に刀を抜くが、白袴の侍が袈裟斬りで振り下ろした刀を刃を返し、左斬り上げにしたものだから、その斬撃を刀で受け、勢いのまま、押し込まれた。

 以蔵は、高下駄の侍と対峙した。両者ともあわてる素振りはない。高下駄の侍は、以蔵よりも、10は年が上に見える。絹地の上等な長襦袢を羽織っていた。その装いは、そのまま貫禄となっていた。高下駄の侍はゆっくりと刀を抜いた。

「何者だ?

名を名乗れ」

 落ちついた低い声で名を聞かれ、以蔵は刀に手をかけることもなく、堂々と名乗った。

岡田 以蔵おかだ いぞう

 高下駄の侍は面妖なことに対面したとばかりに、少し首を傾げた。

「賊が、そうやすやすと、名を名乗るものか?」

 高下駄の侍の問いに、以蔵が答えた。

「賊ではない。

金などはいらん。

ただ、あんたのお命を頂戴いたす」

 高下駄の侍。以蔵の言葉に口元をゆるめた。

「取れるかな、はたして」

 以蔵は、腰を落とし、刀の柄に右手をかけた。

「······取るさ」

 高下駄の侍は、飛ぶように高下駄を下りた。白足袋となり、地面を摺り足で距離をつめる。上体をブレさせず、安定して移動する。中段の構えを取っている。剣先は、以蔵の喉元を指している。

 地面の提灯が燃え尽きようとしていた。火が消える瞬間。白足袋となった侍は、刀を振りかぶり、以蔵に斬りかかった。

 ピクッと以蔵の右手が反応し、以蔵は刀を抜いた。


 以蔵いぞう

 岡田 以蔵おかだ いぞう

 土佐勤王党、最強の刺客。

 『天誅の名人』

 『人斬り以蔵』

 そう呼ばれ、恐れられた。

 何人もの人間を斬った。

 名声と富がもたらされた。

 上等な絹の長襦袢を着て、白足袋に高下駄。

 あのとき、斬った侍。

 あの侍に似た装いとなった。

 しかし、姿は変われど、左頬のニキビ痕は変わらない。

 以蔵はポリポリと頬をかいた。

 夜の街を抜け、路地にさしかかった。月明かりの下、以蔵を待っていたかのようにチョコンと一匹の野良犬が道の真ん中に座っていた。

 赤毛で短毛。それほど大きくない、やせ細った体。

 野良犬は、以蔵に気づくと、立ち上がり、すり寄った。

「おまえは、あのときの」

 以蔵が近寄る野良犬に気づいた。思わず、笑みがこぼれる。

 腰を曲げ、右手を開き、腕を伸ばして、目の前に差し出した。

 クンクン。

 野良犬は鼻を鳴らして、以蔵の右手のにおいを嗅ぐ。


 違う。


 野良犬は飛ぶように後ずさった。全身の毛を逆立てて、唸り始めた。

「どうした?」

 以蔵はやさしく、野良犬に語りかけて、一歩前に進んだ。

 野良犬は恐れをなし、踵を返し、高い悲鳴を上げて逃げ出した。

 以蔵は、全速力で走る野良犬を見送った。

 自分の手のひらを見た。

 何一つ汚れていない、キレイな状態。

「おれの手は、

血で汚れてるがぜよ」

 以蔵は右手を握りしめた。

 ギュッと強く。

 手のひらに爪が食い込み、血がにじんでも、ひたすら握り続けた。


『第2話 軍鶏鍋の味』へ続く

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