第13話 数学教師 神楽坂舞子の登壇
ケッヘル111の数理、あるいは一人の女王
火曜日、一限。
平静京ハイエレガンススクールの窓を叩く雨音は、どこか去勢されたシステムの数式のように規則正しかった。
黒い学ランの胸ポケットに、擦り切れたアレクサンドル・デュマの『三銃士』を押し込み、最後列のドブ席で頬杖をつく俺――那須創の視線の先で、教室の重い扉が静かにハック(開放)された。
カツ、カツ、カツ。
入ってきたのは、白衣を羽織った藤平薫子先生とは対照的な、非の打ち所がないほど清楚な紺のブラウスと上品なレースと可愛いフリルのついたロングスカートに身を包んだ女性だった。
だが、その清楚な服装の上からでも隠しきれない、薫子先生の白衣を脅かすほどの圧倒的な美的双丘の質量が、教室の空気の重力を歪めている。
彼女の名は、神楽坂舞子(かぐらざか まいこ)。
俺が目指す【都の西北大学 最先端理工学部数学科】を首席で卒業した、この学園の数学教師。
そして、学園を管理するオンラインゲーム会社のナンバーズ(序列)とは全く異なる、システムの歪みを監視する【歴史の番人:ケッヘル111(K.111)】のコードを持つ女性教師だ。
(……来たな、数理の化け物が)
神楽坂先生は、教壇に立つと、赤メガネの奥から冷徹な視線を走らせる薫子先生の姿を視界の端で捉え――
その瞬間だけ、その美しい瞳の奥に、誰にも見せない狂おしいほどの【百合の情念(パッション)】を明滅させた。
神楽坂舞子と藤平薫子は、中高の同級生。
当時、薫子が学年1位、神楽坂が総合「1点差」で学年2位。
しかし、数学と理科のハッキング(スコア)においてだけは、神楽坂が薫子に全勝して1位の座を死守し続けた。
彼女は、今でも薫子を狂おしいほどに愛している。
だが、その冷徹なポーカーフェイスの裏に情念を完璧にハックし、表には一切出さない。
だからこそ、神楽坂先生の絶対数理の矛先は、いま「薫子が妙に興味を示しているバグ(一浪生・那須創)」へと、獰猛にロックオンされていた。
「これより、一限の数学ポイント確認テスト――通称【ポ確】を始めるわ」
神楽坂先生のソプラノが、清楚な容姿からは想像もつかないほどの威圧感(プレッシャー)を伴って教室に響く。
最前列センターでは、数学偏差値92.3を誇る早瀬詩織(41番)が絶対裸眼を輝かせ、葛城零(40番)が哀愁の数式を展開し始めていた。
「今回の『ポ確』の出題コードは……私の母校、
【都の西北大学 政治経済学部】の、今年の入試過去問から完全サンプリングした数理マトリクスよ。
理系数学学年最下位の誰かさんにとっては、文字通り息の根が止まるルール(クソゲー)でしょうね」
チョークを握る神楽坂先生の指先が、黒板にバキバキと音を立てて凶悪な数式をビルドしていく。
今年から政治学科の受験科目に必須化され、俺を悪戦苦闘させている悪魔の防壁――早稲田政経の数学過去問。
神楽坂先生は、黒板を振り返ると、160センチの俺の体躯を、清楚な笑みの奥の「ガチの嫉妬の覇光」で射抜いた。
(薫子を惑わす不届きなバグ……ここで綺麗に去勢(パージ)してあげるわ)という、無言の百合の圧力が、数式となって俺のデスクに襲いかかる。
だが、俺は学ランの胸ポケットの『三銃士』を強く握りしめ、不敵に笑い返した。
(おもしろいじゃねえか、ケッヘル111……ッ!)
実家の南辰二刀流の5時起床9999段猛ダッシュ、そして科挙の過去問暗記で鍛え上げられた俺の脳のインフラが、神楽坂先生の仕掛けた最先端理工学の数式(グリッド)を逆算し始める。
フルーレ、エペ、サーブルの三刀流を操る俺のパッションが、黒板に刻まれた「都の西北大学の罠」を文字通りバキバキに粉砕(ハック)する瞬間を、俺の魂は今か今かと待ち望んでいた。
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