第11話 詩織の涙、或いは檻の中の最高神ジュピター
セントラル生徒会執務室の大きなステンドグラスの前に立ち、私は一人、夕暮れに染まる平静京の街並みを見下ろしていた。
私の背後で静かに鳴り響くモーツァルト『交響曲第41番(ジュピター)』のホログラムコード。
学園の全モブ生徒を完全支配するナンバーズ41――それが、システムが私に与えた記号(ステータス)だ。
誰もが私を、感情を去勢された冷徹な「秩序の番人」として畏怖し、あるいは羨望の眼差しを向ける。
けれど。
サングラスを外した私の【絶対裸眼】に映る世界は、ただの冷たいチェス盤でしかなかった。
(くすっ……。一瞬だけパッションを放ったかと思えば、ただの身の程知らずな妄想(バグ)だったのね、那須創)
……嘘よ。
一限の教室で、彼にそんな冷酷な言葉を投げつけた私の心臓は、実は、壊れてしまいそうなほど激しく脈動していた。
誰も知らない。
私のこの完璧に調律された人生が、親の絶対的な命令という、理不尽極まるバグによって敷かれたレールの上にあることを。
私の隣、最前列センターの右側に陣取る葛城零(ナンバーズ40)。
彼が、私の『許嫁』だ。
親同士の政治的思惑と、家系のインフラを強固にするためだけに仕組まれた、冷徹な政略結婚。
「哀愁の40番」をまとう零との未来に、私のパッションなど1分子も存在しない。
私は心の中で、その決定に、その汚らしい大人のロジックに、毎日血を吐くような思いで激しく反対し、レジスタンス(抵抗)の炎を燃やし続けていた。
けれど、ナンバーズ41としての私は、その檻から逃げ出すコード(数式)を持たなかった。
「……バカね、創。本当に、大バカ者」
私はそっと、自分の白い首筋に触れた。
放課後、フェンシング部第三道場で私の前に立ちはだかり、フルーレ、エペ、サーブルの三色の閃光を放った、160センチの小さな背中。
実家の地獄のようなスケジュールに反発しながら、理系数学学年最下位の33点という泥をすすりながら、それでも大澤重秀侯爵の背中を追って「都の西北」を目指す彼の姿が、檻の中の私には、眩しくて、 眩しくて仕方がなかった。
『フルーレの気高さ、エペの冷徹さ、サーブルの獰猛さがなきゃ……お前に届く前に、俺の心臓がコンプレックスで破裂しちまうんだよ!!!』
あの時、創が放った三位一体の疾風怒濤の剣筋。
あたかも、19世紀ロマン主義の
シュトゥルム ウント ドランク。
胸ポケットの『三銃士』を握りしめ、私の絶対裸眼を真っ正面から射抜いたあの泥臭いパッション。
その瞬間、私の心の中に、彼に対する【ほのかな、けれど絶対に消えない好意】が、真紅のワインレッドのグリッドとなって完全にアンロックされてしまったのだ。
かつて、システムが始動する前、私のヒーローだった幼馴染。
彼は今も、私のために、私をこの政略結婚の檻から引きずり下ろすために、三本の剣を握ってシステムそのものに反逆しようとしている。
『次の畿内統一大会、俺が三つの剣ですべてを完全完全支配して優勝する。……そしたら、お前がその高嶺の席から飛び降りてくるような、最高の言葉を叩きつけてやるからな!』
「……待っているわよ、創」
私は、誰もいない生徒会執務室で、ぽつりと小さな本音(ノイズ)を漏らした。
もしあなたが本当に、その三刀流のフルーで、葛城零の完璧な数理(ロジック)をバキバキに粉砕して、畿内統一の頂点に立ってくれたなら。
私はこのジュピターの座も、親の命令も、すべてをハック(破棄)して、あなたの元へ飛び降りてあげる。
黄昏が終わり、平静京に冷たい夜の帳が降りる。
冷笑の仮面の裏側で、創の「不届きな騎士道」に己のすべてを賭けることを誓った早瀬詩織。
土曜日の大階段教室、そして葛城零との直接対決へ向けて、二人の運命の歯車は、切なくも最も熱いパッションを帯びて、激しく回転を始めるのだった。
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