「刺さる人にだけ刺さればいい」
とは、わたしのような零細の創り手を嘲笑する意味で使われがちだが、大人気のジャンルだって「刺さる人にしか刺さってない」ことには変わりない。
少なくとも、わたしの周囲にいる「おとな」たちは、敬遠しているし、はっきり下に見ている人だって大勢いる。
天下御免の異世界といえども、ジャンルの外側にいる人たちから見れば、「ああ、なんかトラックに撥ねられて……」こんな程度の認識なのだ。
正直、テンプレ異世界は数年前から「どれもうんざり」「店頭に並んでる本の表紙からして売る気がない」「粗製濫造」など、悪いことしか耳に入ってはいなかった。
異世界ではツヨツヨで若い子にモテモテ。
それを、おじさんたちが読むんだ、ふ~ん。そんな冷ややかな視線。
「ほらほら、やっぱり業績が赤字に転落したじゃん。あんなものばかり次から次へと無駄撃ちしていたら当然だろうね、素人にも分かることがなんで分からないんだろうね」と。
テンプレを莫迦にしているのではない。
「女性向け」ジャンルだって同様だ。
そんな男いるかよ。
そう呟きたくなるような都合のいい大富豪のイケメンにヒロインが溺愛される、この鉄板が日夜量産されている。
テンプレこそ王道なのだから、これは当然のことだ。
異世界ジャンルのトップ層ともなればお化けのようなレビュー数を叩き出しているし、女性向けの「大金持ちのイケメンから溺愛」路線は未来永劫、不動の一位だろう。
しかしである。
一体、どんな人たちがあのテンプレ異世界を読むんだろう?
との疑問は、わたしの中にしつこく残り続けていた。
それがこちらの独白によって、ひじょうにスッキリした。
読書が逃避であるならば、正しく、「異世界」とは逃避だったのだ。
辛い現実と、情けない自分を、読んでいる時だけは忘れることができる魔法の時間。
そこではスカっと爽やかな勧善懲悪や、人のいい仲間がいて、毎日なにかしらイベントが起こってわいわいやっている。
現実では冷めきったコンビニ飯をかきこんでいても、小説の中では、人の手を介した温かいスープが木の匙をつけて出てくる。
「泣いてもいいんだよ」
そう云ってくれる優しい大人がいる。一緒に頑張ろうと手を引いてくれる友がいる。笑顔で寄り添ってくれる可愛い女の子がいる。
ボケ、クズ、無能。
など誰からも云われることがない。云われたとしてもスカっと爽やかに両断してしまう。羽根が生えたようにヒーローになれる。
それでも社会人?
ビジネス書でも読みなよ(笑)
そんな心を抉る言葉を投げつける人間もいない。
クリフハンガー的な終わり方の続きを求めて、隙間時間にひたすらリロードする日々は、「そのために生きている」といっても過言ではなかっただろう。
それは新刊が出る日を心待ちにして書店に足を運んでいた、いつかのわたしたちとまったく同じ、心躍る、「文字の向こうの世界」への耽溺と希求だ。
あいにくとわたしが知る「異世界」とは、すでにテンプレ化し尽して、悪役令嬢ザマァなど、一つの型が出来るとそれっとばかりに雨後の筍状態になる魔窟と化していたのだが、筆者によれば、そうではないという。
初期の異世界ジャンルには、たとえ粗削りであっても、熱い熱い、「どうしてもこれが書きたい」そんな書き手の情熱が渦巻いていたのだそうだ。
その熱量は読者にちゃんと届いていた。
続きが読みたい。
彼らがどうなったかを知りたい。
その気持ちひとつで、自死の衝動を思いとどまった大勢の人がいる。すぱすぱとした語り口で軽快に進む異世界という避難所で傷ついた心と自尊心を癒し、「明日」に繋いでいた人たちがいる。
これほどまでに小説のもつ力が、必要な人のもとに届いていた奇跡はない。
飽和していくばかりの異世界ジャンルへの偏重によって、赤字転落してしまった母屋。
これからどんな方針にしていくのかは不明だが、どうか原点に立ち戻って欲しい。
売れると見込んだものが、どうして片っ端から売れないのかを考えて欲しい。
読者が欲しいものは記号化された流行要素ではない。
その物語世界への、切実なまでの、強い憧れなのだ。