回した首輪に餌をやらない
あずまや
第1話
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野良猫を探しています
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コンビニの前でアイスを食べていると、不思議なポスターが目に入った。
「……野良猫を?」
私は思わず声を上げる。
そのポスターには、探していると思われる猫の写真と、『連絡はこちらまで』という文字と共に、電話番号が書いてある。
飼い猫じゃなく、野良猫を探す。
少しだけ矛盾してそうな文に、笑みが溢れる。
人通りのない深夜で良かった。何もないのに一人で笑っているのを誰かに見られたら、奇異な目で見られてしまう。
私はもう一度、ポスターに目を向ける。
今度は、猫の写真に目が入った。
白い毛色に真っ黒な目が特徴の日本猫。
写真を見る限り健康的で、あまり野良猫には見えない。
……いや、それより。
「可愛い……」
この猫の特徴なんて、『可愛い』の一つでいい。
そう思うほど、惚れ込んでいた。
「野良猫かぁ」
溢しながら、私はアイスを口に入れる。
不思議なポスターを見つけたものだが、そんな偶然この野良猫を見つけたりするものではない。
是非とも見つけてみたいものだが……なんて思っていながらアイスを食べ終え、ゴミを捨てに行こうとしたとき、視界に白色の何かが目に入った。
「……いるし」
コンビニの蛍光灯に照らされ、暗い夜に妙に際立って目立つ白い猫がそこにいた。
私は再度ポスターを見る。やはり、同じ猫のように見える。
……まさか、本当に現れるとは。いや、この辺りにいるからこそ、ここにポスターがあるのかも知れない。
その白猫は、コンビニ前に立ち尽くす私のもとにトコトコとやってくる。
「にゃー」
「……にゃ、にゃぁ(猫真似声)」
無邪気な白猫の声に、つられて声が出てしまう。
……店員さん見てないよね?
ふと思い、ばっと振り返って店内を見てる。
店員さんはぼーっとどこかを眺めていた。
……ほっ。
私は擦り寄ってきた白猫の前にしゃがみ、指で顎を撫でる。
白猫はそれを気持ちよさそうに受け入れた。
どうしようかな、と撫でながら考える。
普通に見つけたんだから電話しろ、という話かもしれないが……。
「——野良猫って、動物愛護センターに連れて行った方がいいんじゃ……?」
首輪の付いていない野良猫なら、このポスターで探している人のものとして扱われることはない。
それに、飼い猫ではない猫をわざわざ探しているとなれば、若干犯罪の匂いがしないでもない。
……まあ、どちらにしても、もう遅い時間だ。
こんな時間に電話するものではないし、ましてや女子高生が外に出歩く時間でもない。
警察に会ったら補導の時間だ。ずっとこの白猫に構っているわけにはいかない。もう十分遅いが、それでも早めに帰らないと。
「じゃあ、バイバイ」
私は白猫の頭を軽く撫でて、アイスのゴミを持ったまま家に向かって足を向けた。
すると、白猫も追うように付いてきたが、やがてコンビニの蛍光灯が当たらなくなると共に、暗さで白猫も見えなくなった。
私は少し寂しさを覚えながら、一人誰もいない夜道を歩いた。
𓃠 𓃠 𓃠
人は一人では生きていけないと言う。
まあ、そらそうだ、と思う。
私の昼食のパンは私の作ったものではないし、そもそも街が整備されてなければ檻の中にいない牛や豚が私を襲いかねない。
ただ、そういう命の話とは別に。
精神的な面ではどうだろう。
一人で食べて、一人で寝て、誰とも関わることになく生きていく生活。
まるで拷問みたいな生活だ。
そう思う感性がある私は、どうやったって一人では生きていけない、となるはずだけど……。
それでも。
可能か不可能かでいえば、可能になってしまうのが世の中だ。
𓃠 𓃠 𓃠
「長くなったなぁ」
バイト帰りの帰り道を歩きながら一人嘆く。
空はすっかり暗くなり、特に人通りの多いわけではないこの通りには私一人だ。
私のバイト先はファミレスだが、今日は二人も休みがいて、いつもより忙しく帰りが遅くなってしまった。
バイト先の人とは話が合わないためあまり関わりたいとは思わないが、これだけ大変になるのは話が違う。
「疲れたぁ」
私は疲労を感じながら、あのコンビニの前を通る。
また、あのポスターが目に入った。
そこには変わらない『野良猫を探しています』の文字。
……昨日、見つけたんだよなぁ。
まあ、結局電話はしなかったけど。
それにしても、探してる人がいてこの辺りにいると目星がついてるのに、見つからないのだろうか。
ポスター自体は張り出されてたのは昨日からだから、目撃者がいないのはおかしくないけど。
案外、昨日出会ったのはたまたまなのかもしれない。
なんて思っていると、暗い夜に浮いて見える白色が現れた。
「……レアじゃないじゃん」
コンビニの蛍光灯に照らされ、ポスターの白猫がトコトコと歩いてくる。
私はしゃがんで近づいてくる猫の頭を撫でる。
「可愛い……」
それにしても、またしても夜に会うとは。いや、私が外にいるのが大体夜だからだろうけど。
もしかしたら、この猫も夜にほっつき歩いているからポスターの人も見つけられないのかもしれない。
スマホを取り出して時間を確認する。
二十二時三十分。
昨日に比べればまだ早い方だが、それでも遅い時間だ。
「……電話するのも、面倒だもんね」
それから、しばらくはただただ白猫を愛でた。
「じゃあ、またね」
今日も白猫に手を振って家に向かう。
今日も白猫は蛍光灯が照らさなくなると、夜の暗闇に消えていった。
夜にコンビニの前にくればあの白猫に会えるということを、どこかふんわりと思っていた。
𓃠 𓃠 𓃠
『一人暮らし、大丈夫?不安なことがあったら遠慮なく言ってね。それと、学校はちゃんと行っておきなさい』
朝起きてスマホを見ると、母さんからメッセージが来ていた。
「なんでバレてるのかねぇ、学校行ってないの」
連絡でもくるのだろうか。
呟きながら、冷蔵庫から作り置きの朝食を取り出す。
私は、高校から一人暮らしをしている。
別に家族が悪いとか、仲が悪いとか、そういうわけではない。
ただ、家族とどこか乖離しているように感じて、特に行きたい高校もなかったから『県外に行きたい高校があるから一人暮らしをしたい』と言って、一人暮らしをさせてもらっている。
高校に行っていないのも、なんとなくだ。
行かなくても成績はある程度あるし、勉強も家で程々にしている。
とはいえ、別に不登校というわけではない。
サボりが多いだけで、たまに顔を出している。
「……そろそろ行くかぁ」
乗り気じゃないが、もう一週間行ってない。
そこまで規則の厳しい学校ではないが、出席日数が足りなくなるのは困る。
遅刻にはなるが——。
「ごちそうさまでした」
パパッと食器を洗って学校に行く準備を済ませる。
「いってきます」
誰もいない家にそう告げて、久しぶりに学校へ向かった。
𓃠 𓃠 𓃠
教室の扉を開けて授業中の教室に入る。
「——になるからここは……あれ、真城。久しぶりだな。遅刻だぞー」
私が入ってきたのを見た先生が授業を中断して声を上げる。
「すみませーん」
適当に返事をして自分の席に着く。
「悠莉久しぶりー」
左隣のクラスメイトが小声で話しかけてくる。
「久しぶり。授業どんな感じ?」
「段々むずくなってきて必死だよー。成績落とすわけにはいかないしねー」
彼女は軽い調子で返すと、再び授業に集中し出した。
私の通うこの高校は地域でも有数の進学校だ。偏差値の高い生徒が多く、勉強に必死な生徒がほとんどだ。
私も席について、普通に授業を受け始める。
そこに焦りも、情熱も、気だるさもなく、ただなんとなく。
𓃠 𓃠 𓃠
「それじゃ、今日はここまで」
授業の終わりを知らせる合図と共に、「あいさつはいいよ」と言って先生が教室を後にする。
「あー、やっと終わったー」
「早く食堂行こーぜー」
昼休みの始まりと共に教室が賑やかになっていく。
この学校の昼休みは食堂が混む。もっと言えば一年生は食堂利用の優先順位が低いため、私はあまり利用しない。代わりに、朝用意した弁当を取り出す。
中身は朝ごはんと同じだ。
冷蔵庫に取り置きしておいた惣菜とご飯を詰めて持ってきた。
「悠莉、一緒に食べよ」
声がして振り向くと、友達の3人がこちらを見ていた。
「うん」
私は弁当を持って席を移動する。
学校に行っていないと言っても、別に友達がいないわけでも、孤立しているわけでもない。
彼女たちはいい人だし、一緒にいるのは嫌いじゃない。
でも、好きになれない。
彼女たちの笑顔も、言葉も、優しさも、どこか違和感がある。
合わせることはできても、合わないと感じる。
一人が「勉強大変だよねー」と言う。
勉強が大変と思ったことも、ましてや簡単とも思ったこともない。
「そうだねぇ」と返す。
一人が「◯◯君かっこよくない?」と楽しそうに語る。
最近よくテレビで見るアイドルだ。確かにかっこいいと思う。かっこいいことが、好きということに繋がるとは限らないけれど。
「分かるよ」と返す。
一人が「うちの猫可愛くない?」とスマホを取り出して写真を見せる。
確かに可愛いし、猫は好きだ。でも、それを誰かと語りたいと思わない。写真を見ても、猫に触れられるわけではない。
「ほんとだ、可愛い」と返す。
人は他人と違うと言う。
それぞれが個性のある個人として独立していて、一人一人が違ってもいいと。
おかしな話だと思う。
他人と違うことを受容してしまえば、一人で生きていかないといけないのに。
どうしたって、合わないことを自覚してしまう。合う合わないを、一々考えてしまう。
無心に、ただ楽しむことなんて出来ない。
自分に誇れる個性もないのに、他人と違えてしまうなら、何一つ肯定できるものなんてない。
一人で生きていくしかないのに、私には何もない。
何もないなら、何かに縋るしかないのに。
𓃠 𓃠 𓃠
「ただいま」
誰もいない家にそう告げる。
何事もなく学校が終わって、友達と途中まで一緒に帰って、途中から一人で帰った。
誰かと帰るのは楽しくない。そこに楽しさとか面白さとかを求めるのなら、私は最初から一人で帰っても変わらないと思う。
でも、誰かといるのに気疲れするとか、一人で帰るのが楽だとかそういうわけでもない。
ただ、どちらも私には合わないというだけだ。
制服を脱いでハンガーにかけ、適当な私服に着替える。
今日はバイトがないからご飯の取り置きを保存出来る分だけ作って、軽く勉強して……。
そこで、あの妙に目立つ白猫が頭に浮かんだ。
時計を見る。時刻は17時30分。暗くなるにはまだまだだ。
テレビを見たり本を読んだり、やれることなら沢山あるが、やりたいこともやるべきことも大してない。
「……あとで、コンビニいこうかな」
夜に出歩くのは好きな方だ。特に用はないが、アイスでも買いに行こう。
一人きりの家で呟いて、台所で料理の準備を始めた。
𓃠 𓃠 𓃠
「百十円です」
ポケットに入れていた二百円を取り出して渡す。
「お釣りとレシートです」
差し出されたそれを受け取って店を出た。
買ったのは、前と同じアタリのないタイプのバニラアイス。
ここに置いてあるアイスの中では1番安く、毎回買うのは大体これだ。
店の外に出て包装を開ける。
食べながら、明るく照らす蛍光灯の下で辺りを見渡した。
相変わらずの暗い夜。昼とは違う、静かさが漂う風景。
異変がない。違和感がない。
普遍的なはずのこの風景が、どこか物足りなく感じる。
ゆっくり食べたアイスもなくなって、広く薄らかに響く空気の音を聴きながらぼうっと暗闇を眺める。
「……来ない、か」
呟いた声は、夜の空気に小さく霧散していった。
コンビニに貼られたポスターを見る。
『野良猫を探しています』
可愛いあの白猫は、探さずとも見つけられる存在ではない。
私も、誰も飼っていない野良猫。
「……案外、レアじゃなかったんだけどなぁ」
そろそろ帰ろう。
もうコンビニに来て何もしない時間を一時間は過ごしている。
そう思い足を動かそうとするが、それに反して足は動かなかった。
ここへ来たのは、ただなんとなくそういう気分だったからだ。
夜に散歩するのは習慣みたいなもので、なんとなくこの場所が思い浮かんで。
別にいないならいないで構わない。
そのはずなのに。
「なんで……?」
小さく疑問が漏れる。
自分で自分がわからないような、そんな感覚。
動かない。動かない。動かない。
いまだ蛍光灯の灯りから離れられないまま、一人夜の風景に立ち尽くす。
そんなとき——路地裏で猫が鳴いた。
自分でもびっくりするぐらい、反応が早かった。
あの白猫だと、声を判別できた。
動かなかった足は、すぐに歩みを進めた。
急ぎ足のままコンビニの隣の路地裏を見る。
暗くて何も見えない。でも、そこに何かがいるという気配は感じた。
「にゃー」
「……いた」
暗闇の奥で、白い毛だけがぼんやり浮かんで見えた。
近づいてくるにつれて灯りに当たっていき、段々と見えやすくなる。
擦り寄ってくる白猫に対して、いつものようにしゃがんで頭を撫でる。
なんでもない一節だった触り心地のいい毛。
私はそこで、自分の感情がわかった気がした。
この白猫を見つけたときの感情。
そこにあったのは、喜びよりも安心だった。
安心、してしまった。
𓃠 𓃠 𓃠
家は好きじゃない。
自立することの孤独を知ってしまうから。
学校は好きじゃない。
成績は同じでも、目指す熱量の違いを実感するから。
夜は嫌いじゃない。
誰もいなければ、誰かとの差異も孤独も感じないから。
猫は好きだ。
ただただ、可愛いだけで居てくれるから。
猫に対して、合う合わないなんて考えない。
ただ可愛いだけの生命体でいてくれるなら、私は無心に、夢中になることができる。
首輪のない白猫。
ポスターを貼った誰かに探されている猫だが、誰のものでもない。
初めて見た時、電話しないでよかったと思った。
会いたいと思えば会える。撫でれる。愛でることができる。
あの白猫を飼いたい。不自然な光景を自然にしたい。
そう、思い始めたのに。
——その日から、あの白猫にまったく会えなくなった。
𓃠 𓃠 𓃠
猫は気まぐれな生き物だ。
二日、三日なら、よくある話だと思えた。
ただ、一ヵ月も会えなければ話は変わってくる。
有り体に言えば、限界だった。
多くは望んでいないはずなのに、欲しいものには触れない。
会いたいと願った瞬間に会えなくなった。
「……どこに行っちゃったんだよ」
コンビニの前で呟いた言葉は、自分にすら聞こえないほど掠れていた。
夜に輝く蛍光灯は私だけを照らす。
暗闇で見えない白猫を見せてくれることはなかった。
何かあったのか。
もうこないのか。
そう考えたところで、あの猫が野良猫だという事実が私に襲いかかる。
誰のものでもない、気ままに歩く野良猫。
私に元にこないというのは、何一つ違和感のない必然だ。
どうしよう。どうすれば。
そう考えたところで、私にはどうしようもなかった。
——本来ならば。
私は不意に、コンビニに貼られたポスターが目に入った。
『野良猫を探しています』
これまで幾度となく眺めて、矛盾していると笑い、あるいは猫を奪われるのが怖くて無視し続けていた文字。
それが今は、まったく違う意味を持って私の目に飛び込んできた。
私は、誰も飼っていないあの白猫の居場所を知らない。
でも、このポスターを貼った『誰か』なら。
このポスターを貼った人は、なんなのだろうか。
私のように、たまたま見つけた野良猫を好きになったのか。
それとも、ただ野良猫を飼いたい人なのか。
あるいは、犯罪に関わっている危ない何かかもしれない。
分からない。何も分からないが、私より前からあの猫を知っていたという事実と、『何かを知っているかも』という想像は止まらなかった。
私は吸い込まれるようにポスターの一番下、今まであえて視界に入れないようにしていた場所に目を向けた。
『連絡はこちらまで』
私はポケットからスマホを取り出す。
今まで、あの白猫と離れたくない、誰か別の飼い主に連れていかれたくないという無意識の恐怖から、頑なに拒んできた。
ポスターに書かれた十一桁の番号。
取り出したスマホに、その番号を一つずつ打ち込んでいく。夜の静寂の中に、電子音が小さく響いた。
すべてを打ち終え、緑色の通話アイコンの上に親指を置く。
時刻は二十三時を回っている。普通の人間なら、こんな時間に電話をかけるのは非常識だし、何より相手がどんな人間かもわからない。女子高生が一人で関わるには、少し危ない気配だってある。
でも、今の私には、他人と合う合わないを気にする余裕なんてなかった。
「……おねがい」
誰にともなく呟き、私は通話ボタンを押した。
スマートフォンを耳に当てる。
プー……、プー……、プー……。
数回の呼び出し音の後、ブツッと繋がる音がする。
『はい、〇〇動物愛護センターです』
……え?
耳に飛び込んできたのは、ひどく間の抜けた、事務的な女性の声だった。
私は一瞬、言葉を失う。
「あの……コンビニの前にある、野良猫を探してるっていうポスターを見て、電話したんですけど……」
『あー、はいはい。あの白猫ですね。目撃情報ですか?』
「あ、いえ、一ヶ月前にはよくこのコンビニの前にいたんですけど、最近まったく見かけなくなってしまって……。あの、あれって飼い主さんが探してるんじゃ……」
思いもしなかった通話相手に困惑してしまう。
パニックになりそうな頭をどうにか動かして、それだけを告げる。
すると、電話の向こうの女性は「ああ、あのポスターですね」と、夜中だというのに驚きもせず、慣れた調子でため息混じりに言った。
『あ、違いますよー。近隣の方から「あの辺りに白い野良猫が居着いてる」って連絡があって。うち、基本的には野良猫の捕獲はしないんですけど、ちょっと迷い猫の可能性もあるかなってことで、職員がとりあえず貼ったやつですね』
「え……?でも……」
言葉を出せないでいると、電話の向こうで、書類をめくるようなガサガサという音が響く。
『あ、でもそれ、文面間違えてますね。『◯◯動物愛護センター』って書き忘れてる。あはは、担当した子が適当にテンプレで作っちゃったのかな。紛らわしくてすみません』
あまりにも、言葉が軽かった。
『まあ、一応貼っただけなんで。目撃情報もないし、そこまで躍起になって探すようなことでもないですから。もうしばらく経つし、明日あたり剥がしに行きますね。お電話ありがとうございましたー』
ツーツー、と無機質な音が耳元で鳴り響く。
私はゆっくりとスマホを耳から離した。画面に表示された「通話終了」の文字が、ひどく冷ややかに私を見つめている。
「……間違えた、だけ?」
私の想像は全部間違っていた。
あの野良猫はどこまでも自由で、気ままで、簡単にいなくなる。
最後に私が縋ったアテは、どこまでも非情に私の希望を打ち砕いた。
そして、いつのまにか頬が濡れていた。ポスターの文字が見えなくなるほど視界が悪くなる。
気づけば、私は泣いていた。
「なんで……」
だって、嫌なことなんてないのだ。
なにもかもつまらないだけ。
気が合う人がいないだけ。
喜びが少ないだけで、嫌いなものも悲しいこともなかった。悲観になってこなかった。
でも——瞬間、感じたのは絶望だった。
あの猫さえいれば。
あの猫がいなければ。
そんな考えが頭を埋め尽くす。そして、気づいた。
これは、執着だ。
家でも、学校でも、バイトでも。
関わり自体は上手くできて。でも、どこまでも合うことはなくて。
だから、合う合わないなどない、ただ愛でればいいだけの猫を選んだ。
苦痛と違和感を運んでくる関わりに距離を置いて、ただ可愛いだけの猫に惹かれていた。
コンビニの前にポイ捨てされたアイスの棒が目に入る。
アタリの文字はないが、ハズレなわけではない。もともと、アタリのないアイスだから。
アタリがないのならハズレも存在しない。それと同じように、嫌いなものがなければ好きなものもないのだろう。
それは、好きなものがあるなら嫌いなものもあるという意味でもある。
だからきっと、『何も嫌いじゃない』というのは私の詭弁だ。
満たされないままやり過ごしてきた世界の全部が、私は本当は大嫌いだった。
猫だけだ。
あの野良猫だけが、私の嫌いだらけの世界に『好き』をもたらしてくれる。
まるで飼い猫のようだ。
私はいつのまにか、見えない首輪をつけられていた。
飼われていないのに、首輪に繋がれたまま離れることができない。離れたくない。
私は、貰えない餌を待ちながら、飼われることなく縛られ続けている野良だ。
「……最悪だ」
飼いたいと思っていた猫に、首輪をつけたいと思っていた猫に、いつのまにか首輪をつけられていた。
人に馴染むことはできるのに満たされないものばかりで、一人で生きていくしかない。
縋る対象が野良猫しかなかった。
——でも、最悪なのはそんなことではない。
最悪なのはあの猫を見つけられないということだ。
やっと、執着できるものを見つけたのに。
ちゃんと餌付けされたいのに。
飼われていたいのに。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
あの日触れた感触さえあれば、他には何もいらない。
ただ一つ、あれさえあれば……——。
𓃠 𓃠 𓃠
学校がある平日の昼間に、私は外を出歩く。
夜と違って人がたくさん歩いている。
私が辿り着いたのは、いつものコンビニ。中にはちらほらと客がうろついている。
いつも見ていたポスターはもうそこにはなく、剥がされたテープの跡が薄らと残っている。
欲しいのはただ一つだ。それ以外何もいらない。
コンビニの店長には許可をもらってきた。他の場所でも、アテは沢山ついている。
やるべきことは決まった。あとは行動するだけ。
写真に興味がない自分の感性を初めて恨んだ。おかげで、動物愛護センターにわざわざ連絡をとって写真をもらいにいく羽目になったのだから。
変わらず昼は大嫌いだ。手短に終わらせよう。
私はコンビニの前に立って、手に持っていたポスターをそこに貼った。
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野良猫を探しています
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回した首輪に餌をやらない あずまや @Azumaya_novel
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