松尾芭蕉の十高弟のひとり、京都嵯峨野の落柿舎でしられる向井去来の、その妹が主役である。
妹といっても、もう三十路近い。
しかも二度も離縁している。
その女、千那が、旅回りを経て江戸に落ち着いたばかりの芭蕉の許に現われて、弟子にしてくれという。
最初は断る芭蕉だが、ちゃきちゃきとした千那に押されるようにして、弟子入りを認める。
なにしろ、料理の腕がいい。
千那がこしらえる毎朝のおいしいお粥に、芭蕉はすっかり胃袋を掴まれてしまう。
動くことが好きな千那は自分で地図を持って江戸の町にぶらりと出て行く。入水を見かけたら「誰かぁ」などと言わず自分が川に飛び込んで助けるという具合。
さあ今日はどんなお粥を作りましょか。
竈を前に、きりりと襷がけをする千那の後ろ姿が見えるようである。
生まれは京でも、千那には京女らしい、何かを含んだような物言いや、くたり、としたところが微塵もない。
畠から採れ立ての土つきの葱のように、しゃっきしゃきなのである。
そこを嫌われて二度も離縁しているのだが、しなしなした女よりも、打てば響くような女がいい、と思う男が江戸にはいる。
京のまちなかを女が走っていたらただの奇異だが、江戸では、
「おっ。どうしたんでえ姐さん」と好奇心で一緒に走る男たちがいる。
面倒事に自ら首を突っ込んでは「任せておくれやす」とばかりに最短距離で解決していく千那の行動力。
江島生島を下敷きにした大事件も、千那の手にかかれば、粋に解決である。
時代ものとなれば、とかく時代考証やら事実との整合性を気にして、固く固く縮こまっていきそうなものだが、九月ソナタさんは、そんなこと知らないよとばかりに江戸の町に想像の羽根を伸ばし、千那や芭蕉を取り巻く人々、江戸の風俗を、軽やかに描き出す。
知恵と人情、女は度胸。
童心の目をもつ千那の読む俳句は、素直でのびやかだ。
湿り気のない千那の気性には、海に直結する大川と、富士の峰、空っ風の吹く江戸がよく似合う。