第14章 予測された炎上

炎上は、起きたのではなかった。

少なくとも、有馬千尋の名前に関しては、自然に燃え広がったとは言いにくい。

速水蓮は、NEXUS本社の小会議室で、検索ログとSNS投稿の時刻を何度も照合していた。画面には、細かな時刻が並んでいる。数字だけを見ていれば、それはただの記録だった。だが、その数字の順番を追うと、まるで誰かが先に導火線を引いていたように見える。

有馬の名前に、仕事の信用を疑わせる候補語が出始めたのは、十八時四十二分。その候補語を見た誰かが、「検索すると妙な言葉が出る」とSNSに書いたのは、十九時十分。

そのあと、葛城玲奈の投稿が入る。

彼女は有馬の名前を直接出していなかった。けれど、フォーラム前夜の空気を知っている人間なら、その投稿が誰を指しているのかはわかる。調査報道が顔で消費される時代、という言葉は、有馬千尋に向けられた刃になった。

そして、その刃はすぐに拾われた。

容姿を揶揄する言葉が、返信や引用で増えた。有馬の仕事ではなく、顔だけを見ればいいという乱暴な見方が、短い投稿の中で何度も繰り返された。

速水は、その流れを時系列に並べながら、胸の奥が冷えるのを感じた。葛城の投稿は、火をつけたように見える。だが、火種はその前に置かれていた。

「葛城さんが最初じゃない」

速水が言った。

会議室には、灰原誠司、霧島直哉、そして湾岸署から戻った三枝徹がいた。三枝は警察側の資料ファイルを机に置き、腕を組んで画面を見ている。

「どういう意味です」

三枝が聞いた。

「容姿を攻撃する言葉は、葛城さんの投稿で強くなっています。でも、有馬さんを疑うための流れは、それより前にできている。十八時台から、彼女の仕事の信用を壊す方向の検索が揃い始めていた」

「葛城は利用された」

灰原が言った。

速水は頷いた。

「はい。彼女の嫉妬は本物です。でも、それは途中で投げ込まれた燃料です。最初に導火線を作った人間とは限らない」

霧島は画面を見たまま、低く言った。

「炎上したから候補語が出たんじゃない。候補語が出たから、炎上したように見えた」

速水は、その言葉に少しだけ苦いものを感じた。自分が言ったことだ。だが、霧島の口から出ると、別の重さがあった。

三枝が画面に顔を近づける。

「警察の証拠として使うには、もう少し整理が必要ですね。つまり、こういうことですか。有馬さんに対する悪意ある検索候補は、SNSで大きく拡散される前から出始めていた。その後、SNS投稿がそれを拾い、さらに検索数が増えた」

「そうです」

速水は答えた。

「見た人が検索し、検索した人がまた投稿する。そこで循環ができています」

「自然な循環ではなく、先に方向づけられた循環」

「その可能性が高いです」

三枝は頷いた。

「可能性、ですね」

「はい」

速水はそこを曖昧にしなかった。

「ログだけで断定はできません。ただ、少なくとも『SNSで炎上した結果として検索候補が出た』という説明は成り立ちません。順番が逆です」

灰原は、黙って画面を見ていた。有馬千尋の部屋には、死ぬ理由が並べられていた。

ネットに追い詰められた。自分の名前を検索して、悪意ある言葉を見た。そして、非常階段から身を投げた。説明としてはわかりやすい。だが、その説明は誰かが先に作っていた。

「予測されていたんだな」

灰原が言った。

速水が顔を上げる。

「何がですか」

「炎上だ」

灰原は画面から目を離さなかった。

「有馬さんが死んだあと、世間がどう読むか。警察がどう見るか。NEXUSがどこで止まるか。どの言葉が彼女の死に理由を与えるか。そこまで予測されている」

霧島が、ゆっくり息を吐いた。

「予測入力の事件で、炎上まで予測されていた」

誰も笑わなかった。

その言葉は、冗談にしては暗すぎた。



葛城玲奈は、二度目の聴取にも応じた。

今度は湾岸署ではなく、NEXUS本社近くの会議室だった。警察署へ呼ぶにはまだ材料が足りない。だが、彼女に確認すべきことはあった。

葛城は、前回と同じ黒い服で現れた。疲れた顔をしていたが、目は相変わらず鋭い。

「私の投稿が燃料になったんですね」

席に着くなり、葛城はそう言った。

三枝は答えを急がなかった。

「その可能性があります」

「可能性ではなく、そうでしょう」

葛城は乾いた声で言った。

「私が投げた言葉は、あの人の顔へ向かっていた。私が一番嫌っていたはずの見方を、私自身が使った」

灰原は葛城を見た。

「あなたの投稿がなければ、あの言葉は広がらなかったかもしれない」

葛城の表情がこわばる。

灰原は続けた。

「だが、あなたの投稿がすべての始まりではない」

葛城は顔を上げた。

「どういう意味ですか」

速水が説明した。

容姿を攻撃する言葉は、葛城の投稿後に広がっている。しかし、有馬の信用を壊すための検索誘導は、それより前から始まっていた。葛城の投稿は、その流れに利用された可能性が高い。

葛城は、しばらく黙って聞いていた。

「利用されたから、私は悪くないと?」

「そうは言っていません。ただ─」

速水が答える前に、葛城自身が言った。

「言わなくていいです。そんな慰めはいりません」

彼女は、自分の手を見た。

「私は、あの人を刺す言葉を選びました。それは私のものです。誰かに利用されたとしても、選んだのは私です」

三枝は静かに聞いていた。

葛城は続けた。

「でも、ひとつだけ気になることがあります」

灰原が目を向ける。

「何です」

「私が投稿する少し前に、匿名のアカウントからメッセージが来ていました」

速水の手が止まった。

「内容は」

「有馬千尋は、また顔で得をする。あなたが書くべきテーマではないですか、というような文面でした」

「残っていますか」

「消しました」

三枝の表情が少しだけ動いた。

葛城は、すぐに続けた。

「ただ、通知メールは残っています。全文ではないですが、冒頭は見えるはずです」

三枝が身を乗り出す。

「提出できますか」

「出します」

葛城はスマートフォンを操作し、通知メールを表示した。差出人は捨てアカウントらしい。文面は短い。

「有馬がフォーラムで注目されるのは、調査ではなく顔のおかげだ。あなたなら、その欺瞞を書けるのではないか。」

葛城は画面を見ながら、唇を噛んだ。

「私は、これを見て腹が立った。差出人にではなく、有馬さんに」

「なぜ」

灰原が聞く。

「わかりません」

葛城は小さく笑った。

「いえ、わかっています。見たかったんです。自分の中にあった悪意を、誰かが先に言葉にしてくれた。だから私は、それを自分の言葉として投稿した」

灰原は、その説明を否定しなかった。

人は、自分の中に最初からあった感情を、他人の言葉で見つけることがある。その瞬間、自分で考えたような気になる。それもまた、予測入力に似ていた。

「そのメッセージの送信時刻は」

三枝が聞いた。

「十九時過ぎです」

「候補語が出たあとですね」

速水が言った。

葛城は顔を上げた。

「候補語?」

「有馬さんの名前に悪意ある候補語が出始めたあとです。その流れを見た誰かが、あなたに火を向けた可能性があります」

葛城は、少しだけ目を閉じた。

「私が燃えやすいと、知っていた」

「そういうことになります」

葛城は何も言わなかった。

灰原は、葛城の机に並んでいた赤字だらけの記事を思い出した。

葛城は有馬を嫌っていた。認めていた。腹を立てていた。だから、火を向ければ燃える。三科なら、それを読めたかもしれない。

もちろん、まだ証拠ではない。

「葛城さん」

灰原が言った。

「その匿名アカウントに心当たりは」

「ありません」

「三科悠介は」

葛城の目がわずかに細くなった。

「三科さんがやったと?」

「聞いているだけです」

葛城は少し考えた。

「彼なら、私が有馬さんに何を感じているかはわかっていたと思います」

「なぜ」

「以前、取材の場で言われたことがあります」

葛城は記憶を探るように目を伏せた。

「あなたは有馬さんを嫌っているのではなく、有馬さんを通して、自分がどう見られているかを見ているんでしょう、と」

会議室が静かになった。

灰原は、その言い方にしっくり来た。三科の言葉だ。相手の感情を否定しない。むしろ、相手自身が気づきたくない場所に、問いを置く。

葛城は苦く笑った。

「腹が立ちました。図星だったから」

「三科は、あなたが燃える場所を知っていた」

灰原が言った。

葛城は否定しなかった。

「たぶん」

その声は、ひどく疲れていた。

「でも、火をつける場所を知っていたことと、火をつけたことは違います」

「わかっている」

灰原は言った。

「だから、証拠を探している」

葛城は、ようやく灰原をまっすぐ見た。

「有馬さんは、殺されたんですか」

灰原は、すぐには答えなかった。

「まだ、そう言えるところまで来ていない」

「そうですか」

葛城は視線を落とした。

「でも、もしそうなら」

言葉がそこで止まった。

三枝が聞く。

「何です」

「私の言葉も、原因の一部ですね」

誰も否定しなかった。

葛城は小さく頷いた。

「わかりました。通知メールも、投稿ログも、全部出します」

その声には、覚悟というより、諦めに近いものがあった。

有馬を一番嫌っていた女。有馬の記事を一番読んでいたかもしれない女。そして、有馬を傷つける言葉を投げた女。

彼女は犯人ではない。だが、無関係でもない。この事件では、そういう人間が何人もいる。



三枝が警察側の資料を広げたのは、その夜だった。

湾岸署の会議室。白い蛍光灯の下に、ホテルの平面図とログの時刻表が並んでいる。三枝は、最初にホテルの構造を説明した。

有馬の客室は十八階の一八一二号室。廊下の東端に非常口があり、そこから屋外非常階段へ出られる。非常階段は低層階の業務区画側へもつながっている。宿泊客の通常導線ではないが、建物の構造上、そこを通れば正面ロビーを経由せずに一部の階へ移動できる。

「三科の供述は変わりました」

三枝は言った。

「最初は、ラウンジで有馬さんと別れ、その後ホテルを出た。次に、非常口前まで行ったが、有馬さんとは会えなかった、と説明した」

「なぜ変えたんです?」

速水が聞く。

「こちらがメッセージを出したからです」

三枝は、三科が有馬へ送った文面を机の上に置いた。

大槻から預かった音声。

人目を避ける。

東側の非常口前。

短い文面だった。

だが、有馬を動かすには十分だった。

三枝は続けた。

「大槻航平は、三科に資料を渡していない。会ってもいない。ここは大槻の証言と三科のメッセージが食い違う」

「三科は、言葉が不正確だったと言った」

灰原が言う。

「ええ。大槻関連の音声という意味だった、と」

「苦しいですね」

速水は表情を変えずに答えた。

「苦しいですが、崩し切るには弱い」

三枝は、そこを曖昧にしなかった。

「次に、Wi-Fi記録です。三科の端末と見られる接続が、二十二時台に十八階東側のアクセスポイントで拾われています。位置精度は高くありませんが、少なくともラウンジ周辺とは考えにくい」

「三科は非常口前に行ったと認めている」

「はい。だからWi-Fiだけでは決定打になりません」

三枝は別の資料を出した。

「問題は、時刻のつながりです」

有馬は二十二時五分に追記を送信した。その約十分後、PCの前面画面が切り替えられた。さらに数分後、十八階東端の非常扉が開いた。同じ時間帯に、三科の端末が十八階東側で拾われている。

三枝は、そこで一度言葉を切った。

「この流れだけを見ると、三科は有馬さんの部屋、または非常口付近にいた可能性がある」

「可能性」

灰原が言う。

「はい。可能性です」

三枝は頷いた。

「しかし、下層側の非常扉ログが加わると、少し変わります」

三枝はホテルの平面図に指を置いた。

「二十二時台後半、低層階の業務区画側非常扉にも開閉記録があります。その数分後、三科はホテル内の別アクセスポイントに接続している。正面ロビーへ戻る導線とは違う動きです」

速水が眉を寄せた。

「非常階段を下りた?」

「その可能性があります」

三枝は言った。

「その後、三科は二十三時過ぎに正面側から退館している。つまり、最終的な退館記録は供述と大きく矛盾しない。しかし、その前の二十二時台に、十八階東側から非常階段を使って移動した可能性が出ている」

灰原は平面図を見ていた。

三科は、ホテルにいたことを隠さない。有馬と会ったことを隠さない。退館時刻も大きくは偽らない。だが、一番重要な場所だけをずらしている。ラウンジで待っていたのではなく、十八階東側にいた。非常口前へ行っただけではなく、非常階段を使った可能性がある。

有馬と会えなかったのではなく、会っていた可能性がある。


「映像は」

灰原が聞いた。

「十八階廊下カメラは、不鮮明ですが、有馬さんらしき人物が非常口へ向かう少し後ろに人影があります。顔までは出ません。ただ、身長や体格は三科と矛盾しない」

「矛盾しない、か」

「はい。証拠としては弱い」

三枝は悔しそうには言わなかった。

ただ事実として言った。

「ですが、PC操作時刻、非常扉ログ、Wi-Fi接続、三科の供述変化を合わせれば、再聴取では十分に使えます」

灰原は頷いた。

三枝は優秀だった。灰原の違和感をそのまま使うのではない。地面に杭を打つように、ひとつずつ動かない事実を置いていく。

「三枝」

灰原が言った。

「三科を非常階段に立たせるところまでは、お前の仕事だ」

「わかっています」

「そこから先は」

「灰原さんの違和感ですか」

「違う」

灰原は首を振った。

「速水のログだ」

速水は顔を上げた。

「僕ですか」

「三科は、非常階段にいただけでは足りない。有馬さんがなぜ死んだのか、その理由をあらかじめ作っていたことを示す必要がある」

「予測された炎上」

速水が低く言った。

「そうだ」

灰原は頷いた。

「有馬さんが死んだあと、何が起きるか。どの候補語が出て、誰が拾い、どの通報が埋もれ、どの画面を警察が見るか。三科はそれを読んでいた」

三枝が言った。

「読んでいたことを、どう証明しますか」

速水は黙って考えた。

三科の過去資料。疑念導線のモデル。有馬の観測ノートへのアクセス。三科の共有資料に含まれる妙な浅さ。葛城を刺激した可能性のある匿名メッセージ。

どれも線にはなる。

だが一本では弱い。

「三科さんのファイルの作成時刻を見ます」

速水は言った。

灰原が目を向ける。

「共有資料か」

「はい。彼が僕たちに出した資料は、事件後に整理し直したと言っていました。ですが、いくつかの解析ファイルは事件前に作られている可能性があります」

「何を見る」

「容姿攻撃の候補語に関するクラスタです」

会議室が静かになった。

速水は続けた。

「有馬さんの観測語には、あの言葉はありませんでした。葛城さんの投稿で広がったあとに強くなった。でも、もし三科さんがその言葉を、広がる前から解析対象として持っていたなら」

「予測していた」

灰原が言った。

「あるいは、仕込んでいた」

三枝の目が鋭くなった。

「それは取れますか」

「ファイルのメタデータと作成履歴を確認します。ただし、外部共有ファイルなので完全ではありません」

「それでもいいです。お願いします」

速水は頷いた。

「今すぐ」



NEXUS本社へ戻ると、速水は三科が共有したフォルダのメタデータを確認した。

霧島も隣で作業を補助する。黒瀬の許可を得て、内部監査ルートで共有履歴と作成時刻を確認する。法務は渋ったが、灰原が短く「人が死んでいる」と言うと、黒瀬が通した。

速水は、三科の資料を一つずつ開いた。

東湾トンネル関連の公開情報。瀬名透の検索変化。有馬千尋の候補語観測。SNS投稿との相関。容姿攻撃語の拡散クラスタ。

そこで、手が止まった。

「あった」

霧島が画面を覗き込む。

「作成時刻は?」

「十八時五十八分」

速水の声が低くなる。

「葛城さんの投稿より前だね」

霧島の顔色が変わった。

「待って。容姿攻撃のクラスタが、葛城さんの投稿前に作られてる?」

「そう」

速水は画面を拡大した。ファイル名は無機質だった。

内容は、有馬千尋の名前に関連する悪意語の分類クラスタ。仕事の信用を疑わせる語、金銭トラブルを匂わせる語、炎上を示す語。そして、容姿を攻撃する語を別クラスタとして扱っている。

作成時刻は、十八時五十八分。葛城の投稿は、そのあとだ。

もちろん、三科は別の場所でその言葉を見ていた可能性もある。匿名投稿や小規模掲示板にすでに出ていたなら、解析対象として取り込んだだけかもしれない。

だが、有馬の観測対象に入っていなかった言葉を、三科は葛城が燃やす前に別クラスタとして持っていた。

これは、ただの偶然では済ましにくい。

霧島が言った。

「三科さんは、あの言葉が広がることを知っていた」

速水は頷かなかった。

「まだ、知っていた、というだけ。作ったとは言えないよ」

「でも」

「でも、かなり近い」

速水は、すぐに灰原へ送信した。

「三科共有資料内に、容姿攻撃語の拡散クラスタあり。作成時刻は18:58。葛城玲奈の投稿より前です。有馬さんの観測語には含まれていません。」

送信から数秒で、灰原から返信が来た。

「保存しろ。元データも追え。」

速水は、短く息を吐いた。

元データ。

そのクラスタが、どこから作られたのか。どの投稿を拾い、どの検索ログを使い、どの時刻に形になったのか。そこを追えば、三科がただ見ていたのか、置いていたのかが見えるかもしれない。

霧島が言った。

「蓮」

「何」

「これ、三科さんが有馬さんに共有していた資料とは別だよ」

速水は目を細めた。

霧島は画面を指した。

「有馬さんとの共有フォルダには、この容姿攻撃語クラスタはない。三科さんが、僕たちに出した整理版にだけ入ってる」

速水は、その意味を考えた。

三科は、有馬の観測にない言葉を、自分の整理版では扱っている。しかも、そのファイルは葛城の投稿より前に作られている。そして事件後、それを何食わぬ顔で共有している。

見せたいのか。

見落としたのか。

あるいは、見せることで「自分は分析者だ」と示したかったのか。

速水は画面を見たまま言った。

「三科さんは、自分が見つけた側だと見せたかった」

霧島が頷く。

「でも、時刻が早すぎる」

「うん」

速水は、指先が冷えるのを感じた。

予測された炎上。

その言葉が、急に現実味を持った。



深夜近く、灰原たちは再び湾岸署の会議室に集まった。三枝は、ホテルのログと映像資料を並べていた。速水は、三科のファイル作成時刻をまとめた。霧島は、NEXUS側の通報ノイズと処理フローを整理した。

それぞれの証拠は、まだ単独では弱い。だが、同じ方向を向き始めている。


三科は、有馬の実験を知っていた。

瀬名透の件にも過去から接点があった。

有馬を非常口前へ呼び出すメッセージを送っていた。

その理由に、大槻航平の名前を使っていた。

大槻は三科に何も渡していない。

三科の端末は、二十二時台に十八階東側で拾われている。

ホテルの非常扉ログは、その時間帯に動いている。

有馬のPC画面は、最後に見ていた瀬名透の資料ではなく、自分の名前の検索画面へ切り替えられていた。

そして三科は、葛城の投稿より前に、容姿攻撃語が広がることを見越したような解析ファイルを持っていた。


灰原は、資料を見ていた。証拠は、まだ言葉になりきっていない。だが、三科悠介という男の輪郭は見えてきた。

三枝が言った。

「明日、三科に再度話を聞きます」

「任意か」

「今は任意です」

「逃げると思うか」

三枝は少し考えた。

「逃げないと思います」

「なぜ」

「自分がまだ説明できると思っているからです」

灰原は頷いた。同意見だった。

三科は逃げない。

逃げれば、自分が置いた問いを回収できなくなる。彼は最後まで、説明する側でいたいはずだ。

速水が言った。

「三科さんは、炎上を予測したんでしょうか」

灰原は速水を見た。

「違う」

速水は少し驚いた顔をした。

「違うんですか」

「予測だけなら、罪にはならない」

灰原は言った。

「三科は、予測できる形にした」

会議室が静かになる。

灰原は続けた。

「人がどう疑うかを知っていた。葛城がどこで燃えるかを知っていた。NEXUSの通報がどこで沈むかを知っていた。警察や会社が、部屋に残された検索画面をどう読むかも知っていた」

「だから、その順番で置いた」

速水が言った。

「そうだ」

灰原は、机の上の資料を閉じた。

「炎上は起きたんじゃない。起きるように置かれた」

霧島が、低く呟いた。

「予測された炎上」

その言葉は、会議室の中に静かに落ちた。

三枝が立ち上がった。

「では、明日は三科悠介に、その予測をどう説明するのか聞きましょう」

灰原も立ち上がった。

「説明させるな」

三枝が見る。

「何です」

「三科は説明がうまい。説明させれば、また問いを置く」

「では?」

灰原は、夜の窓を見た。

「答えさせる」

三枝は、しばらく灰原を見ていた。

やがて、静かに頷いた。

「わかりました」

湾岸署の窓の外で、夜の道路を車のライトが流れていく。有馬千尋が死んだ夜から、数日が経とうとしていた。それでも、彼女の名前はもう何度も検索され、疑われ、説明され、消費されている。

誰かが置いた言葉の上で。


灰原は、会議室のドアへ向かった。

次に会うとき、三科悠介はまた穏やかに話すだろう。

問いを置き、構造を語り、個人ではなく仕組みを見ろと言うだろう。だがもう、灰原はその問いには乗らない。見るべきものは、決まっている。

三科が何を語るかではない。三科が、何を先に置いたかだ。今度は協力者としてではない。

有馬千尋が死んだ夜、彼がどこにいて、何を先に置いたのかを確かめるために。


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