第6章 協力者の問い

事件発覚の翌日、三科悠介は午後三時ちょうどに現れた。遅れもせず、早すぎもせず。

NEXUS本社の来客用会議室に通された男は、黒いステンカラーコートを脱ぎ、椅子の背に丁寧に掛けた。背は高い。細身だが、弱々しくはない。薄いグレーのスーツに、ノーネクタイの白いシャツ。髪は短く整えられ、眼鏡の奥の目はよく動いた。

三科悠介。三十八歳。データ解析者。検索行動コンサルタント。そして有馬千尋の共同研究者。

灰原は、まずそこから疑うことにした。

「お待たせしました」

三科はそう言って、灰原、三枝、速水の順に視線を移した。視線の置き方が丁寧だった。相手を値踏みしているようには見えない。だが、相手が何を知っていて、何を知らないかを確認しているようには見えた。

「灰原誠司です。NEXUS内部監査部」

「存じています」

三科は軽く頭を下げた。

「以前、NEXUSに内部監査が入ったときの方ですね」

「記事になっていないはずだが」

「業界内では、完全に消える情報のほうが少ない」

三科は穏やかに言った。

「もちろん、詳しいことは知りません。ただ、NEXUSが本気で監査を入れた、ということは知っています」

灰原は答えなかった。三枝が警察手帳を示す。

「湾岸署の三枝です。有馬千尋さんの件でお話を伺います」

「ええ」

三科は三枝の手帳を一瞥し、顔を曇らせた。

「信じがたいです。昨夜、会ったばかりでした」

「昨夜、ホテルで有馬さんと会っていますね」

「はい」

三科はすぐに認めた。

「ベイライン東京のラウンジで。十九時半ごろから、三十分ほどだったと思います」

「何を話したんですか」

「翌日のフォーラム資料です。彼女の発表は、検索サジェストが世論形成に与える影響を扱う予定でした。私は、候補語の出現傾向や検索行動の解析部分を手伝っていました」

「そのあと、有馬さんとは?」

「ラウンジで別れました」

答えは滑らかだった。

「彼女は部屋に戻ると言っていました。私は溜まっていた仕事をしてからホテルを出ました」

灰原は、その言い方を聞いた。ホテルを出た。何時に、とは言わない。嘘をついている人間が必ず曖昧に話すわけではない。

だが、正確な人間がある部分だけを曖昧にするとき、そこにはたいてい理由がある。

三枝が聞いた。

「ホテルを出た時刻は覚えていますか」

「二十三時前後だったと思います。正確には、ホテルの記録を見ていただいたほうが早いでしょう」

「確認します」

「もちろんです」

三科は嫌な顔をしなかった。嫌な顔をしない人間は、二種類いる。疑われることに慣れている人間。あるいは、疑われても困らない範囲をあらかじめ決めている人間。

灰原は、まだどちらとも決めなかった。

「有馬さんは、昨夜どんな様子でしたか」

三枝が続けた。

「疲れていました」

三科は少し考え、言葉を選んだ。

「ただ、弱っていたというより、集中していた。彼女はそういう人でした。追い詰められるほど、感情より先に記録へ向かう」

灰原は、その言い方に引っかかった。葛城玲奈も似たことを言っていた。有馬は怒る前に観察する、と。三科も同じ輪郭を見ている。

それは、有馬をよく知る者の証言にも聞こえる。同時に、あらかじめ用意された人物評にも聞こえた。

「あなたは有馬さんをどう見ていましたか」

灰原が聞いた。

三科は、すぐには答えなかった。

「優秀な人でした」

「それだけですか」

「それだけではありません」

三科は薄く笑った。

「危険な人でもありました」

三枝のペンが止まる。

「危険?」

「自分を安全な場所に置かない人です。普通、ネット世論や検索サジェストの汚染を調べるなら、対象を外部に置く。政治家、企業、著名人、告発者。けれど有馬さんは、自分の名前を使った」

「なぜだと思いますか」

「倫理的だったからでしょう」

三科は即答した。

「他人を実験台にしないために、自分を使った。美談に聞こえますが、危うい。自分に向けられる悪意を測定し続けるのは、精神的にかなり負荷がかかる」

「その負荷で自殺したと?」

三枝が聞いた。三科は首を振った。

「私は、そう言っているわけではありません」

「では、何を」

三科は一拍置いた。

「問題は、彼女がどれだけ傷ついたかではありません。誰が、彼女を傷つく方向へ検索させたかです」

灰原は黙っていた。三科は続けた。

「人は、自分で検索したと思いがちです。でも実際には、検索窓にたどり着く前から、いくつもの言葉を見ています。SNSの断片、見出し、引用、誰かの感想、そして候補語。問題は、誰が検索したかではありません。なぜ、その言葉で検索したくなったかです」


速水が、わずかに顔を上げた。三科の言葉は、速水がログから見ていた違和感に近かった。近すぎるほどだった。

「候補語は、世論の鏡ではありません」

三科は言った。

「人が次に何を疑えばいいかを、先に置く装置です」

会議室の空気が、静かに沈んだ。それは説明としては正しい。だが灰原には、正しすぎるように聞こえた。

正しい言葉は、ときどき危ない。相手に反論させない。相手に、自分で納得したような顔をさせる。

三科は、答えを渡しているのではない。次に見るべき方向を置いている。

灰原は、それを覚えておくことにした。



三科は、持参したノートPCを開いた。

「有馬さんと共有していた資料です。もちろん、彼女の未公開原稿や取材源に関わるものは出せません。ただ、検索行動の解析部分は、捜査にも役立つかもしれない」

画面には、三科が作ったという解析ツールが表示された。

検索語の増減、候補語の出現タイミング、SNS投稿との相関、関連する外部ページの見出しが時系列で並ぶ。見やすい画面だった。見やすすぎる、と灰原は思った。複雑なものが、複雑なまま出てこない。

どこを見ればいいかが、最初から決められている。三科は速水へ視線を向けた。

「技術的な細部は、あなたのほうが詳しいでしょう」

「ランキング開発部の速水です」

「存じています。あの事件のあと、社内で名前を聞きました」

速水は少しだけ眉を寄せた。

「社内の人間ではないのに?」

「有馬さんからです。NEXUSにも、ログをちゃんと見る技術者がいる、と」

その言葉に、速水は返事をしなかった。有馬千尋と直接会ったことはない。だが、死んだ人間が自分の名前を知っていたと聞かされるのは、奇妙な感覚だった。

三科は画面を切り替える。

「有馬さんの名前に関する変動は、昨夜かなり急でした。ただ、私はそこだけを見ていませんでした。彼女自身もそうです。彼女が本当に追っていたのは、自分の名前ではなく、過去の告発者に起きたことでした」

「瀬名透」

灰原が言った。三科は頷いた。

「東湾トンネル崩落事故の元関係者です」

「あなたも知っているんですね」

「共同研究者ですから」

三科はさらりと言った。

「有馬さんは、瀬名透という名前の周辺に起きた変化をかなり重視していました。事故後、彼の名前には信用を損なう言葉が結びついた。彼が何を告発しようとしていたかより、彼がどんな人間だったかが先に検索されるようになった」

三枝が聞く。

「瀬名透は、どんな人物だったんです」

「それは、私の専門ではありません」

三科は即答しなかった。一度、言葉を選んだ。

「ただ、検索上では、彼は告発者ではなく、問題のある元社員として扱われていた」

「検索上では」

灰原が繰り返す。

「はい。現実にどうだったかではなく、検索する人が先に見せられる印象としては、そうだった」

三科は手元のトラックパッドを操作した。

画面に、瀬名透という名前の周辺で過去に出現していた候補語が表示される。そこには、横領を疑わせる言葉、虚言や逆恨みを連想させる言葉、退職時のトラブルを匂わせる言葉が並んでいた。

灰原は画面を見た。

その候補語を、そのまま読み上げる必要はなかった。意味は十分に伝わる。

瀬名透という人物を、告発者としてではなく、信用できない元社員として見せる言葉だった。

「有馬さんは、それが作られたものだと考えていた?」

三枝が聞いた。

「少なくとも、自然発生だけでは説明しにくいと考えていました」

「あなたは?」

三科は少し微笑んだ。

「私は、判断を保留していました」

「便利な立場ですね」

三枝の声は低かった。三科は気を悪くした様子もない。

「ええ。分析者には便利な立場が必要です。断定は、証拠が揃ってからでいい」

灰原は、その言葉を聞きながら、三科の画面を見ていた。


整理されている。整いすぎている。

三科が提示する情報には、見るべき順番がある。

有馬の名前の変動。瀬名透の過去。悪意ある候補語。検索の前に置かれる問い。

それらは自然につながっているように見える。だが、自然につながって見えるものほど、誰かが並べている可能性がある。

「三科さん」

灰原が言った。

「あなたは、有馬さんの死をどう見ていますか」

三科は、灰原を見た。

「難しい質問ですね」

「簡単に答えなくていい」

「では、正直に言います」

三科は少しだけ背筋を伸ばした。

「私は、彼女が自殺したとは思いたくありません」

「思いたくない?」

「ええ」

「思わない、ではなく?」

三科は一瞬だけ黙った。

「彼女は、死ぬには調べすぎていた」

灰原は目を細めた。

「調べすぎていた」

「はい。自分の名前の変化だけでなく、瀬名透の件、東湾トンネル崩落事故、サジェストの消失傾向、外部通報の処理。彼女は、問いを途中で投げ出す人ではなかった」

「では、殺されたと?」

「そこまでは言いません」

三科は穏やかに返した。

「ただ、彼女の死が自殺として理解されやすい形になっていることは確かです」

灰原は黙った。三科は、灰原の言葉を使ってはいない。だが、同じ場所を指している。

説明された現場。死ぬ理由が並びすぎた部屋。

三科はその違和感を、最初から知っていたように語る。

「有馬さんが最後に何か残していたことを知っていますか」

灰原が聞いた。三科は首を振った。

「いえ」

「外部通報レポートに追記がありました」

灰原は端末を操作し、三科に一文を見せた。

『私は、私の名前を見ていました。』

三科はその文を数秒見た。顔色は変わらない。

「彼女らしい」

「どういう意味で」

「感情ではなく、観測として書いている」

三科は答えた。

「普通なら、自分への悪意を見ていた、と書く。けれど彼女は、自分の名前を見ていた、と書いた。名前を、自分自身から少し離れた対象として扱っている」

「あなたは、そう読むんですね」

「有馬さんを知っていれば、そう読みます」

三枝が聞いた。

「昨夜、有馬さんはその話をしましたか」

「自分の名前を観測している、という話ですか」

「はい」

「しました。ラウンジで少し。彼女は、自分の名前に結びついた候補語の変化を、瀬名透のケースと比較していました」

「瀬名透のケースと」

「ええ」

三科は少しだけ視線を落とした。

「有馬さんは、自分が傷ついていることを認めるのが下手でした。だから、これは調査だと言い続けていた。でも、私は思います。調査であっても、傷つかないわけではない」

三枝は静かにメモを取った。速水は三科の横顔を見ていた。

言葉がうまい。有馬への理解を語りながら、三科は決して有馬の中心には踏み込まない。感情を語るようで、感情に触れない。

まるで、有馬という人物を、傷ついた調査者として読者に見せるための説明をしているようだった。

読者。

速水は、自分の中に浮かんだその言葉に引っかかった。

これは小説ではない。事件だ。

だが三科の説明は、どこか物語の配置に似ていた。



三枝は、ホテルでの動きをもう一度確認した。

「昨夜、有馬さんとラウンジで別れたあと、あなたはどこにいましたか」

「ラウンジの隅で仕事をしていました。そのあと、ホテルのロビーを出ました」

「有馬さんの客室には行っていない」

「行っていません」

「十八階には?」

三科は、わずかに間を置いた。

「いいえ」

灰原はその間を見た。

短い。だが、ゼロではない。三枝も見逃していないだろう。

「ホテルの記録で確認します」

「もちろんです」

三科は同じ言葉を繰り返した。

「非常階段については」

「使っていません」

「有馬さんが非常階段へ行く理由に心当たりは」

「ありません」

三枝はそこで質問を止めた。今はこれ以上押しても、三科は崩れない。そう判断したのだろう。

灰原は、三科が持参した資料へ視線を戻した。

「この資料は、有馬さんと共有していたものですか」

「一部は。整理し直したものもあります」

「整理し直した」

「捜査や監査で見るなら、そのほうがわかりやすいでしょう」

「誰にとって」

三科は灰原を見た。

「見る人にとって」

「見る人が、どこを見るべきかも整理した?」

三科は、少しだけ笑った。

「情報には順番があります。順番がなければ、人は理解できません」

「順番を決める人間には、力がある」

灰原が言うと、三科は笑みを消した。

「そうですね」

「あなたは、その力をよく知っている」

「仕事ですから」

「検索行動コンサルタント、でしたね」

「ええ」

三科は落ち着いていた。

「企業やメディアが、自分たちの名前をどう検索されているかを見る。どんな疑念を持たれ、どんな言葉で信用を失うのかを把握する。そのための支援をしています」

「信用を失わせる支援も?」

三枝が聞いた。三科は首を振った。

「それは評判操作です。私はしません」

「言い切るんですね」

「言い切らなければ、仕事になりません」

三枝はそれ以上追わなかった。だが速水は、三科の言葉を聞きながら、別のことを考えていた。三科のツールは、見つけるためのものだ。

だが、見つけられるものは、作ることもできるのではないか。どの語がどの程度検索されれば、候補語に影響を与えるのか。どの外部投稿が、どの検索行動を誘うのか。どの時刻に、どの言葉を置けば、もっとも自然に見えるのか。可視化と設計は、反対のようで近い。速水はその考えを、まだ口にしなかった。

証拠がない。


だが、灰原は速水の沈黙を見ていた。

「何かあるか」

灰原が聞いた。速水は少し迷った。

三科の前で言うべきか。言わないべきか。三科がこちらを見ている。

好奇心のある目だ。警戒している目ではない。むしろ、速水が何を考えるのかを見たいという目に見える。速水は慎重に言った。

「三科さんのツールは、候補語の出現傾向をかなり細かく見られるんですね」

「はい」

「なら、逆方向のシミュレーションもできますか」

三科は、わずかに眉を上げた。

「逆方向?」

「どんな検索行動や外部投稿があれば、ある候補語が出やすくなるか」

会議室が静かになった。三科は数秒、速水を見た。それから、静かに笑った。

「できます」

速水は、指先が少し冷えるのを感じた。三科は続けた。

「ただし、理論上は、です。天気予報が雨を予測できても、雨を降らせるわけではないでしょう」

「でも、雲の作り方を知っている人間なら?」

灰原が言った。三科は灰原へ目を向けた。

「面白い比喩ですね」

「答えは」

「データを見ることと、データを汚すことは違います」

三科の声は穏やかだった。

「私は前者です」

「有馬さんも、そう信じていた?」

灰原が聞く。

三科は、すぐには答えなかった。

「有馬さんは、人を疑う仕事をしていました」

やがて、三科は言った。

「ただ、自分が信じると決めた相手には、驚くほどまっすぐでした」

「あなたを信じていた」

「そうであれば、光栄です」

灰原は、その言い方を好まなかった。

信じられていた人間が、光栄という言葉で受け止める。そこには悲しみより、評価への反応が先にある。だが、それだけで罪にはならない。



面談の終わり際、三科は一つのフォルダを共有した。

「有馬さんと使っていた、東湾トンネル崩落事故関連の公開情報です。報道記事、検索傾向、SNSアーカイブ、瀬名透の名前に関する観測記録。未公開の取材源は含めていません」

灰原は、そのフォルダ名を見た。

『Touwan_case_public_analysis』

公開情報の分析。いかにも安全な名前だった。

速水は共有ファイルを開き、ざっと中身を確認する。

事故概要、当時のニュース、施工会社の発表、瀬名透の退職時期、事故後のネット反応。資料はよく整理されていた。

灰原は同じことを感じているのか、画面ではなく三科を見ていた。

「三科さん」

灰原が言った。

「あなたは、有馬さんが死ぬ前に、誰かを疑っていたと思いますか」

三科はコートに手を伸ばしかけて、動きを止めた。

「誰か、ですか」

「ええ」

三科は考えるふりをした。灰原には、そう見えた。

「彼女は、特定の誰かを疑っていたというより、構造を疑っていました」

「構造」

「はい。誰か一人の悪意ではなく、悪意が拡散される仕組み。候補語を見た人間が疑い、疑った人間が検索し、検索がさらに候補語を強める。その循環です」

「つまり、犯人はいないと?」

「そうは言っていません」

三科は微笑む。

「ただ、犯人という言葉は便利すぎます。人は、犯人を見つけると安心する。その一人を責めれば、構造を見ずに済む」

灰原は黙っていた。三科は、また問いを置いた。

犯人ではなく、構造を見ろ。個人ではなく、仕組みを疑え。

その言葉は正しい。

だが、正しい方向へ視線を向けることで、別の何かから目を逸らさせることもできる。

「構造を見ます」

灰原は言った。

「人も見ます」

三科は、灰原の顔を見た。

「刑事だった方らしい」

「今は内部監査だ」

「それでも、人を見るんですね」

「人が死んでいる」

灰原は短く答えた。三科は、少しだけ目を伏せた。

「そうですね」

その沈黙は、深いようにも見えた。浅いようにも見えた。

三科は立ち上がった。

「また必要があれば呼んでください。私は、有馬さんの調査が無駄になるのは嫌です」

「無駄にしないためには、何を見るべきですか」

灰原が聞いた。

三科はドアの前で振り返った。

「出た言葉より、消えた言葉を」


その一言を残し、三科は会議室を出ていった。

ドアが閉まる。しばらく、誰も話さなかった。

三枝が最初に口を開いた。

「協力者に見えますね」

「見えるな」

灰原が言った。

「有能で、情報も出す。逃げる様子もない」

速水は画面を見たまま言った。

「でも、資料が見やすすぎる」

灰原は頷いた。

「見せたい順番がある」

三枝が灰原を見る。

「疑っていますか」

「まだだ」

灰原は、三科が残した資料を見た。

東湾トンネル崩落事故。

瀬名透。

悪意ある候補語。

消えた言葉。

そして、有馬千尋。

資料はすべて、同じ方向を指しているように見える。だからこそ、灰原は信用しなかった。

「ただ、あの男は答えを言わない」

灰原は言った。

「問いを置く」

速水が顔を上げる。

三枝が聞いた。

「それが問題ですか」

「検索サジェストと同じだ」

灰原は、三科が座っていた椅子を見た。

「次に何を疑えばいいかを、先に置く」

会議室のモニターには、三科が共有したフォルダが表示されたままだった。その中に、東湾トンネル崩落事故の年表がある。

有馬が追っていた過去の事故。

瀬名透という告発者。


速水は、そのファイルを開いた。

画面に、五年前の崩落事故の記事が表示される。

作業員三名死亡。

想定外の地盤変動。

安全確認の不備。

施工会社の謝罪。

そして、事故後に退職した元現場監督補佐の名前。

瀬名透。

速水は、静かに言った。

「有馬さんが本当に見ていたのは、こっちですね」

灰原は答えなかった。

有馬が残した問いは、少しずつ過去へ伸び始めていた。

だが、その問いを誰が最初に置いたのかは、まだ見えていない。

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