第4話 高すぎる前金

 王都の冒険者協会には、朝から妙な依頼書が貼られていた。


 報酬は高い。


 仕事内容は曖昧。


 依頼主は王城。


 この3つが揃った依頼は、だいたい危ない。


 王都の冒険者たちは、それをよく知っていた。特に最近のセナン王国では、王城から出る依頼にろくなものがない。報酬の支払いは遅れ、説明は足りず、成功すれば王の手柄、失敗すれば冒険者の責任になる。


 だから、依頼書の前には人が集まったが、誰も手を伸ばさなかった。


「勇者様の旅支度補助、ねえ」


「補助でこの額は変だろ」


「しかも詳細は城で説明だ。絶対あとから何か出る」


「勇者様って、まだ姿を見せてないあの勇者だろ」


「やめとけ。金に釣られると、金を使う前に死ぬぞ」


 冒険者たちは小声でそう言い合い、やがて散っていった。


 依頼書は残った。


 昼前になって、1人の女冒険者が協会へ入ってきた。


 セリアである。


 彼女は外国から来たばかりだった。セナン王国の王都には昨日着いたばかりで、宿代を払った時点で財布の中身はかなり寂しい。装備も立派とは言えない。革鎧は手入れされているが古く、剣も新品ではない。旅慣れてはいるが、裕福には見えなかった。


 実際、裕福ではなかった。


 セリアは掲示板の前に立ち、依頼書を順に眺めた。


 薬草採取。


 荷運びの護衛。


 下水の魔物退治。


 どれも悪くはないが、宿代と食費を考えると心細い。


 その中で、王城の依頼だけがやけに光って見えた。


 報酬が高かったからである。


「……高すぎる」


 セリアは呟いた。


 高すぎる報酬には理由がある。そんなことは彼女も知っている。


 だが、知っていることと、財布が軽いことは別の問題だった。


 受付に確認すると、職員は微妙な顔をした。


「本当に受けますか?」


「その聞き方、やめてくれない?」


「確認です。王城からの急ぎの依頼で、詳しい説明は城で行うそうです」


「危険度は?」


「書類上は低いです」


「書類上は、ね」


 セリアは依頼書を見つめる。


 旅支度補助。


 勇者様の付き添い。


 王城指定。


 報酬は前金半額。


 前金半額。


 その言葉が、彼女の判断を少しだけ鈍らせた。


「受ける」


 受付職員は、心の底から同情するような顔をした。


「わかりました。こちらに署名を」


「その顔、本当にやめて」


 セリアは書類に署名した。


 これが、彼女にとって長い後悔の始まりだった。


 王城へ呼ばれたセリアは、まず応接室に通された。


 部屋は立派だった。椅子は柔らかく、壁には高そうな絵がかかっている。だが、部屋にいる文官と兵士の表情は妙に硬い。


 セリアはその時点で、依頼を断ればよかったかもしれないと思った。


 しかし、前金の袋はすでに机の上に置かれていた。


 銀貨の重みは、思考を鈍らせる。


「依頼内容を説明します」


 文官が書類を読み上げた。


「勇者様が使命のため王都を離れます。あなたには、その護衛および生活補助を担当していただきます」


「護衛はわかる。生活補助って何?」


「移動、食事、休息、その他必要な支援です」


「子どもの世話みたいな言い方ね」


 文官は答えなかった。


 答えないということは、だいたい肯定である。


 セリアの眉が寄った。


「勇者様なんでしょう? 護衛が必要なの?」


「召喚直後で、まだ力が安定していません」


「便利な説明ね」


「事実です」


 文官は淡々としていた。だが、その目はセリアと合っていない。どこか遠くを見ている。


「期間は?」


「当面」


「当面ってどれくらい?」


「状況によります」


「場所は?」


「まずは王都を出て、近隣の町へ」


「目的は?」


「勇者様の旅立ちです」


「答えになってない」


 セリアは腕を組んだ。


 怪しい。


 どう考えても怪しい。


 だが、机の上の前金は現実だった。今さら断れば、違約金を取られる可能性もある。王城相手に揉めるのは避けたい。


 そこへ、扉が開いた。


 兵士が2人、何かを連れてきた。


 最初、セリアはそれが勇者だと気づかなかった。


 小柄な男だった。背は低く、姿勢は悪く、目つきはぼんやりしている。服は新しいものを着せられているようだが、着られているというより布に包まれているように見える。


 そして、近づくと匂った。


 セリアは反射的に半歩下がった。


「……まさか」


 文官が視線を逸らした。


「勇者様です」


「これが?」


「勇者様です」


「本当に?」


「勇者様です」


「同じ言葉を繰り返せば納得すると思ってる?」


 セリアの声が低くなった。


 黎人はそんなやり取りを理解していない。セリアを見て、少しだけ口元を緩めた。


 その表情を見た瞬間、セリアは前金の袋を机に戻そうとした。


 だが、文官の手が素早く袋を押さえた。


「契約は成立しております」


「まだ何も聞いてないことが多すぎる」


「説明はしました」


「肝心なところを全部隠してたでしょう」


「勇者様の詳細は国家機密です」


「便利な言葉ね」


 セリアは歯を食いしばった。


 このまま逃げたい。


 だが相手は王城である。逃げたら逃げたで面倒なことになる。


 その時、部屋の奥からズマルが現れた。


「揉めているようですね」


「揉めるに決まってるでしょう」


 セリアは即答した。


「私は護衛依頼を受けたの。介護依頼を受けた覚えはない」


「勇者様の護衛には、生活補助も含まれます」


「ものは言いようね」


「報酬は十分な額のはずです」


「額だけ見ればね」


 ズマルは穏やかに笑った。


「それと、逃亡防止のため、簡単な呪いを施します」


「は?」


 セリアの手が剣の柄に伸びかけた。


 兵士たちが身構える。


「契約を確実に履行していただくための措置です。勇者様から一定距離以上離れると、痛みが出ます」


「聞いてない」


「今、説明しました」


「そういうのは契約前に言うのよ」


「王城の正式依頼です。逃げられては困りますので」


 ズマルが指を鳴らすと、足元に小さな魔法陣が浮かんだ。


 セリアは後ろへ跳ぼうとした。


 だが、間に合わない。


 赤黒い光が彼女の足首に絡み、すぐに消えた。


 痛みはなかった。


 だからこそ、余計に気味が悪かった。


「……最低」


「仕事ですので」


「あなたたち、勇者様を守りたいんじゃなくて、捨てたいだけでしょう」


 文官が黙った。


 兵士も黙った。


 ズマルだけが、薄く笑っている。


「言葉を選ぶなら、旅立たせたい、ですね」


「同じよ」


 セリアは前金の袋を睨んだ。


 半分はもう自分のものだ。


 だが、その代わりにとんでもない荷物を背負わされた。


 勇者。


 全くそう見えない勇者。


 言葉が通じず、剣も持てず、こちらを妙な目で見てくる小柄な男。


 セリアは深く息を吸い、吐いた。


「名前は?」


「まだ確認できていません」


「名前もわからない勇者を押しつけるの?」


「便宜上、勇者様と」


「呼びたくない」


 セリアは黎人を見た。


 黎人は、彼女の怒りを理解していない。ただ、自分に注目が集まっていることだけはわかっているようで、少し落ち着かない顔をしていた。


 セリアは頭を抱えたくなった。


「どこへ行けばいいの」


「まずは王都の外へ。近隣の町で情報を集め、勇者様の力を安定させる手段を探す、という名目で」


「名目って言ったわね」


「言葉の綾です」


「本音が漏れてるのよ」


 セリアは前金の袋をつかんだ。


 重い。


 腹が立つほど重い。


 これだけあれば、装備も直せる。しばらく食うにも困らない。だが、そのためにこの男と旅をすることになる。


 彼女は人生で何度か、悪い選択をしてきた。


 今回のこれは、かなり上位に入りそうだった。


 その日の夕方、王城の正門が開いた。


 表向きには、勇者の旅立ちである。


 だが見送りは少なかった。王は出てこない。神官の祝福も短い。兵士たちは、早く門を閉めたそうにしている。


 セリアは荷物を背負い、隣に立つ黎人を見た。


 黎人は王都の街並みをぼんやり眺めている。


 緊張感はない。


 使命感もない。


 歩く気力すら怪しい。


「行くわよ」


 言葉は通じない。


 それでもセリアは言った。


 黎人は首を傾げた。


 セリアは彼の袖をつかみ、前へ引いた。


 勇者の旅が始まった。


 少なくとも、書類の上では。


 実際に始まったのは、セリアにとって割に合わない世話係の仕事だった。

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