本文中にこうあるが、これがAIを利用するということなのだ。
『正直に言えば、私の作り方では、何割がAIで何割が人間か、線を引くことができません。AIが書いたものを私が直し、私が書いたものをAIが直し、それを繰り返して1話が形になっていきます。途中でどちらが何を書いたか、もう私にも分かりません。』
現状、AIが作成した文章が約5割を超えたら「AI本文利用」とタグづけをするとのことだが、これはあくまでも自己申告だ。
厳格に線引きが出来るようなものでもなし、AIが生成した箇所が「ここはAIが作りましたよ」とマーカーされているわけでもない。
「かっこいい小説を書きたい」「よい表現はないか」とお願いしてAIがすらすら~と出してくるものをあちこちに使用していても、本人が「5割未満だ」と開き直れば、「AI本文一部利用」、「AI補助利用」のタグでいいのだ。
わたしはタグにAIを見た瞬間に、その作品はAIが書いた、と判断することにしている。
決して潔癖だからではない。
うっかり「ここの展開や、文章力が高くてよかったです」などと褒めてみて、それがAIが作成したものだったりしたら、莫迦をみるのはこちらだからだ。
しかしそんなAIは徐々に当たり前になりつつある。
あまりにも便利だからだ。
推敲をお願いしてみても、「ここはこうした方がいい」と一瞬で整えてくれる。誰もがパーフェクトな文章を手にできる。
一度手を出したら、もう手放せないものなのかもしれない。
その際であっても、せめてABCと三つくらいのAIに同じ文章を添削させて、「違い」があることを確認して欲しい。
AIの云っていることを鵜呑みにしなくてもいいということを頭に叩き込んだ上で使って欲しい。
AIはただ単に文章上の、「こんな感じでどうですか?」を出してきているだけなのだ。
あなたが書きたい小説の「正解」を握っているわけではない。
さて、この方はそこからさらに踏み込んで、本文利用、つまり「AIとの共著」を名乗られておられる。
おそらくもう、独自に使い方のスタイルが決まっていて、AIとラリーをされているのだろう。
その作品が大賞をとった。
そして数ヶ月後に取り消された。
著作権の問題が片付いていない今、出版社側も悩みに悩んでの決断だったのだろう。
「その作品は誰のもの?」
ここの問題はまだ解決をみていない。
AI生成が5割以上であったとしても、創作者の感覚からすると、その作品には自分の血と汗と涙が詰まっていると、主張したいだろう。
「こうしたい、ああしたい」
時間をかけてその都度、軌道修正を試みて、何度も何度も作り変え、道具としてのAIを使っていたのは他でもない作者なのだ。
「この作品にはちゃんと自分のカラーがある。自分の作品だ」
と云いたいことだろう。
読者側からみても、「AI」のタグの有無に気づかぬまま、そのまま素直に面白いと思い、感動したのならば、その感想には嘘はない。
現時点での小説におけるAIは、映画界に特撮が入ってきた時のようだ。
「特撮技術を使って映画をつくりましたが、それがなにか」というような。
AIを利用した小説への評価は、過渡期にある。
そしてAIを利用した小説が、コンテストで次々と大賞を獲るのならば、今後は、AIとの共著の裾野が一気に広がっていくのかもしれない。
「面白い」には罪はないのだから。
作者は「AI本文利用」という一番重いタグを、堂々とつけている。AIとの共作であることを隠していない。
すべての作者がこのように、創作物に対してせめて誠実であれと願わずにはいられない。
いま日本の小説業界は、まだ「AIをどう扱うか」の空気と倫理で揺れている。
けれど、私はいずれ必ず転換点が来ると思っています。
AI本文利用かどうかではなく、 「読者に届くか」 「利益を生むか」 「IPとして強いか」
そこを基準に、出版社・投稿サイトが動き始める時代です。
実際、海外小説投稿サイトはすでに日本市場へ参入し、日本の作家を囲い込み始めています。
面白い作品は、お金になる。 強い作家は、奪い合いになる。
市場原理が本格的に動き出した瞬間、 AI本文利用作家を排除している余裕はなくなる。
私はそう考えています。
AI本文利用。 それを隠さず、堂々と名乗る作家たちの時代は、たぶん思っているより近い。