第156話 一品種の値段

 量産展開室が動き始めて4週目に入ると、保護カバー受けA・Bの試作は、北河が選んだ最終候補会社で進み始めていた。


 加工開始、曲げ工程、処理先への搬出、戻り予定。北河の3人は、それらを自分たちの管理表へ記入し、予定との差が出た時だけ保留を掛けている。黒瀬精機へ毎日の進捗報告は送らず、届いたのは初回確認日を知らせるファクス1枚だけだった。


 その一方で、量産展開室では、2つ目の品種であるセンサー支持具の現状診断が始まっていた。


 月曜日の朝、直人が北河へ出向くと、壁の一覧表には対象機械が14台と記されていた。第1工場に6台、第2工場に5台、第4工場に3台。3つの工場は同じ敷地内にあるが、購買上はすべて同じ品番で発注されている。


 量産展開室の机には、形の異なる古い支持具が3個並んでいた。


「現場に残っていた交換見本です」


 西川徹が説明した。


「これまでは支持具が傷んだ時、外した古い品を製作会社へ渡していました。正式な製作図面はありません」


 3個とも、センサー本体を固定する穴の位置は同じだった。しかし、機械へ取り付ける側の形が異なる。


 第1工場用は、平板を直角に曲げただけの形。第2工場用には3ミリ厚の座金が溶接され、第4工場用には配線を逃がすための切り欠きが設けられている。


「伝票は、全部同じ品番なんですね」


 直人が確認すると、片岡は過去2年分の発注記録を開いた。


「はい。注文する時に、古い見本を一緒に渡していました。伝票には、どの工場用か書いてありません」


 見本を運んだ者の名前も、戻ってきた品を使った機械の番号も残っていない。製作会社側が、見本を見て同じ形を作っていたから成り立っていただけだった。


「3つの形は、北河さんで分けたんですか」


「14台の写真と取付寸法を並べました」


 西川が機械管理番号ごとの一覧表を差し出した。


 第1工場の6台は同じ条件で、第2工場の5台も座金を含めて一致している。第4工場の3台は、配線の出口が反対側にあるため、切り欠きがなければ線へ当たる。


 北河側の3人は、黒瀬へ問い合わせる前に、3つの使用区分まで整理していた。


「候補会社は、3種類とも同じところへ頼めるよう探します」


 購買担当者が言った。


「同じ支持具ですし、同じ会社、同じ訪問日、同じ初回確認日にまとめられるなら、2つ目の1品種として進められますよね」


 直人はすぐには答えず、持参した契約書と、保護カバー受けA・Bを分けた時の協議記録を並べた。


 A・Bは、すでに存在していた1枚の正式図面を基に、使用工場の違いを整理したものだった。候補会社、材料、加工工程、現場訪問日、初回確認日を共通にできたため、北河と黒瀬が協議したうえで、例外的に1品種の範囲へ収めている。


 ただし、その記録には条件も書かれていた。


 候補会社が分かれる場合、確認日が分かれる場合、または独立した確認方法を追加する場合は、別途見積もりとする。


「保護カバー受けは、元になる正式図面がありました」


 直人は、机の3個を順に見た。


「今回は、元の図面が1枚もありません。3つの形について、それぞれ取付条件を決めて、図面へ起こし、試作記録を分ける必要があります」


「図面を作るのは北河です」


「図面を引く代金の話やありません。その図面へ何を入れるかを整理して、候補会社が3つを混ぜずに作れるか、試作品がそれぞれの機械へ使えるかを確認する仕事です」


 購買担当者は、A・Bの協議記録を読み返した。


「現場へ行く回数が同じでも、追加になると」


「移動時間は増えません。けど、事前に読む資料も、確認する図面も、試作記録も3つになります」


 西川が机の上の支持具を指した。


「第2工場用から座金をなくせば、センサーの高さが変わります。第4工場用から切り欠きをなくせば、配線に当たります。こちらで3種類として止めたのに、黒瀬さんへ頼む時だけ1種類として扱うのは違うと思います」


 購買担当者は反論せず、契約別紙を開いた。


 そこには、最初の2品種について、現状診断、候補選定支援、最終候補1社への同行、初回試作確認までを含むとある。一方、図面化前の条件整理が複数に分かれる場合や、独立した確認記録が必要になる場合は、別途協議と記されていた。


「今日は現状診断までにしましょう」


 片岡が言った。


「追加範囲が決まるまで、契約上の扱いを保留します。正式図面の送付と試作開始も、別の保留として残します」


 西川は管理表へ、3つの欄を作った。


 契約範囲確認保留。


 正式図面送付保留。


 試作開始保留。


 午後2時15分、3項目すべてに開始時刻が記入された。


 ただし、現状診断まで止めたわけではない。北河側で行う測定や、図面を作るための資料整理は続けられる。


 直人は3区分について、図面化前に確認すべき項目だけを残した。


 第1工場用は、取付面からセンサー中心までの高さ。第2工場用は、座金の材質、厚み、溶接位置。第4工場用は、切り欠き寸法と、機械が動いた時に配線が振れる範囲である。


 初回確認で取り付けるのは、各工場の代表機械1台ずつとした。14台すべてへの取付確認は、量産開始後に北河側で行い、初回3台の結果と異なる機械があれば、その時点で保留する。


 確認台や試作記録の具体的な形を作るのは、追加契約が決まってからである。


 黒瀬精機へ戻ると、佐野真紀が3区分分の資料を机へ広げた。


「元の契約で、最初の1区分までは見られます」


 佐野は作業項目を紙へ書き出した。


「追加は第2工場用と第4工場用の2区分です。図面そのものは松村さんが作りますけど、こちらでは取付条件の読み合わせ、候補会社の作業票、試作記録、現場での取付確認が2つずつ増えます」


「訪問日は一緒にできると思います」


「一緒にできるなら、移動時間と訪問基本料を3倍にはしなくて済みます。ただ、訪問前と訪問後の仕事は増えます」


 佐野は、保護カバー受けA・Bで実際に掛かった時間を基に、追加分を積み上げた。


 1区分につき、使用条件の確認に延べ4時間。候補会社へ渡す確認項目と記録様式の準備に延べ5時間。試作記録の確認と代表機械への取付確認に延べ5時間。北河との打ち合わせ、書類の改訂、差し戻し分を加えると、1区分につき延べ約18時間になる。


 追加2区分で、延べ36時間。


 直人だけの時間ではない。佐野が書類を整える時間、森川が試作品と確認方法を見る時間も含まれている。


「現場へ行く日が増えへんなら、ほとんど変わらんと思ってました」


 直人が言うと、佐野は時間表の中央を指した。


「現場にいる時間だけなら、そう見えます。でも、違う図面を読むのも、番号を分けるのも、戻ってきた記録を見るのも、工場の外へ出ていない時間です」


 森川は、3区分の確認順を考えながら作業表を見た。


「同じ日に3つ確認するなら、箱も記録も完全に分けとかんと混ざります。確認台も、取付側の形が違うなら共用できるか分かりません」


「候補会社が分かれたり、確認日が2日になったら、さらに増えるな」


 隆夫が言った。


「今回は候補会社1社、訪問1日、初回確認1日で済む場合だけの金額を出す。分かれたら、追加を出し直す」


 追加する2区分は、それぞれ18万円。


 合計36万円。


 北河側で行う図面作成と、候補会社が作る試作品の費用は含まない。候補会社が分かれた場合、現場訪問が2日以上になった場合、初回確認を別日に行う場合は再見積もりとする。


 期間も、そのままにはしなかった。


 当初の契約は8週間だったが、延べ36時間の作業を通常業務へ押し込めば、黒瀬側が無理を背負うことになる。


「1週間延ばそう」


 隆夫が言った。


「追加契約が入るなら、終了予定を9週間目まで延長する。北河さんの図面や候補会社選定が遅れた時は、そこから先も再協議や」


 見積書の品名は、単なる「センサー支持具追加分」にはしなかった。


「センサー支持具 第2工場用・第4工場用の追加使用区分2件に対する量産展開支援」


 第1工場用は、元の契約範囲に含む。何に36万円が掛かるのか、後から見ても分かる形にした。


 火曜日に見積書と契約期間変更案を整え、水曜日の午前10時、佐野が北河へファクスを送った。


 昼前、購買担当者から電話が入った。


 受けた谷口佳代は値段の説明をせず、相手の名前、用件、回答を求める時刻を復唱して記録した。


「同じ品番なのに、なぜ追加になるのか、社内から説明を求められているそうです」


 谷口が伝言票を隆夫へ渡した。


 隆夫は、片岡、西川、購買担当者の3人が揃う午後1時に折り返した。


「品番の数へ値段を付けたんやありません。独立して確認する仕事が2つ増えた分です」


「3つとも同じ会社へ出し、同じ日に確認する予定です」


「まとめられるから、訪問基本料と移動時間は1回分です。別の日になれば、36万円では受けられません」


「北河で3枚の図面を作っても、追加になるんですね」


「図面を引く費用は入れてません。3枚の図面がそれぞれの機械条件を満たしているか、候補会社が混ぜずに作れるか、試作品が3台へ正しく付くかを確認する費用です」


 北河はその場で回答を出さなかった。


 量産展開室では3つの保留が続いていたが、担当者たちは何もせず待っていたわけではない。


 松村係長は14台の取付面を再測定し、3種類の図面を作るための数値を揃えた。西川は古い見本3個へ仮の管理番号を付け、回収元と使用工場を記録する。片岡は候補会社へ求める設備と、通常勤務内で作れる数を整理した。


 購買担当者も、過去の伝票から同じ製作会社へ支払った単価を洗い出した。


 そこで、別の違いが見つかった。


 同じ品番でありながら、注文単価が3種類に分かれていた。数量差だけでは説明できず、第2工場用は座金と溶接分、第4工場用は切り欠き加工分が、製作会社の判断で上乗せされていた可能性が高い。


 北河は、これまでも3種類分の手間を払っていた。


 ただし、その違いを図面にも品番にも残さず、伝票の単価だけで受け入れていたのである。


 金曜日の午後、片岡から連絡が入った。


「社内承認が下りました。追加36万円と、契約期間を1週間延長する条件で進めます」


 翌週月曜日、正式な追加注文書が黒瀬精機へ届いた。


 条件欄には、候補会社1社、現場訪問1日、初回確認1日を前提とし、いずれかが分かれる場合は再協議と記されている。契約終了予定も、当初の8週間目から9週間目へ変更されていた。


 186万円の本体契約と合わせ、今回の量産展開支援は222万円となる。


 注文書を確認した佐野が北河へ連絡すると、西川は管理表の「契約範囲確認保留」だけを解除した。


 正式図面送付保留と試作開始保留は残したままである。


 3種類の図面が完成し、機械管理番号との対応が確認されるまでは候補会社へ渡さない。候補会社の作業票と箱の区分が整うまでは、試作も始めない。


 金額が決まったことで、すべてを動かしたわけではなかった。


 動かしてよい仕事だけが、1つ先へ進んだ。


 その日の夕方、佐野は黒瀬精機で使う見積書式を修正した。


 品種名の下へ、5つの欄が加わる。


 現行図面数。使用区分数。候補会社数。現場訪問日数。初回確認日数。


 同じ品番かどうかを記す欄は、料金表には作らなかった。


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