第120話 棚に置くもの
倉田精密から届いたのは、加工図面ではなかった。
A4の紙に、棚の写真が四枚貼られている。
治具。
交換爪。
測定用の当て板。
小さなストッパー。
それぞれ箱には入っているが、箱の大きさも札の位置もばらばらだった。
「これ、相談らしい」
隆夫が紙を机へ置く。
直人は一枚目の写真を見た。
「何が困ってるん?」
「探す時間が増えてるって」
「治具?」
「治具もある。けど、それだけちゃう」
倉田精密では、以前から黒瀬精機が作った標準台座や交換部品を使っている。
その周辺で、番号札や保管札も少しずつ採用されていた。
最初に番号札を納めた時、黒瀬はそれを《クロフィックス 番号札・保管札 試用セット》として出している。
クロフィックスという名前そのものは、もともと標準台座型の治具につけた外向けの呼び名だった。
それを後から、治具と一緒に使う番号札や保管用品にも広げ始めた。
ただし、名前を同じにしたからといって、全部が同じ技術や権利で守られているわけではない。
その区別は、黒瀬側でも崩さないようにしていた。
「倉田さん、何作ってほしいん?」
美智子が聞く。
「まだ決まってへん」
「またそこから?」
「そう」
隆夫が写真を指す。
「箱をそろえるんか、仕切り作るんか、札だけ変えるんか。一回来て見てほしいって」
直人は写真の二段目を見た。
一つの棚に、三種類の箱がある。
段ボール箱。
樹脂箱。
ふたのない通い箱。
その手前へ手書き札が差し込まれていた。
「森川さん」
工場から戻ってきた森川修一へ、直人が写真を渡した。
「これ見て、何が一番嫌?」
「現場の?」
「うん」
森川はすぐ答えなかった。
一枚ずつ見る。
「この箱」
「どれ?」
「上から二段目の右」
小さな樹脂箱だった。
「何入ってるか分からん?」
「それもですけど、奥に別の物あるでしょう」
写真をよく見ると、手前の箱の後ろに薄い金属板が立てかけられている。
「これ取る時、前の箱全部どけるんちゃいます?」
「ほんまやな」
「札そろえても、置き方そのままなら探す時間あんまり減らんと思います」
直人は頷いた。
番号を付ける。
札を付ける。
箱をそろえる。
それだけなら商品としては作りやすい。
だが棚の前で人が毎日どんな動きをしているかを無視して、きれいな収納用品だけ持ち込んでも意味がない。
「見に行こか」
隆夫が言った。
数日後。
倉田精密の工場で、直人たちは写真に写っていた棚の前へ立った。
高さは人の肩より少し上。
幅は二メートルほど。
五段に分かれ、それぞれへ大小の箱が押し込まれている。
「写真より多いな」
直人が言う。
倉田側の担当者が苦笑した。
「撮ってからまた増えまして」
「何個あります?」
「ちゃんと数えてないです」
「まずそれからやな」
森川が棚の前に立った。
「一番よく使う物どれです?」
担当者が中段から青い樹脂箱を引き出した。
「この治具です。月に何回か」
「それがそこ?」
「はい」
「じゃあ、この上の箱は?」
「半年に一回使うかどうか」
「何で上と中、逆にせえへんの?」
「……昔からです」
森川が直人を見る。
それだけで、箱を全部買い替える必要がないことは分かった。
「棚の位置変えるだけで結構変わりそうですね」
直人が言った。
「そうでしょうか」
「毎月使う物を取りやすい高さ。ほとんど使わん物は上か下。まずそれやって、それでも分からん物だけ札や仕切り考えた方がいいです」
担当者は少し拍子抜けしたようだった。
「もっとこう、標準セットみたいなものを持ってこられるのかと思ってました」
「作れますよ」
直人は答えた。
「でも、棚の使い方まで同じとは限らんでしょう」
倉田精密だけでも、旋盤側と検査側では置いている物が違う。
重量も違う。
使用頻度も違う。
同じ箱を同じ段数で並べれば整うというものではない。
「今困ってるのは、どんな時です?」
直人が聞く。
「人が代わった時ですね」
「担当以外が探す?」
「はい。普段使ってる人なら分かるんですけど、休みの日とか、別の班が借りる時に」
「戻す場所は?」
「それも人によります」
そこだった。
探す時間より、戻す場所が人によって違う。
一度違う場所へ戻れば、次からさらに探す時間が増える。
「番号札は使ってるでしょう?」
隆夫が聞いた。
「使ってます。ただ、治具側には番号があるのに、棚側にない場所もあります」
「それやったら番号持ってても戻せへんな」
「はい」
以前納めた保管札は、治具そのものを見分けるのには役立っていた。
だが、どこへ戻すかまでは棚全部へ展開されていない。
直人はメモ帳へ棚を簡単に描いた。
上から一段、二段。
左からA、B、C。
最初はそう書きかけて、手を止める。
「これ、棚入れ替えたら番号変わるな」
「何が?」
隆夫が覗く。
「二段目のBとかで場所決めたら、棚一個増やしただけで全部ずれる」
「じゃあどうする?」
「棚自体に番号付ける?」
森川が答えた。
「棚一号、二号。段も上から一、二でええんちゃいます?」
「箱の場所まで固定する?」
「全部はせん方がいいと思います」
「なんで?」
「物増えたら詰むからです」
担当者も頷いた。
「それあります。新しい治具が増えるたびに場所なくなるんで」
「なら、保管場所は細かく固定しすぎん」
直人は書き直した。
《棚番号》
《段》
《分類》
そこまで。
同じ段の中でどの箱が右か左かまでは決めない。
たとえば、
《棚2・三段目・検査用》
まで分かれば、探す範囲は十分小さい。
「でも似た箱が並んだら?」
担当者が聞く。
「そこで番号札使います」
直人が答える。
「何番の治具かは箱と中身で合わせる。戻す場所は棚側の表示で合わせる」
「二つ番号持つ?」
「役割が違います」
森川が横から言った。
「治具番号は物の名前みたいなもんです。棚番号は住所ですね」
「なるほど」
「ただ住所、細かくしすぎたら引っ越しばっかりになりますけど」
担当者が笑った。
午前中いっぱい使って、棚の中身を全部出すことはしなかった。
使用頻度だけ聞き、よく使う物から順に置き直した。
同時に、明らかに用途不明の物は別箱へ集める。
捨てない。
現場で分からないからと、黒瀬が廃棄を決めることもしない。
《用途確認》
とだけ札を付けた。
「これ、クロフィックスで作ります?」
倉田側の担当者が、試作用に持ってきた札を見ながら聞いた。
直人は少し間を置いた。
「名前としては、そういうまとめ方を考えてます」
「前の治具と同じクロフィックス?」
「元はあの標準治具の名前です」
「ですよね」
「そこから、治具と一緒に使う番号札や保管札も同じ名前で出し始めました」
直人は説明を続けた。
「ただ、箱や札まで治具と同じ実用新案の対象です、いう意味ちゃいます」
担当者が顔を上げる。
「違うんですか」
「違います。標準台座の構造について出したものと、番号札や箱の使い方は別です」
隆夫も補った。
「名前を一緒にしてるだけで、権利まで全部一緒にしたらあかん」
「じゃあ、クロフィックスって何になるんです?」
直人は棚を見た。
「今は、標準治具を中心にした関連用品の外向けの名前、ですかね」
「今は?」
「まだ広げ方見てる途中なんです」
「完成してない?」
「会社で使う物なんて、最初から完成せんでしょう」
倉田の担当者が笑った。
「黒瀬さんらしいですね」
現場で試すものとして、三種類を作ることになった。
保管箱。
中の仕切り。
番号札と保管場所札。
ただし、すべて新品でそろえるわけではない。
今使っている箱で寸法が合うものはそのまま使う。
仕切りが必要な箱だけ、樹脂板で差し込み式のものを作る。
札も既存のものを流用できるところは流用する。
「標準セットって言うても、箱まで必ずうちから買ってもらう必要ないよな」
黒瀬へ戻ってから、直人が言った。
隆夫が頷く。
「市販箱で合うなら、それ使ったらええ」
「それで商品になる?」
美智子が聞く。
「全部物で売ろうとするからややこしいんちゃう?」
「どういうこと?」
「標準になる寸法を決める」
直人は紙に箱の幅と奥行きを書いた。
「この大きさの箱なら仕切りが入る。この札受けが付く。別メーカーの箱でも寸法合えば使える」
「黒瀬が箱屋になる必要ない?」
「うん」
「仕切りと札だけ売る?」
「必要なら箱もまとめる。でも選べるようにしとく」
森川が工場から戻ってきた。
「箱の高さは二種類ぐらい欲しいですよ」
「何で?」
「治具と交換爪、一緒の箱に入れたら深さ違うでしょう」
「仕切りだけ共通にできる?」
「幅そろえたらいけるかもしれません」
「試してみよ」
数日後、大西樹脂へ仕切り板の試作を頼んだ。
工具なしで抜き差しできる。
ただし、持ち上げただけで外れない程度には噛む。
箱そのものへ穴を開けず、市販品にも使える形を優先した。
番号札は、以前から使っている保管札を少し変えた。
治具番号。
品名。
使用先。
保管棚。
全部を書けるが、必須欄を増やしすぎない。
「これ、何て出す?」
佐野が試作用の説明紙を作りながら聞いた。
「クロフィックス標準セット?」
直人が答えたあと、自分で少し考えた。
「いや、それだけやと治具セットと勘違いされるな」
「じゃあ《クロフィックス 保管標準セット》?」
「それなら分かるか」
「中身、箱、仕切り、番号札、保管場所札?」
「箱は選択にしよう。持ってる箱使える会社もある」
「じゃあ固定で入るのは仕切りと札?」
「それと置き方の例」
佐野が画面へ入力する。
「権利表示は?」
直人はすぐ答えた。
「保管セットには付けへん」
「クロフィックス名は使うのに?」
「名前と実用新案は別やから」
「標準治具側の資料は?」
「そっちは該当するものだけ、確認してる表示を使う。何でもまとめて書かん」
佐野が頷いた。
そこは曖昧にしなかった。
標準台座型の治具について整理してきた技術上の権利と、保管箱や仕切り、番号札を使った管理方法。
同じクロフィックスの名前の下へ置くことはできる。
しかし、一つの権利ですべてを囲っているように見せることはしない。
それは営業上も危なかった。
倉田精密へ最初の試用分を持ち込んだ。
棚一段だけ。
全部は変えない。
「ここだけ?」
担当者が聞く。
「一週間使ってからです」
直人が答えた。
「全部やって失敗したら戻すの大変なんで」
対象は、使用頻度の高い治具と交換部品が集まる一段だった。
箱の幅をそろえ、必要なものだけ仕切る。
前面には治具番号。
棚側には保管区分。
札は色だけに頼らず、文字と番号で読めるようにした。
その日の夕方、担当外の作業者に一つだけ頼んだ。
「これ、元へ戻してもらえます?」
手渡したのは交換爪だった。
作業者は札を見る。
棚番号を見る。
一度だけ別の段へ目をやったあと、正しい箱へ戻した。
「前からここ知ってました?」
直人が聞く。
「いや、この爪使ったことないです」
「じゃあ分かった?」
「札に書いてありますから」
それで十分だった。
一週間後。
倉田精密から追加注文が来た。
ただし「棚全部」ではない。
まず二段分。
今使っている箱を流用し、仕切りと札を追加する。
「箱売れへんかったな」
隆夫が笑う。
「ええやん」
「商売人としては?」
「要らん物売って一回儲けるより、使える形にした方が次来るやろ」
「言うようになったな」
「もう子供ちゃうで」
「知ってるわ」
美智子が見積書を確認する。
「これ、名前は?」
「《クロフィックス 保管標準セット》」
「治具の方と混ざらへん?」
「説明に書いとく」
佐野が見積書の備考欄へ短く入れた。
《標準治具クロフィックスに関連して使用する保管用品。箱・仕切り・番号札等の組合せは使用環境に応じて選定》
実用新案の文字は入っていない。
必要がないからだ。
それから少しずつ、倉田精密以外からも「同じように棚を整理できないか」という相談が来るようになった。
黒瀬精機は、どの会社にも同じ箱を押し込まなかった。
棚の寸法。
物の重さ。
使用頻度。
誰が戻すか。
そこを見てから、必要な物だけを組み合わせた。
標準なのは、箱の色でも棚の形でもない。
物と記録と戻す場所をつなげる考え方と、それに使いやすい寸法の組み合わせだった。
ある日の夕方。
森川が黒瀬精機の自社棚を見ながら言った。
「直人さん」
「何?」
「人んとこの棚ばっかり直して、うちのここ汚いですよ」
指された場所には、古い交換爪と測定当て板が同じ箱へ入っている。
直人は黙った。
「……明日やろか」
「今日ちゃうんです?」
「もう終業や」
「それなら明日ですね」
隆夫が横から笑う。
「売る前に自分とこやれ言われるぞ」
「もう売った後や」
「もっとあかんやん」
翌朝、黒瀬精機の棚にも一つだけ同じ仕切りが入った。
自社で使ってみれば、問題もすぐ出た。
小さな当て板は仕切りの下へ潜る。
薄い物には底側にも工夫が必要だった。
「これ、倉田さんのとこ大丈夫?」
直人が聞く。
「向こうはもっと厚い物しか入れてません」
森川が答える。
「じゃあ用途別か」
「全部共通にしようとするからです」
「標準セットやのに」
「標準は一種類って意味ちゃうでしょう」
直人は笑った。
「それ、採用」
「また俺の言葉取る」
「給料に入ってる」
「安いなあ」
工場に笑い声が広がった。
棚には、クロフィックスの文字が付いた札がある。
その隣には、昔から使っている無名の市販箱が並んでいる。
全部を自社製にしなくてもいい。
全部を一つの権利で囲わなくてもいい。
治具から始まった名前が、現場で一緒に使われる物へ少しずつ広がっていく。
ただし、何を作ったのか、何を売ったのか、何が技術上の権利の対象なのかは混ぜない。
黒瀬精機は、クロフィックスを何でも入る便利な言葉にはしなかった。
棚に置くものが増えるたび、その名前の範囲も、一つずつ確かめながら広げていった。
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