第212話 まだ図面じゃない
「今日は、見積をお願いしに来たんじゃありません」
2017年6月。
大阪市の包装機メーカーから来た設計担当は、そう言ってノートパソコンを開いた。
直人は向かいの席に座ったまま、机の上を見た。
紙の図面はない。
注文書もない。
見積依頼書さえ置かれていなかった。
「ほな、何を見ればええんです?」
「これです」
画面に3Dモデルが出る。
細長い軸だった。
一方に太い段があり、反対側にねじ部がある。その間に、ローラーを支えるためらしい2か所の外径部が設けられていた。
「新型包装機のローラー支持軸です。まだ社内図面を発行してません」
「寸法も確定前?」
「一部は決まってます。ただ、形を固める前に加工側から一度見てもらおう、という話になりまして」
直人は設計担当の顔を見る。
この会社とは2012年から付き合いがある。
黒瀬精機だけで作る部品に加え、板金や樹脂、表面処理を含む一式でも仕事を受けてきた。
試作や設計変更の途中で相談を受けることも、今までなかったわけではない。
ただ、正式な図面さえ発行されていない段階で、
――加工する側から見て問題がないか。
と、設計担当が3Dモデルを持って工場まで来たことはなかった。
「佐野さん」
「はい」
「森川呼んでもらえる?」
「分かりました」
設計担当が少し驚いた。
「社長だけでは見ないんですか?」
「値段決めるんは俺ですけど、実際に削るんは俺ちゃいますから」
「なるほど」
「それと、このデータはまだ正式図面ちゃいますよね」
「はい。検討用です」
「佐野さん、正式データと混ざらんように分けといて」
「もう《設計検討用》で別にしています」
「早いな」
「メールにそう書いてありましたから」
数分後、森川が事務所へ入ってきた。
「何見るんです?」
「まだ図面になってへん軸」
「まだ図面じゃない?」
森川が設計担当を見る。
「加工できる形か、先に意見が欲しいそうです」
「決めていいんですか?」
「決めたらあかん」
直人が答えた。
「問題になりそうなとこと、加工するならどういう選択肢があるかまで。最終的にどの形使うかは向こうの設計です」
「なら分かりました」
森川は直人の隣へ座った。
◇
「ここ、ねじ切ったあと工具どこへ逃がします?」
最初に止まったのは、モデルを見始めて5分もしないうちだった。
森川が画面を指す。
軸端にはM20×1.5のおねじがある。
ねじ部のすぐ隣から外径が大きくなり、肩になっていた。
設計担当がモデルを拡大する。
「工具を逃がす?」
「ねじ切りの終わりです」
森川が説明する。
「旋盤では工具を肩へ向けて走らせます。今の形やと、肩の直前まで完全なねじ山が必要なのか、それとも手前に逃げる部分を作っていいのかが分かりません」
「CADでは普通につながってますけど」
「CADの中には刃物ないですから」
直人が言うと、設計担当が苦笑した。
「確かに」
「このねじ、何を締めるんです?」
「スペーサーとローラーを入れて、最後にナットで固定します」
「ナットは肩まで来ます?」
「いえ……」
設計担当が組立モデルへ切り替える。
別部品が表示された。
スペーサー。
ローラー。
ワッシャー。
ナット。
順番に組まれている。
「ここまでです」
ナットの端と肩の間には数ミリ残っていた。
森川が画面を見る。
「なら、肩まで全部ねじになってなくても組めそうですね」
「そうですね」
「ただ、それで強度とか締結上問題ないかは、こっちでは決められません」
直人が続けた。
「ねじ終端に逃げを作るか、有効ねじ長さをどこまで指定するか。そこは設計で決めてもらって、その条件ならどう削るかをこっちで考えます」
設計担当はメモを取った。
「今のモデルだと、加工不能ではない?」
「不能とは言わんです」
森川が答える。
「ただ、図面になってから『肩まできれいなねじ山を』と言われたら、加工側は困ります」
「なるほど」
設計担当が赤い印を付ける。
「ここは持ち帰ります」
◇
次に森川が止まったのは、軸の反対側だった。
「この38のところ、何する部分です?」
全長164ミリの軸のうち、直径38ミリある部分は12ミリほどしかない。
そこから先は20ミリ台の外径が長く続いている。
「組立時に回り止めとして使います。最終的には二面幅を入れる予定です」
「二面幅、いくつです?」
「24です」
森川は少し考えた。
「38の丸から24の二面取る?」
「その予定でした」
「38である理由は?」
「前機種の軸が38だったので、その形状を元にしています」
「前機種の軸は、全体もっと太いです?」
「はい」
設計担当の返事が一拍遅れた。
画面を操作し、旧型部品を並べる。
前機種は中央部も30ミリを超えていた。
新型では軽量化と小型化のため、ほとんどの部分が細くなっている。
太い段だけが38ミリのまま残っていた。
「ここ、前の寸法が残ってるだけか」
設計担当が自分で言った。
「それなら38じゃないとあかん理由はない?」
直人が確認する。
「現時点ではないです。ただ、回り止めに必要な二面幅と軸の強度を見て、設計側でもう一度決めます」
「お願いします」
「細くしたら、かなり安くなります?」
直人はすぐには答えなかった。
「そこはまだ言えません」
「そうなんですか?」
「材料の取り方変わる可能性はあります。でも、径を細くしたら必ずその分だけ安なる、いうほど単純でもないんで」
森川も頷く。
「実際の候補寸法が出てから、使える材料径と加工時間を見ます」
「じゃあ、加工側としては『38をやめた方がいい』ではなく?」
「38が必要なら38で作ります」
直人が答えた。
「必要ないなら、わざわざそこだけ太くするために大きい材料から削る意味あるんかな、という確認です」
「分かりました」
また一つ、赤い印が増えた。
◇
「ほかにあります?」
設計担当が聞く。
森川はモデルを回した。
ベアリングが入る2か所。
段差。
端面。
ねじ。
「この2か所の公差は?」
「まだ仮です」
「なら今は触らんでええです」
「加工しにくい公差とかありません?」
「必要な精度なら作る方法を考えます」
「緩い方が楽ですよね?」
「そら加工だけ考えたら」
森川は笑った。
「でも、ベアリング入れるところを加工屋が勝手に緩くしてええわけないでしょう」
「ですよね」
「必要な精度かどうかは設計で決めてもらって、決まった数字が現実的に作れるかはこっちで見ます」
直人は横で聞いていた。
それでいい。
黒瀬精機が設計会社になるわけではない。
客先の製品の強度や寿命まで、加工屋が勝手に保証していい話でもない。
ただ、加工する前だから見えることがある。
工具が入るか。
つかめるか。
測れるか。
必要以上に材料を削る形になっていないか。
図面になってから見つければ設計変更になることでも、まだ検討中なら線を引き直すだけで済む。
「もう一個いいですか」
直人が言った。
「はい」
「これ、量産何本ぐらい考えてます?」
「まだ販売台数が読めません。試作は2台で8本。その後は月20本から40本ぐらいになる可能性があります」
「その数字、まだ予定ですよね」
「予定です」
「ほな設備投資前提の話にはせんといてください」
設計担当が笑った。
「そこまでお願いしてません」
「なら大丈夫です」
「昔、何かあったんです?」
「色々あります」
「聞かない方がよさそうですね」
「その方が話早いです」
森川が横で笑った。
◇
設計担当が帰ったあと、佐野が確認した。
「今日のデータ、どう残します?」
「客先から来た元データはそのまま」
「はい」
「今日話した内容は?」
「別に打ち合わせ記録を作ります。どこを黒瀬が指摘して、どこを先方が持ち帰ったか」
「それで」
「この3Dモデルに黒瀬側で直接修正は?」
「せえへん」
直人が即答した。
「形変えるんは向こう。こっちで勝手にモデル直したら、どっちが正なんか分からんようになる」
「分かりました」
「正式図面来たら、その時点でまた照合」
「はい」
佐野は《設計検討用》のフォルダへ元データを保存した。
製造用の図面とは別だった。
◇
4日後。
修正版のデータが届いた。
まだ正式発行前だが、メールには変更点が書かれている。
ねじ部の終端形状を変更。
有効ねじ長さを明記。
直径38ミリだった段は、強度を再確認した上で外径を小さくした。
二面幅は24ミリのまま。
直人は森川と画面を確認する。
「ねじ、これなら?」
「普通に考えられます」
「太いとこは?」
「前より材料は選びやすいですね。ただ、正式寸法出てから仕入先へ確認します」
「了解」
それだけ返した。
黒瀬から、
――これで正解です。
とは言わない。
設計の正解を決めるのは客先だ。
黒瀬が言えるのは、その形ならどう作れるかまでだった。
◇
6月末。
同じ設計担当が、今度は正式図面を持って来た。
「発行されました」
「やっと図面になった?」
「はい」
PDFとSTEP。
品番も入っている。
試作数量8本。
希望納期3週間。
「これで正式に見積お願いします」
「分かりました」
佐野が受領データを確認する。
検討中だったファイルとは別に、正式図面として登録する。
森川は図面を持って工場へ戻った。
村井と加工順を確認し、材料径と工具を見てから加工時間を出す。
そこまで進んで、ようやく直人の机へ見積の材料が揃った。
午後。
設計担当が帰ろうとしたところで、入口近くにいた森川へ声を掛けた。
「森川さん」
「はい」
「実は次の部品もあるんですけど」
「もう図面できてます?」
「まだ形だけです」
森川が直人を見る。
「またですか」
「俺見んでもよさそうやな」
「値段の話になったら呼びます」
「頼むわ」
設計担当が笑った。
「社長、いいんですか?」
「加工の話でしょう」
「はい」
「なら先に現場で見てもらってください。設計判断が必要なところだけ、ちゃんとそっちへ返してもらえれば」
森川がノートパソコンを覗く。
「今度は何です?」
「ローラーの受けです。2部品を一体にできないか検討してまして」
「一体にしたら、加工は増えるかもしれませんよ」
「それを聞きに来ました」
「なら見ましょう」
2人は空いている机へ移った。
直人は自分の席へ戻る。
机の上には、正式発行されたばかりの図面がある。
少し離れたところでは、まだ品番さえない部品について森川と設計担当が話していた。
黒瀬精機の機械が回るのは、注文が出てからだ。
だが、仕事の話が始まる場所は、少しずつその手前へ移っていた。
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YouTubeショート動画作ってみました。
https://youtube.com/shorts/PuXoPWXXbH0?si=prvIVaJtMMBjvuGi
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