第207話 二つあっても一つ
「第二工場がありますから、ここは『代替生産拠点あり』でいいですか?」
2015年10月。
佐野真紀が取引先から届いた調査票を指した。
直人はその欄を見て、すぐに首を振る。
「そこは『なし』で返そ」
「なしですか?」
「うん。第二工場はある。でも、災害の代替拠点として作った工場ちゃうからな」
大阪市内の包装機メーカーから届いた《事業継続に関する取引先調査》には、普段の見積書では見ない質問が並んでいた。
地震。
火災。
水害。
長時間停電。
主要設備の停止。
それらが起きた場合に、どれくらいで供給を再開できるのか。
別の生産拠点はあるか。
重要な外注工程に代替先はあるか。
図面や受注情報は失われないか。
緊急連絡先は複数あるか。
「第二工場で加工できる品物もありますよね?」
「あるよ。ただ、本工場が火事で使えんだけの場合と、高井田一帯が停電した場合で話が全然違うやろ」
「ああ……」
佐野が納得した顔になる。
本工場と第二工場は歩いて行き来できる距離にある。
それが普段は便利だった。
材料を運ぶ。
人を動かす。
加工の順番に応じて機械を使い分ける。
ところが、大きな地震や広域停電を考えれば、その近さが弱点にもなる。
「森川にも聞こ」
調査票を持って工場へ入る。
森川はNC旋盤の前で川村亮太と話していた。
4月に入社した川村も半年が過ぎ、簡単な品物なら、最初の条件を確認してもらったあと自分で測定しながら加工を続けられるようになっている。
「森川、ちょっとええ?」
「はい」
「本工場が使えんようになったとして、第二工場だけでどこまでできる?」
森川はすぐには答えなかった。
「何で使えないんです?」
「そこから?」
「そこからでしょう。本工場だけ火事なのか、この辺全部停電なのかで違います」
直人が笑った。
「佐野と同じ話してたとこや」
「高井田ごと停電なら、第二工場も機械回りませんよ」
「やっぱりな」
「本工場だけ使えないなら、第二工場の設備でできる加工は続けられます。ただ、材料が本工場にあったら運び出せるか分かりませんし、図面も必要です」
「本工場のNCやフライス使う仕事は?」
「そのまま第二工場へ移すのは無理です」
「つまり、『代替工場があります』とは言い切れん?」
「俺なら書きません」
森川は調査票を覗いた。
「『一部工程の継続は可能』なら書けますけど」
「それやな」
会話を聞いていた川村が手を止めた。
「第二工場って、こういう時の予備じゃないんですか?」
「ちゃうよ」
直人が答える。
「元々は本工場が狭なって、材料も人も通りにくくなったから借りたんや」
「そうなんですか」
「そこへ汎用旋盤も移した。せやから仕事を分けてはいるけど、片方が止まったら全部そっちへ逃がせる作りにはなってへん」
川村は第二工場の方向を見た。
「工場が二つあるから、てっきり……」
「外から見たらそう見えるよな」
直人は調査票へ目を戻した。
取引先も、同じように考えたのかもしれない。
黒瀬精機には工場が二つある。
なら、片方に何かあっても大丈夫だろう。
文字だけなら、そう読める。
だが実際には違った。
「包装機の仕事で、一回見よか」
森川と一緒に、現在流れている品物の工程を確認した。
黒瀬で機械加工するもの。
板金へ出すもの。
樹脂加工を頼むもの。
表面処理へ回すもの。
黒瀬へ戻して数量と品番を揃えてから納品するもの。
一式で受けるようになってから、客側は注文先をまとめられるようになった。
その代わり、黒瀬には加工以外の役割も増えている。
「本工場だけ止まった場合、第二工場で途中までできる品物はあります」
森川が言う。
「でも、一式全部をここだけで完成させるのは無理です」
「外注さんが無事でも?」
「黒瀬でやる加工が入ってる品物は止まります。それに、どこへ何を出すかの指示も止まったら流れません」
「そっちもあるか」
直人は調査票の別の欄を見る。
《受注・生産情報の代替確認手段》
こちらにも簡単に丸を付けられなかった。
事務所へ戻り、佐野へ聞く。
「もし明日、本工場に入れんようになったら、客の正式図面確認できる?」
「現在進行中の案件なら、事務所に入れないと困るものがあります」
「新しいパソコンのデータは?」
「本工場側です」
「紙の原図も?」
「基本はここです」
「第二工場へ同じもの置いてへんな」
「置いてません」
それでまた一つ答えが出た。
工場が二つあっても、情報の入口まで二つあるわけではない。
「この調査票、丸だけ付けて返すんやめよ」
「備考に書きます?」
「うん。できることと、できへんこと分けて書こう」
午後、包装機メーカーの購買担当者へ電話した。
『調査票の件ですか?』
「そうです。ちょっと確認したいんですけど」
『はい』
「代替生産拠点の欄、黒瀬は『なし』で返します」
電話の向こうで、一拍あいた。
『第二工場、ありますよね?』
「あります。ただ、本工場から歩いて行ける距離です。同じ地域の地震や停電なら両方止まる可能性があります」
『ああ……』
「設備も同じちゃいます。本工場の加工を丸ごと第二工場へ移せるわけでもないです」
『なるほど。では、一部代替可能という扱いでしょうか』
「それなら書けます」
担当者が紙をめくる音が聞こえた。
『復旧までの目安はどうでしょう。例えば72時間以内とか』
「何が起きた時の72時間です?」
『地震や火災などで生産が止まった場合です』
「火事で機械1台だけ止まったのと、この辺一帯が被災した場合を同じ72時間では書けません」
『やはり難しいですか』
「根拠なしで72時間って書く方が怖いです」
直人は机の上の調査票を見た。
「停電だけで設備も建物も無事なら、電気戻ったあと確認して再開できます。でも機械が動いたから、その瞬間から製品出せるとは限らんでしょう」
『精度確認が必要ということですか』
「はい。機械の水平見たり、試し削りして寸法確認したり。被害の程度によっては材料も確認要ります」
『分かりました』
「なので、復旧時間は『被害状況確認後に回答』にさせてください」
『それで構いません』
そこで電話を切らず、直人はもう一つ聞いた。
「今の一式の仕事なんですけど、もし黒瀬と連絡つかんようになった場合、そちらで協力先の連絡先分かります?」
『南田板金さんや樹脂加工先のことですか?』
「そうです」
『会社名は把握しています。ただ、普段は黒瀬さん経由なので、直接連絡する運用にはしていません』
「やっぱりそうですよね」
『直接連絡できるようにした方がいいですか?』
「何でも直接注文できるようにする必要はないと思います。かえって普段の図面や注文の流れが崩れるんで」
『では、どうしましょう』
「黒瀬と連絡つかん時に、まず誰へ連絡するかだけ決めません?」
翌週、直人は包装機メーカーへ呼ばれた。
購買担当と生産管理担当の2人が席に着いている。
机の上にあるのは、新しい図面ではなかった。
緊急連絡先と、現在の一式部品の一覧。
「こちらでも確認しました」
生産管理担当者が言う。
「災害時に11点全部を同じ速さで必要とするわけではありません」
一覧へ印が付いていた。
「設備保全用に多少在庫を持っているものもあります。逆に、止まると早い段階で困るものもあります」
「部品ごとに違う?」
「はい。それと、黒瀬さんが止まったからといって、その日のうちに別会社へ全部切り替えるのは現実的ではありません」
「そらそうですよね」
「まず、黒瀬さんの状況確認。復旧見込み。その間にこちらの在庫と組立予定を確認します」
「それで足らん品物だけ考える?」
「そうしたいです」
直人は頷いた。
最初から「黒瀬が止まったら別会社」と決めれば簡単に見える。
しかし、図面が同じだから明日から別の工場で同じ品物が出てくるわけではない。
加工条件も違う。
見積条件も違う。
普段付き合いのない会社へ、災害が起きてから突然注文すれば納期も分からない。
「黒瀬さん側の緊急連絡先、直人さんだけになってますね」
購買担当者が指した。
「そこは増やせます」
「誰にします?」
「森川と、事務所側でもう1人」
「携帯番号まで?」
「会社として出してええ番号だけにします。個人の私物まで勝手に載せへんようにする」
「分かりました」
「ただ、夜中に地震あったからって、3人へ順番に電話しまくるのはやめてくださいよ」
「そこは連絡基準を決めます」
「お願いします」
話は、思っていたより地味なところへ進んだ。
何時間で復旧する、と約束することではない。
大きな災害用に機械をもう一式買うことでもない。
連絡が取れるか。
正式図面がどこにあるか。
今どの品物を作っているか。
どの注文が先に止まると困るか。
取引先と黒瀬のどちらが、何を確認するか。
その順番を決めていった。
生産管理担当者が一覧に書き込む。
「黒瀬さんから連絡がない場合、まず当社側で在庫確認。そのあと緊急連絡先へ状況確認」
「はい」
「復旧予定が出せない段階では、無理に納期回答を求めない」
「それ助かります」
「ただし、48時間以上連絡そのものが取れない場合は、代替手段の検討を始めます」
「そこは必要やと思います」
「別加工先への切替を即決する、ではありません」
「分かりました」
直人はその条件なら異論がなかった。
帰社すると、森川へ決まった内容を話した。
「俺、緊急連絡先に入るんですか」
「現場側は森川が一番分かるからな」
「電話来たら何答えたらいいんです?」
「分からんことは分からんでええ。建物入れるか、機械見られるか、そこから」
「復旧何日とか聞かれても?」
「その場で勝手に言わん」
「それならいいです」
佐野にも確認する。
「事務所側の連絡先、会社携帯で出せる?」
「出せます」
「それと、進行中案件の一覧を本工場へ入れん時でも確認できるようにしたい」
「第二工場へ紙を全部置きます?」
「全部はいらん。古い図面まで複製したら管理ややこしくなる」
佐野が少し考えた。
「進行中の品番、客先、納期だけなら、今使っている生産予定から必要分を出せます」
「正式図面そのものは?」
「客先にもあります。黒瀬側で原本を見られない場合は、勝手に手元の古いコピーを使わず再送してもらう方が安全です」
「それでいこ」
新しい仕組みを大げさに作る必要はなかった。
現在の情報を、緊急時にどう確認するかだけ決めればいい。
数日後。
佐野が完成した調査票を直人の机へ置いた。
「最終確認お願いします」
直人は上から順に見る。
緊急連絡先。
主要設備。
外注工程。
停電時の対応。
重要データ。
復旧見込み。
そして、
《代替生産拠点の有無》
直人の目が止まった。
回答は、
《なし》
その下の備考に、
《近隣に第二工場あり。一部工程の継続は可能。ただし同一地域の災害・停電では同時停止の可能性あり》
と書かれていた。
「これでええ」
「工場2つあるのに、ほんとに『なし』で出すんですね」
谷口が横から用紙を見た。
「あるって書いて、客が全部移せると思った方が困るやろ」
「確かに」
佐野が調査票を送った。
その日の午後、第二工場へ行く用事があった。
本工場を出て、数分歩く。
第二工場のシャッターは開いていた。
中では山岸と川村が汎用旋盤の加工について話している。
機械は動いている。
照明も点いている。
本工場から離した一部の仕事が、こちらで普通に進んでいた。
「直人さん」
川村が気づいた。
「こっちの仕事ですか?」
「ちょっと確認だけ」
直人は入口に立ったまま、中を見た。
普段なら、この距離が便利だった。
何かあれば歩いて来られる。
人も荷物も動かしやすい。
だから第二工場をここに借りた。
「何見てるんです?」
山岸が聞く。
「いや、近いなと思って」
「今さら?」
「今さら」
「歩いて来たくせに」
「せやな」
山岸は呆れた顔で旋盤へ戻った。
直人も本工場へ戻る。
途中で振り返ると、第二工場の看板が見えた。
反対を向けば、本工場もすぐそこにある。
二つとも、今日なら問題なく動いている。
それでも、取引先へ返した調査票の《代替生産拠点》には、最後まで「あり」とは書かなかった。
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https://youtube.com/shorts/PuXoPWXXbH0?si=prvIVaJtMMBjvuGi
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