第205話 応募者、ゼロ

「3週間で、0人です」


 2014年9月。


 佐野真紀が求人票の控えを机へ置いた。


「問い合わせも?」


「ありません」


「見学だけでも?」


「0です」


 直人は数字の書かれていない応募欄を見た。


 採用予定は1人。


 経験者優遇。ただし、機械加工を学んだ経験があれば実務未経験でも可。


 給与や休日も、近隣の製造業求人とかけ離れた条件にはしていない。


 それでも、0人だった。


「昔やったら、1人ぐらい電話あった気がするんやけどな」


「山岸さんの時とは事情が違うでしょう」


「そらそうやけど」


 山岸浩司を採用したのは1997年だった。


 藤岡製作所が閉じることになり、長年汎用旋盤を扱ってきた山岸へ声を掛けた。求人票を出して待っていたら現れた人材ではない。


 黒瀬精機でも、それから何度か人を採っている。


 だが今、欲しいのは目の前の仕事を埋めるだけの人間ではなかった。


 きっかけは3週間前だった。


 山岸が有給休暇を取った日、工場は止まらなかった。


 汎用旋盤へ入る予定だった仕事を村井と宮田が分け、森川が別の加工を動かして納期を合わせた。


 誰も残業で無理をしたわけではない。


 翌日には山岸も戻っている。


 ただ、山岸の仕事を埋めるために別の3つの予定を動かしていた。


 森川から聞いた直人は、その日のうちに製造側の技能配置を見直した。


 問題は人数そのものではない。


 山岸が長年担当してきた汎用旋盤の仕事を、同じ水準で丸ごと任せられる人間が増えていなかった。


 宮田はできる。


 村井も仕事によってはできる。


 だが、2人には2人の持ち場がある。


 山岸の穴を埋めるために宮田を動かせば、宮田の仕事が残る。


 村井を動かせばNC側の予定が動く。


 それなら、山岸が元気に働いている間に次を入れたほうがいい。


 直人はそう判断した。


「佐野」


「はい」


「専門校のほう、返事あった?」


「昨日連絡ありました。求人票は掲示してくれてるそうです」


「見学は?」


「まだ希望者なしです」


「そっちも0か」


 職業安定所だけでなく、直人が若いころに通った東大阪高等職業技術専門校にも求人を出していた。


 経験者を1人引き抜くことだけが採用ではない。


 学校で旋盤やNCの基礎を学んだ人間を採り、黒瀬の仕事を覚えてもらう。


 最初から、その道も候補に入れていた。


「工場の見学、いつでも受けるって伝わってる?」


「はい。担当の方にもそう伝えてあります」


「なら待つか」


「求人票、条件変えます?」


「今は変えへん。応募ないからって3週間で給料上げたり下げたりしたら、何が原因か分からんようになる」


「分かりました」


 直人は求人票を佐野へ返した。


 事務所を出て工場へ入る。


 山岸は汎用旋盤の前にいた。


 材料の端面をさらい、外径を測っている。


「山岸さん」


「何や」


「応募0やった」


「知らんがな」


「冷たいな」


「俺に応募させるんか?」


「もう働いてるやろ」


 山岸は笑って、マイクロメータを置いた。


「経験者で探してんの?」


「経験者優遇。学校で機械触ってる人なら未経験でも見る」


「それでええんちゃう」


「山岸さんぐらいできる人が来たら一番早いけどな」


「そんなん待ってたら俺が先に年取るぞ」


「まだ辞めへんやろ?」


「またそれ言うんか」


「確認」


「辞めへん」


「よし」


「何がよしや」


 少し離れたところで村井が笑っていた。


 山岸がそちらを見る。


「村井、お前もっと旋盤覚えるか?」


「急に俺へ振らんといてくださいよ」


「俺が年取るらしいから」


「社長が勝手に言ってるだけでしょう」


「でも覚えられるなら覚えたいです」


 村井はそう言ってから、自分のNC旋盤を指した。


「ただ、こっち放ったらかしにはできませんけど」


「そこなんよ」


 直人が言うと、森川が奥から戻ってきた。


「何の話です?」


「応募0」


「ああ」


「反応薄ない?」


「すぐ来るとは思ってませんでしたから」


「何で?」


「今、周りも人欲しがってますよ」


 森川は作業台へ加工票を置いた。


「うちだけが募集してるわけじゃないでしょう」


「それは分かってる」


「だったら待つしかないです。ただ、来た時にちゃんと見たほうがいい」


「何を見る?」


「今できることもですけど、教えた時に覚えられるか。測った数字を適当にせんか。分からんのに分かったふりせんか」


 山岸が頷く。


「そっちやな」


「経験年数より?」


「経験者でも雑なんおるし、若くてもちゃんと測る奴はおる」


「山岸さん、面接出る?」


「嫌や」


「即答やな」


「俺は社長ちゃう」


「採ったあと教えるかもしれんで」


「それはやる。面接はせん」


「都合ええな」


「役割分担や」


 森川が吹き出した。


「それ、社長がよく言ってますよ」


「俺の使うなや」


 翌週になっても、職安経由の応募はなかった。


 ところが火曜日の午後、専門校から電話が入った。


 谷口から受話器を渡される。


『黒瀬精機さんでしょうか。先日いただいた求人の件なんですが』


「はい」


『訓練生で、工場を1度見てみたいという者が2人おります』


「2人?」


『はい。まだ応募を決めたわけではありません。見学してから考えたいということですが、大丈夫でしょうか』


「もちろんです」


 直人は予定表を見た。


「来週の水曜なら午後空けられます」


『では、13時半はいかがでしょう』


「お願いします」


 電話を切る。


 佐野がこちらを見た。


「見学ですか?」


「2人」


「やっと0じゃなくなりましたね」


「応募はまだ0や」


「細かいですね」


「そこ大事やろ」


 工場見学だからといって、特別に機械を磨いたりはしなかった。


 森川にも、


「普段通り見てもらう」


 と伝えた。


「分かりました」


「ただ通路だけ確認しといて」


「それは毎日やってます」


「せやった」


「見学のために片付けた工場見せても意味ないでしょう」


「その通り」


 水曜日。


 午後1時半になる少し前、専門校の担当者と若い男性2人が来た。


 直人は事務所で名刺を渡した。


「黒瀬です。今日は面接やないんで、気になることあったら遠慮なく聞いてください」


 2人が頭を下げる。


 1人は川村亮太。


 もう1人は西尾拓海。


 どちらも20代前半だった。


「じゃあ、工場から見てもらいます」


 直人が案内し、森川も途中から加わった。


 最初に足が止まったのはNC旋盤の前だった。


 村井が段取りを終え、試し削りした1個目を測っている。


 川村が画面を見る。


「これ、現場でプログラム入れてるんですか?」


「簡単なんはな」


 村井が答えた。


「全部最初から?」


「前にやった品物なら残ってるデータ使うこともある。でも材料変わったり、寸法変わったりしたらそのまま流したらあかんから、確認して直す」


「学校ではプログラム組んでます」


「何使ってる?」


 そこからは村井と川村の会話になった。


 直人は口を挟まなかった。


 隣では、西尾が完成品の箱を見ている。


「これ、全部同じ会社の仕事ですか?」


 森川が答えた。


「違います。今日は3社分あります」


「1日ずっと同じ品物を作るわけじゃないんですね」


「量産もありますけど、小口が多いです」


「何個ぐらい?」


「1個もあれば、100個超える時もあります」


 西尾の視線が今度は汎用旋盤へ移った。


 そこでは山岸がシャフトを加工していた。


「これもまだ使うんですか?」


 直人が答える前に、山岸が振り返った。


「まだ、は余計や」


「あ、すみません」


「ええよ。学校にもある?」


「あります。実習で使いました」


「何作った?」


「段付きシャフトと、ねじ切りを少し」


「ねじ切ったん?」


「はい。ただ、先生にかなり見てもらいました」


「最初はそんなんや」


 山岸は加工を終えた品物を外した。


「測ってみる?」


 西尾が直人を見る。


「ええんですか?」


「山岸さんがええ言うてるから」


 山岸からマイクロメータを受け取る。


 西尾は1度ゼロを確認してから、加工した外径を測った。


「……19.98」


「もう1回」


「はい」


 持ち直して測る。


「19.98です」


「図面は?」


 山岸が加工票を見せる。


 西尾が寸法を見る。


「20、マイナス0.03まで」


「ほな?」


「入ってます」


「そう」


 山岸は測定器を返してもらった。


 褒めもしなかった。


 ただ、そのまま次の品物をチャックへ取り付けた。


 西尾はしばらく手元を見ていた。


 第二工場へ移動すると、今度は2人とも驚いた。


「こっちにも工場あるんですね」


「歩いて来れる距離やけどな」


 直人が答える。


「何で分けてるんです?」


「昔、主工場だけでは物と人の動線が詰まってきたから。最初は倉庫代わりに使って、それから汎用旋盤を1台こっちへ移した」


「誰がこっち担当なんですか?」


「固定してへん」


「固定じゃない?」


「仕事で人が動く。山岸さんも来るし、村井も使う。宮田が入ることもある」


 川村が少し考えた。


「じゃあ入ったら、こっちだけってこともない?」


「今のところ、そのつもりはない」


「求人票に旋盤とNCとフライスって書いてあったの、それでですか」


「それもある」


 直人は2人を見た。


「ただ、入って次の日から全部やれ、とは言わん。何ができるか見て、測定から始めるか、簡単な加工から入るか決める」


 西尾が聞いた。


「ずっと材料交換だけ、みたいな仕事はありますか?」


「量産品で材料交換が続く日はある。でも、それだけ何年もやってもらうつもりはない」


「段取りも?」


「覚えてもらう」


 森川が続けた。


「ただ、先に1個作って測れるようになってからです。機械動かすより、止める判断できるほうが大事なんで」


「止める判断?」


「寸法おかしいのに、『たぶん次はいける』で流さんことです」


 川村が頷いた。


「学校でも言われます」


「なら同じです」


 一通り見終えて、事務所へ戻った。


 今度は2人から質問が出た。


「残業は毎日ありますか」


「毎日はない。仕事量で出る時はある」


「休日出勤は?」


「必要な時は相談する。ただ、それ前提で予定組むのはせん」


「資格は会社から取れますか」


「仕事に必要なものなら相談して決める」


「昼飯はみなさんどうしてます?」


「そこ聞くん?」


 直人が笑う。


「いや、大事かなと思って」


「大事やな。弁当持ってくる人もおるし、外に買いに行く人もおる」


 質問が機械から生活へ移ってきた。


 直人はそれでいいと思った。


 働くなら、機械だけ見て決めるわけではない。


 昼をどこで食うか。


 何時に帰れるか。


 休めるか。


 毎日通えるか。


 そこも会社だった。


 見学は1時間ほどで終わった。


 玄関まで送る。


「今日はありがとうございました」


 川村が頭を下げる。


 西尾も続いた。


「ありがとうございました」


「こっちこそ。応募するしないは、学校戻ってから決めてもらったらええんで」


「はい」


 直人はそこで止めた。


 うちへ来てくれ、とも言わなかった。


 2人を見送ると、森川が隣へ来た。


「どうでした?」


「まだ分からん」


「2人ともちゃんとしてましたね」


「うん」


「山岸さんは?」


 工場へ戻ると、本人はもう旋盤の前にいた。


「山岸さん」


「何?」


「どっちがええ?」


「知らん」


「見てたやろ」


「1時間見ただけで分かったら苦労せん」


「そらそうやけど」


 山岸は少し考えた。


「ただ、測る前にゼロ見た方」


「西尾くん?」


「名前までは覚えてへん」


「そこ覚えといてや」


「採ってからでええ」


「冷たいなあ」


「採るんはお前や」


 そう言って、山岸は機械へ戻った。


 翌朝。


 9時を過ぎてすぐ、電話が鳴った。


 谷口が取る。


「はい、黒瀬精機です。……はい、昨日はありがとうございました」


 直人が顔を上げた。


 谷口がメモを取っている。


「少々お待ちください」


 受話器を押さえた。


「社長。昨日見学に来られた川村亮太さんです」


「俺に?」


「はい」


 直人は受話器を受け取った。


「お電話代わりました。黒瀬です」


『昨日はありがとうございました』


「こちらこそ。どうでした?」


『あの……』


 一拍あいた。


『応募させてもらいたいんですけど』


「ありがとうございます」


 直人は机の上の求人票へ目を向けた。


 応募者の欄は、まだ0人。


 その横で佐野が予定表を開いた。


「面接の日、決めましょうか」


『はい。お願いします』


 直人は受話器を持ち直した。


 0のままだった欄へ、佐野が鉛筆で「1」と書いた。




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