ボウ・アンド・アロー

 アロウズは、日本のイヴィル制圧と研究を担う独立行政法人である。

 日本全土で発生するイヴィルから市民を保護し、公共の安全と秩序の維持、そして未だ不確定な存在であるイヴィルの研究と管理を主な目的として活動する。本部は神奈川県横浜市。東北と近畿に支部を持つ。




 ボウ・アンド・アロー




 アロウズは水族館から車で二十分程度の距離にあった。

 エントランスの前に黒いセダンが二台停車し、白夜が潮と夏目を連れて降りる。そのすぐ後ろの車からは、冬と恋が恐る恐るといったふうに顔を出した。

 白い壁面とガラス張りで造られた横長の大きな建物は数年前に建てられたものだが、全体の塗装も綺麗に保たれており、ガラスにもまるで曇りがない。

 夏目は途端に場違いなところにきてしまったという実感に襲われ、やっぱり帰ってしまおうかと半分本気で思った。横に並ぶ恋と冬柚も同じく遠い目をしている。


「こっちだ。はぐれるなよ」

「は、はい……」


 幼い頃、ピアノのコンクールでコンサートホールに足を運んだことを思い出す。あの時も白い横長の建物だったなあ、とまったく関係のないことを考えてしまうのは、現実逃避だろうか。

 白夜はエレベーターの前まで来ると、上階行きのホールボタンを押した。傍の表示灯が光り、七階からゆっくりと数字が降りてくる。ドアが開き、五人が乗り込んだ。潮は車中から今に至るまで、一度も口を開かなかった。

 再びドアが開く。白い壁紙に、グレーのカーペットが敷かれた長い廊下。黒いソファと自販機を通り過ぎ、突き当たりにある白い扉を押し開いた。


 白衣を着た数多の人間が仕事に打ち込んでいる光景が目に飛び込み、夏目たちは息を呑む。まるで社会科見学にでも来たような気分で、不躾にあたりを見回した。

 白いデスクトップパソコンが横に並び、積み上げられたファイルや書類の束が狭いスペースをさらに圧迫している。傍のタンブラーに入っているのは、やはりコーヒーだろうか。二人で一つのファイルを覗き込みながら何かを相談している人、頭を抱えて画面を食い入るように見つめる人、ぴんと伸びた背筋でひたすらにキーボードを叩く人もいる。

 「かぁっこいー」と興奮した声で呟く恋に、夏目は頷いた。冬柚が二人の袖を強く引っ張る。


「何言ってるの。私たちはここに戦いに来たんだからね。言いくるめられたら潮が捕まっちゃうんだから」

「そ、そうでした」


 冬柚の言う通りだ。ここに来た本懐を危うく見失うところだった。夏目は首を振り、気を引き締める。

 白夜は目的の人物を見つけると声をかけた。


「千早。戻った」

「あ、おかえりー。じゃあ北くん、あとよろしくね」

「はい、室長」


 室長、と呼ばれた金髪の女性がこちらに歩いてくる。綺麗な歩き方をする人だなあと感心するのと同時に、首に下げている『私は嘘をつきました』と書かれたホワイトボードが気になって仕方がない。

 夏目たちの不可解な視線を知ってか知らずか、金髪の女性は胸に手を当てて名乗った。


「はじめまして、アロウズ研究室室長の鏑木千早かぶらぎちはやといいます。急にこんなところに連れてきてごめんなさいね。緊張するでしょう」

「はじめまして。相良潮さがらうしおです」


 ここに来て、潮は初めて口を開いた。

 深々と頭を下げるその姿に、懺悔と諦念の色が浮かんでいるように思えて夏目は拳を握りしめる。


「あなたが潮ちゃんね。会えて嬉し……」

「潮は何もしてませんっ」


 声を張り上げたのは冬柚だった。

 部屋中の視線を一気に引き込んだことも気に留めず、冬柚は眉を吊り上げて続ける。


「潮は私を助けてくれたの。人を傷つけるイヴィルなんかと一緒にしないで。大事な友達なんですから」

「ちょ、落ち着きなよ冬柚。まだ何も言われてないじゃん」

「だって潮がいなかったら私死んでたんだよ!? この命はもう潮のものと言っても過言じゃないんだから!」

「武士のかたなの? せめてもうちょっと話聞こうよ。ここに来て潮のイメージダウンはやばいって」

「はーなーしーてー!」


 今にも千早に掴みかかりそうな気迫を纏う冬柚を、恋が背中から羽交締めにして引き留める。

 白夜が夏目を見下ろした。「あいつ静かな子って言ってなかったか」「すみません。静かに沸点低くて」「それを静かとは言わない」


「あはは、大丈夫よ。今すぐどうにかしようってわけじゃないんだから。ねえ、白夜」

「私が何言っても無駄だぞ」

「え?」

「人相が悪くて信用できないって言われたからな」

「にん……」


 千早が絶句した。恋に羽交締めにされたまま、冬柚が顔を真っ赤にして首をすくませる。

 数秒の沈黙のあと、ふ、と吹き出す声がした。


「あっはっはっは! 人相が! 悪い! それ思ってても誰も言わなかったのに! あはははは」

「おい」

「ちょっと六花りっかちゃん聞いたぁ!? やっぱこいつ悪人顔よね!? あはははは、ぐえっ」


 腹を抱えて爆笑する千早の首根っこを掴み、青筋を立てた白夜が顔を突き合わせて睨む。


「話を進めろ」

「はあい……」


 夏目は先ほどから感じていた違和感を、ついに確信した。

 なんだろう。想像していた感じとだいぶ違う。

 巷ではダークヒーローだとか、必殺仕事人だとかいう近寄りがたいイメージが横行していた。実際ネット記事や動画サイトで目にしてきたアロウズは、冷徹に見えるほど淡々とイヴィルに立ち向かっていたものばかりだった。

 それなのに、現実は斜め上のコメディが繰り広げられている。

 千早は皺の寄った白衣の襟を正しながら、あっと声を上げ、頬を染めながら妙なホワイトボードを首から外して近くのキャビネットの上に置いた。


「つけっぱだったの忘れてたわ。ええと、あとは……」


 白夜が手で指し示したのは、隣に立つ夏目だった。夏目は頭に大量の疑問符を浮かべて白夜を見上げる。自分に一体何の用があるというのだろう。

 千早が名前を訊いてきたので、夏目は戸惑いながらも「鳴海夏目なるみなつめです」と答えた。「綺麗な名前ね」と頷き、千早は近くのデスクでパソコンと向き合っている女性に声をかける。


「六花ちゃん、ちょっといいかな」

「はい」


 千早が手招きをした人物は、栗色のボブカットが可愛らしい小柄な女性だった。六花というらしい。

 千早が六花に耳打ちして何かを伝えると、六花は困惑した表情で頷いた。


「じゃ、潮ちゃんはあたしと白夜についてきて。他のみんなは六花ちゃんが医務室に案内するわ」

「え!? 一緒じゃダメなんですか」

「ダメダメ。大事な話は一対一じゃないと」

「いやそっち二人なんですけど!」

「あっはっは、可愛いゲストちゃん? 大人の言うことは多少理不尽でも聞くもんよ。あたしは白夜ほどあまくないの。これ以上は譲歩しない」


 そう口にする千早の目は笑っておらず、冬柚と恋は口をつぐんだ。それでも反論する意思を見せるように口を開き、何も言えずにまた閉じる。

 潮は二人に力なく笑いかけた。


「大丈夫。あとでまた会いましょうね」

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