無人駅

 終電は、とっくに出ていた。

 山間部にある小さな無人駅。


 ホームには私しかいない。


 街灯は一本だけ。

 その白い光が、濡れたコンクリートを照らしている。


 地方営業の帰りだった。

 乗り換えを間違え、気づけばこんな場所まで来てしまった。

 次の列車は朝までない。


 タクシー会社に電話しても繋がらない。

 仕方なく、始発まで待つことにした。


 私はベンチへ腰を下ろす。

 ポケットからスマホを取り出した。


 数日前、リサイクルショップで買った中古スマホだった。

 前のスマホは落として壊した。

 安かったから買っただけだ。


 待ち受け画面は夜の海。

 防波堤。

 遠くに黒い影。


 最初は気味が悪かったが、もう慣れていた。


 電源ボタンを押す。

 画面が一瞬だけ乱れた。


 ノイズ。


 黒い海。

 波間に浮かぶ男。

 開いたままの目。


 だが次の瞬間には消えている。


「またか……」


 買ってから何度も見た映像だった。

 故障だろうと思うことにしていた。


     ◇


 動画を眺める。


 ニュース。

 雑談配信。

 適当なショート動画。


 時間はなかなか過ぎない。

 ふとホームの時計を見る。


 23:59。


 あと何時間あるんだ。

 ため息をつく。


 スマホを見る。


 23:59。


 バッテリー残量は82%。

 まだ大丈夫そうだった。

 再び動画を見る。


 しばらくして顔を上げる。

 時計。


 23:59。


「……ん?」


 立ち上がる。

 時計の針は動いていない。

 腕時計を見る。


 23:59。


 スマホの時刻も。


 23:59。


「壊れてるのか?」


 電波状況は圏外。

 さっきまで繋がっていたはずだった。


 ホームを見回す。

 

 誰もいない。

 風もない。

 虫の声もない。

 静かすぎた。


     ◇


 そのとき。


 遠くで踏切が鳴り始めた。


 カン、カン、カン。


 乾いた警報音。


 私は顔を上げる。


 列車は来ないはずだ。

 この時間に運行はない。

 だが確かに聞こえる。

 

 線路の向こう。

 闇の奥に光が現れた。

 

 小さい。

 白い光。

 徐々に大きくなる。

 ヘッドライトだった。


「え……」


 列車が来る。

 ゆっくりと。

 異様なほど静かに。


 レールの振動がない。

 車輪の音もない。

 ただ滑るように近づいてくる。


 ホームへ到着する。

 古い車両だった。


 見たことのない塗装。

 色褪せた銀色。


 窓は真っ黒。

 車内灯だけがぼんやり灯っている。


 やがて停止した。

 扉が開く。

 プシューという音だけが響く。

 誰も降りてこない。


 私はホームの端から中を覗き込む。

 誰もいない。

 そう思った。

 だが違った。


 奥の座席。

 人が座っている。

 一人ではない。

 

 何人も。

 びっしりと。

 全員がこちらを見ていた。


     ◇


 男。

 女。

 老人。

 学生。


 誰も喋らない。

 誰も動かない。

 目だけがこちらを向いている。

 異様だった。

 

 その中に。

 一人だけ見覚えのある顔があった。


 私は息を呑む。


 窓際の席。

 こちらを見ている。

 自分だった。


 顔色が悪い。

 唇が青い。

 目だけが開いている。


「……は?」


 思わず後ずさる。


 その瞬間。

 スマホが震えた。


 通知ではない。

 勝手に画面が点灯している。

 映像が流れていた。


 夜道。

 踏切。

 閉まりかけた遮断機。


 視点が揺れている。

 誰かが走っている映像だった。


「……なんだ、これ」


 映像の中の人物がスマホを見る。


 通知画面。

 メッセージ。

 スマホを見たまま踏切へ入る。


 警報音。

 ヘッドライト。

 急接近する光。


 映像が激しく揺れる。

 そこで止まった。

 静止画になる。


 線路脇に倒れた男。

 顔が見える。

 私だった。


 画面の隅に日付が表示されている。

 三日前。


     ◇


 頭の奥が軋んだ。


 三日前。


 記憶が蘇る。

 

 長引く営業。

 終電。


 急いでいた。

 通知音。

 スマホ。


 踏切。


 そして――


 白い光。

 轟音。


 そこで途切れている。


「……いや」


 首を振る。


「そんなはず……」


 だが違和感がある。

 寒くない。

 夜なのに。


 呼吸もしていない。

 胸が動いていない。


 今まで気づかなかった。

 瞬きをしていないことにも。


 どれだけ意識しても、まぶたが閉じない。


 私は震えながらホームを見回した。


 異変に気づく。


 駅舎がない。

 自販機もない。

 ベンチもない。


 さっきまであったはずなのに。

 あるのは線路とホームだけ。

 暗闇の中へ続いている。


     ◇


「落としましたよ」


 声がした。


 すぐ後ろだった。

 私は振り返る。

 ホームの端。

 線路脇。


 そこに黒い影が立っていた。

 輪郭だけが人の形をしている。

 顔は見えない。

 だが視線だけは感じる。


 その手にスマホがあった。

 私のスマホだった。

 いつの間にか手元から消えていた。


「……」


 声が出ない。

 影は静かにスマホを差し出す。

 もう片方の手には長いものがある。


 細長い柄。

 先端だけが大きく弧を描いている。


 どこかで見た形。

 思い出せない。


 いや。


 思い出したくなかった。


「落としましたよ」


 同じ声。

 私は震える手を伸ばす。

 スマホを受け取る。


 画面が点灯する。

 そこには踏切が映っていた。


 遮断機。

 警報音。

 ヘッドライト。

 線路へ踏み出す私。


 そして、その背後。

 踏切の向こう側に。

 黒い影が立っている。

 こちらを見ている。

 

 いや。

 最初からそこにいた。


 三日前から。

 あるいはもっと前から。

 気づかなかっただけだった。


     ◇


 列車の扉が閉まる。

 静かに。


 ホームに風は起きない。

 音もない。

 ただ動き出す。


 車内を見る。

 乗客たちはまだこちらを見ている。


 その中に、自分がいる。

 目を開いたまま。

 無表情で。


 列車は闇の中へ消えていった。

 最後尾の窓。

 そこに黒い影が映っていた気がした。


     ◇


 一か月後。


 駅前のリサイクルショップ。

 店員が新しく入荷したスマホをケースへ並べる。


 黒いスマホだった。


 画面には夜の無人駅が映っている。

 誰もいないホーム。

 停車中の古い列車。

 最後尾の窓に、ぼやけた人影。


 高校生くらいの少年が足を止める。


「これ、安いな」


 店員がケースを開ける。


 その瞬間。

 画面が一度だけ乱れた。


 ノイズ。


 夜の踏切。

 線路脇に倒れた男。

 開いたままの目。


 だが次の瞬間には、もう消えていた。


 少年は気づかないまま、スマホを手に取った。

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