殷といえば、朝歌だ。首都の名前だが、これほど美しい名前はないと思う。
ただし、この歌というのが曲者であったりする。殷における歌とは、すなわち呪歌のこと、朝から声にのせて、呪いを周囲に流す。これほど殷という世界を象徴するものはない。
それこそが、太公望が生きている世界だ。のちに斉の国主となる彼は、さまざまな呪いが跋扈する時代に生きた。
異人と呼ばれる子の名前ひとつにも、吉兆か凶兆かを問う声が付きまとう。老猫が姿を消せば不祥だと囁かれ、暦を描いただけの子どもが不敬だと口止めされる。何気ない日常の裏側に、いつも呪いの気配が張り付いている。
たまらなく、殷の時代だ。