ワン、ワン、ワン

〇お題「犬」の短編です。








【ワン】


 それは、冷たい雨が降る夜だった。


 路上ライブの稼ぎは一週間で、ゼロ。


 自分の才能のなさに最初に嫌気がさした頃のことだ。


 ――レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのギタリスト、

 トム・モレルにあやかって授かった『もれろ』の名に恥じる……


 兄の零時れいじは20歳の誕生日を機にギターもロックも捨ててしまった。


 いつだって兄のお下がりだった。


 好きな漫画も、サッカーチームも。


 このロックを奏でるギターへの狂おしい憧れも。


「俺も……いやだ。辞められねえ」


 だからこそ、兄のように損切りを受け入れられない。


 せめて兄が諦めた20歳を超えるまでは。


 濡れ鼠になって路地裏を歩いていたもれろだったが、足元に濡れた段ボール箱があることに気づいた。


 段ボール箱はかすかに揺れて動いていた。


 中に汚れた雑巾のようなものが見えている。


 ――ネズミ?

 にしては、でかい?


 好奇心で覗き込むと、手のひらに乗りそうなほど小さな仔犬だった。


 寒さに震え、丸くなっていたのだ。


 仔犬はもれろに気が付いたのか、必死にもがいて何かを訴えかけてくる。


 連れてはいけない、そう割り切って見捨てても良かった。


 でも……必死な仔犬。


「……俺に足りないもの」


 言葉にできない何かを感じ取ったもれろは、そっと手を差し伸べると、仔犬は濡れた鼻を小さく鳴らし、一回だけ鳴いたのだ。


『ワン!』


 もれろはもう何も言わず、ボロボロの革ジャンを脱いで仔犬を包んで抱え上げた。


 自宅に連れ帰って、まず両親にこの仔犬を飼いたいと頼み込んだ。


 猛反対されたので、許しを得るまで土下座した。


 バイトも散歩も音楽もきちんとすることを誓約して、その仔犬の名前は『田村タム』となった。





【ワン、ワン】


 もれろは、3本のギターと1万枚のスコアが散らかって足の踏み場もない自室の片隅で頭を抱えていた。


 明日は人生を賭けたメジャーレーベルのオーディションへの推薦枠を決めるオーディション。


 だというのに、勝負のリズムがどうしても決まらない。


 乗り切れない。


 自分が乗ってこないのに、観客が乗れるわけがない!


 頭の中で描く理想の音に、手元のリズムマシンがまったく追いついてくれない。


「クソッ……重さが足りない!

 もっと、グルーヴをくれよ!」


 成功していない音楽家志望者にありがちな、道具のせいにしてしまう苛立ち。


 まるで殴りつけるようにエレキギターの弦を荒々しくかき鳴らす。


 ジャカジャーンとアンプから歪んだ爆音が響いたその瞬間、足元で丸くなっていた相棒の『田村タム』が跳び起きた。


 いつになく、鳴き方がおかしい。


『ワン、フガッ、バウ、フガッ』


「静かにしろバディ、

 何か言いたいんだろうが、

 俺は今それどころじゃ……」


 もれろのズボンのすそを引っ張って注意を引こうとする『田村タム』。


 スコアに足を取られてもれろはすっ転んでしまった。


『ワン、フガッ、バウ、フガッ』


 奇妙なタイミングで繰り返し。


 ――繰り返し?


 言いかけて、もれろの手がぴたりと止まった。


 さっきから耳に飛び込んでいたのは、犬の無駄吠えではなかった。


 もれろは手元のメトロノームのスイッチを叩く。


 テンポは140で。


 カチ、カチ、カチ、カチ。


 正確なリズムに合わせて、バディである『田村タム』の鳴き声が美しく重なっていく。


 それだけで、音楽だと。


 ワン、はバスドラム。

 

 フガッはスネアか。


 バウがタム……


 フガッでまたスネア。


 もれろは言葉を失った。


 求めていたグルーヴがそこにあった。


 転がっていたスコアの一つを拾い上げたもれろは、ドラムのパートだけ書き換えていく。


 ふいに、その手が止まった。


 そして、バディを見た。


 自分の仕事は終わったかな、という態度の『田村タム』はくるんと丸まって寝そべっている。


 ――ドラムやパーカッションじゃダメだ。


 重低音の「ワン」。


 キレのある息で「フガッ」。


 極上の16ビート。


「『田村タム』……ずっと探してたグルーヴは、お前だったのか」


 もれろの全身にゾクゾクと電流が走った。


 『田村タム』にご褒美の犬用ちゅ~ぶを差し出し、ステージ代わりのちゃぶ台に乗せた。


 そしてギターを抱え直し、骨太な犬ビートに荒々しいリフを重ねた。


 この部屋に、一人と一匹の奏でる狂熱のグルーヴが爆発した。

 誰も聴いたことのない、狂気のロックンロールが誕生したのだった。


《作者:あと、もう少しです。お付き合いください》





【ワン、ワン、ワン】


 翌日、オーディションのオーディション会場。


 審査員たちは、もれろがドラマーすら連れずに、首輪にピンマイクをつけた一匹の犬を連れて登壇したのを見て、あからさまに冷ややかな視線を送っていた。


「おい、学芸会かビックリショーならほかをあたってくれ」


 審査員の一人が呆れ顔で帰れとばかりに手を振った。


 もれろは不敵にニヤリと笑うと、足元の相棒『田村タム』を見下ろした。


「いくぞバディ。俺たちの合図カウントをくれ」


 もれろの言葉がわかるのだろうか。


 『田村タム』はピンと耳を立て、ピンマイクが声を逃さないように胸を張って……


 鋭く吠えた。


「ワン! ワン! ワン!」


 会場を切り裂く、三発のカウントダウン。


 直後、『田村タム』の口から怒涛のロックビートが溢れ出した。


 間髪入れずにもれろが爆音のギターを叩きつけるように乗せていく。


「ワン、フガッ、バウ、フガッ!」


 犬が奏でる重厚で熱いビート。


 人が奏でる咆哮のようなギターのフィードバック。


 前代未聞。


 一人と一匹のロックバンド。


 彼らが放つ強烈な衝動に、はじめは唖然あぜんとしていた審査員たちも次々と立ち上がって雷のようなクラップで参加する。


 気づけば全員がヘッドバンク。


 会場中が、リズムに合わせて拳を何度も突き上げていた。


 演奏が終わると同時に、嵐のように鳴り響くスタンディングオベーション。


 その中心となるステージで、わずか3分で全力を出し切ったもれろは仰向けに倒れこんだ。


 無事に歌いきったことを誇らしげに『田村タム』は遠吠えした。










 犬のおまわりさんを転がしたはずだったんだけどな。

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