「オリジナルは存在しない」という指摘には、かなり同意します。革新と呼ばれるものも、完全な無から生まれるわけではなく、既存の文化や価値観があるからこそ、それへの反発や更新として成立するのだと思います。カウンターカルチャーでさえ、対抗すべき文化が存在して初めて輪郭を持つものです。
文明社会の中で育った以上、私たちはどうしても文明の恩恵から逃れられません。こと文筆においては、言葉を扱う時点で国語力や読解力といった学習の蓄積が前提になります。幼いころの未分化な表現は別として、創作が洗練されるほど、そこには必ず先人たちの築いた足場が存在するのだと思います。
このエッセイで語られている「オリジナルは存在しない」という言葉は、創作そのものの価値を否定するものではなく、文体や表現の独自性を過度に絶対視することへの警句なのだと受け取りました。比喩、リズム、語彙、構成といったものは、どうしても過去の蓄積と無縁ではいられない。だからこそ、自分の表現だけを特権化し、AIによる創作や他者の表現を、単に「模倣である」という一点だけで安易に低く見る姿勢には慎重であるべきなのだと思います。
そのうえで、創作者ごとの固有性は、文体や表現そのものだけではなく、作品全体に漂う空気や思想、眼差し、解釈の癖に表れるのだと思います。もちろん、同じ文化圏や同じ時代を生き、似た問題意識を持つ者同士であれば、近い論旨や表現にたどり着くこともあるでしょう。けれど、一連の創作を重ねていく中で、ある部分では他者と重なり共感を生み、別の部分では枝分かれして派生していく。その重なりと分岐の積み重ねこそが、創作におけるオリジナリティなのかもしれません。
革新にも、リデザインにも、それぞれ価値がある。過去を断ち切ることではなく、過去から受け取ったものをどう変形し、次へ渡すか。その営みの中に創作の意味があるのだと感じました。
そして、作者様の「模倣を恐れるな」という言葉も、直接的な模倣を肯定するものではなく、結果として何かに似てしまうことを過度に恐れ、創作そのものが萎縮してしまうことへの励ましとして受け取りました。
だからこそ、今の私たちの創作の足場を築いてくれた先人たちへの感謝は忘れずにいたいです。その敬意を失わない限り、模倣は単なる模倣ではなく、次の誰かへ渡すための継承と再構築になるのだと思います。
多様な言語には、それぞれ力がある。
そしてそれを操る際は、個々人に責任があるのだ。
この作品は、それをしっかりと考えさせてくれる、短めの教科書だ。
言葉は、模倣と変容を繰り返し、現代に至り、未来へと紡がれる。
先人から吸収し、咀嚼し、自己スキルに変容していくのだ。
そして、その変容した自己スキルで、うっかり他人を傷付けることもあるのだ。
世の中に蔓延する言の葉は、葉先が鋭い。
使い方の程度によっては、事件だ。
卓越した者こそ、気を付けるべきだと、改めて思わされた。
さて。
物書きさんも、読み専さんも、一緒に考えてみよう。
自分たちの現在と、未来を。