第2話 何もしなきゃ終わるんだよ。

二ヶ月後。


「お前、立ち直りだけは異常に早いな」


土曜の昼、駅前のカフェ。


向かいでパンケーキを食いながら、福宮行重が呆れた顔をしていた。


磯部亮太はスマホを握りしめたまま、少しだけ得意げだった。


「失礼だな。ちゃんと学習したんだよ」


「ほう」


「今回は告白してない」


福宮はコーヒーを飲んだ。


「当たり前だ」


「しかも、ちゃんと二人で会うところまで来た」


「誰」


「佐伯真帆」


「ああ、営業の子か」


会社の取引先の飲み会で知り合った、一つ下の女性。


最初は何人かで飲んで、


そのあと何回かグループで遊んで、


少しずつLINEするようになって、


気づけば、自然に二人で会うようになっていた。


映画。


ご飯。


夜の散歩。


ちゃんと、前より進んでいる。


亮太は胸を張った。


「今回は違う」


「毎回言ってる」


「いや、今回はマジで違う」


福宮はため息を吐いた。


「で、今日デート?」


「今日」


「告白するなよ」


「しないって」


「ほんとか?」


「お前、親か」


福宮はスプーンを置いた。


「違う。前科を知ってる保護者だ」


腹が立つ。


でも否定できない。


亮太はスマホをポケットにしまった。


「今回はちゃんとやる」


福宮は少しだけ笑った。


「じゃあ、ちゃんと空気を読め」


「空気?」


「言葉より先にあるやつだ」


その時は、よく分からなかった。


その夜。


駅前のベンチ。


終電も近くて、人通りはほとんどない。


映画を見て、


ご飯を食べて、


少し遠回りして歩いた。


たわいもない話ばかりだったのに、不思議なくらい楽しかった。


沈黙も、嫌じゃなかった。


夜風が少し冷たい。


佐伯真帆が、小さく息を吐いた。


「……今日、楽しかった」


「うん、俺も」


真帆は何か言いかけて、


やめた。


少し笑って、


また黙る。


指先が、落ち着かないみたいに何度も揺れていた。


帰りたくなさそうだった。


でも亮太は、


それをうまく言葉にできなかった。


しばらくして、


真帆はほんの少しだけ勇気を出すみたいに、


そっと、亮太の方に身体を預けた。


肩が触れる。


柔らかい。


近い。


亮太の心臓が、一気にうるさくなった。


え。


これって。


これ、どういう。


いや、でも。


ここで変に勘違いしたら。


もし嫌がられたら。


手を繋ぐ?


いや重い。


キス?


いやいやいや。


ホテル?


死ぬ。


頭の中で福宮の声がする。


空気を読め。


いや無理だろ。


読めるかこんなの。


真帆の肩は、まだそこにある。


離れない。


待っているようにも見えた。


でも。


亮太は必死に、ちゃんとした男であろうとした。


誠実であろうとした。


そして、口を開いた。


「……明日も仕事早いし、そろそろ帰らないとね」


言った瞬間、


世界が終わった気がした。


真帆は一瞬だけ固まった。


ほんの少しだけ。


それから、すぐに笑った。


「あ……う、うん。そうだね」


その笑顔が、


少しだけ寂しそうだった。


肩が離れる。


さっきまであった温度が、急になくなる。


もう遅い。


「じゃあ、また」


「うん、じゃあね」


そのまま、二人は別れた。


帰り道、


亮太は思った。


完璧だ。


誠実だった。


ちゃんと大事にした。


今回は、間違ってない。


次の日。


「お前はバカか」


日曜の昼。


ファミレス。


福宮行重の第一声が、それだった。


亮太はドリンクバーのコーラを飲みながら、不満げに言う。


「なんでだよ。ちゃんと誠実だっただろ」


「誠実?」


福宮は深いため息を吐いた。


「それは誠実じゃない。ただの逃げだ」


「は?」


「いい雰囲気だったんだろ」


「……まあ」


「二人きり」


「うん」


「夜」


「うん」


「向こうから身体預けてきた」


「……うん」


福宮は机を軽く叩いた。


「なんで帰した」


「いや、だから!」


亮太は身を乗り出した。


「そこで手出したら不誠実だろ!もし嫌われたらどうするんだよ!」


福宮は即答した。


「俺ならその日にホテル行く」


「最低だなお前!」


「違う」


福宮の声が、少し低くなった。


「その場の空気を読めって言ってんだよ」


亮太は黙った。


福宮は続ける。


「恋愛ってのはな、言葉より空気だ」


手を繋ぐタイミング。


帰したくない沈黙。


離れない距離。


そういうものの積み重ねだ。


「昨日、あいつは勇気を出したんだよ」


「……」


「お前に寄りかかった時点で、答えを出してた」


亮太の喉が、少し詰まる。


「なのにお前は」


福宮は呆れたように笑った。


「“明日仕事早いし帰ろう”って」


「……」


「空気ぶっ壊してんだよ」


何も言えなかった。


正しかった。


全部。


「でも……」


亮太は小さく言った。


「嫌われたら怖いだろ」


福宮は静かに言った。


「それは誠実じゃない」


「え?」


「お前が傷つきたくなかっただけだ」


その言葉は、痛かった。


図星だった。


本当は。


嫌われたくなかった。


失敗したくなかった。


責任を取りたくなかった。


だから、“誠実”って言葉で逃げた。


福宮はコーヒーを飲んだ。


「本当に誠実なやつは、ちゃんと踏み込む」


「……」


「ちゃんと相手を見る」


亮太は、何も言えなかった。


その夜。


震える指で、亮太は真帆にLINEを送った。


昨日はありがとう。

またご飯行こう。


既読は、すぐについた。


返信も、早かった。


ごめん。

磯部くんは良い人なんだと思う。

でも、やっぱり違う気がする。


画面を見たまま、


亮太はしばらく動けなかった。


終わった。


意味が分からなかった。


いや、分かっていた。


分かりたくなかっただけだ。


翌日。


会社帰りの駅前。


亮太はベンチに座る福宮を見つけるなり言った。


「なんでだよ」


福宮は缶コーヒーを投げてよこした。


「だからだよ」


亮太は受け取る。


冷たい。


「だから、お前は」


福宮は静かに言った。


「“いい人”って言われて終わるんだよ」

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