第19話

「だから……もう、私に優しくしないで。お願いだから、私のことは忘れてよ……っ」


 顔を覆って泣きじゃくる玲奈。

 その細い腰には、いまだに不格好なプラスチックの変身ベルトが巻かれている。

 世界を目指すトップモデルの決意と、初恋を引きずるポンコツな幼馴染の姿が、どうしようもなく同居していた。


 普通なら、ここで身を引き、彼女の夢を応援するのが「美しい悲恋」のセオリーだろう。

 だが、俺はそんなお行儀の良いモブキャラで終わるつもりは一切なかった。


 俺は無言のまま、さらに一歩、彼女へ距離を詰めた。

 そして、彼女の腰に巻かれた変身ベルトの「変身ボタン」を、躊躇なくカチリと押し込んだ。


『ピロリロリーン! ギャラクシー・マキシマム!!』


 部屋の中に、およそ悲恋のクライマックスには似つかわしくない、底抜けに明るい電子音声が響き渡る。


「……な、何すんのよ! 今いいところだったでしょ!?」

「いいところって何だ。一人で勝手に悲劇のヒロインぶって、俺を置いてきぼりにするな」


 涙目で抗議してくる玲奈の額を、俺は指先で軽く弾いた。


「いっ……」

「誰が『今すぐ付き合え』なんて言った。お前がパリに行って世界一のモデルになるって言うなら、俺はそれを全力で見送ってやるよ」


 玲奈が、パチリと瞬きをした。

 アイスブルーの瞳から、ポロリと最後の涙がこぼれ落ちる。


「その代わり、俺以外の『代わり』を勝手にあてがうのは絶対に許さない。俺はパリには行けないけど、お前が飛び立つその日まで、一番近くで、世界で一番のファンでいてやる」


 だから。

 俺は彼女の肩にポンと手を置き、ハッキリと告げた。


「代わりなんていない。お前じゃなきゃ、ダメなんだ」


 静寂。

 玲奈の顔が、首から耳の先まで、かつてないほどのスピードで沸騰していく。

「お前じゃなきゃ」という言葉の破壊力に、彼女の優秀な脳内CPUが完全にフリーズしたのが分かった。


「……っ、〜〜〜〜っ! この、ポンコツ、ミジンコ……っ!」


 彼女は両手で真っ赤な顔を覆い、しゃがみ込んでしまった。

 完全に形勢逆転だ。

 氷の女王の完全な陥落。甘すぎる余韻に、俺がどうしようもないほどのニヤニヤを噛み殺していた、まさにその時だった。


「ジュテェェェーーーム!!!」


 バンッ!! と、二階の部屋の窓ガラスが外から勢いよく叩かれた。

 振り返ると、バルコニーの手すりに、頭から粗塩を被って全身真っ白になった男――勉が、満面の笑みで張り付いていた。


「ひっ!? ゾンビ!?」

「勉!? お前、親父さんに塩撒かれて追い返されたんじゃ……!」


「愛の伝道師は死なず! 湊、よく言った! 実は俺も昔、ガキ大将に泥に沈められていたところを、この銀髪の暴君に助けられた過去があってな……! ずっと、お前ら二人の背中を押したかったんだ!」


 まさかの伏線回収。

 勉がただのバカではなく、彼なりの恩返しのためにずっと暗躍していたことが発覚した瞬間だった。

 しかし、そんな感動的な独白も束の間。


「だから! 玲奈は安心してパリへ行け! 湊は出発の日まで、あいつを骨の髄まで愛し抜け! アディオーーーッス!!」


 言い放つなり、勉はバルコニーの手すりから足を滑らせ、「あべっ」という情けない声と共に、一階の植込みへと落下していった。

 相変わらず無駄に頑丈なやつだ。


 ……甘い空気は、見事に木っ端微塵になった。

 しかし、それは決して不快なものではなかった。

 窓の外を見下ろして呆然としている玲奈と、俺は顔を見合わせる。


「……なんなの、あのアホは。せっかくのシリアスが台無しじゃない」


 文句を言いながらも、玲奈の表情からは先ほどまでの悲壮感は消え去り、代わりに、どうしようもなく柔らかい、年相応の女の子の顔が浮かんでいた。


 彼女はゆっくりと立ち上がると、まだ少し赤い目で、ツンと顎をそらした。


「……別に、あんたがどうしてもって言うなら、ファンクラブの会員証くらい発行してあげてもいいわよ。会員番号は一番にしてあげる」

「そりゃ光栄だな」

「勘違いしないでよね! 卒業までは、あくまで『保留』にしてあげるってだけなんだから! 変な気起こしたら、即刻退会処理するから!」


 言いながら、玲奈は腰の変身ベルトを愛おしそうに撫でた。


「……ポンコツのくせに、かっこつけちゃって」


 誰にも聞こえないような、甘く溶けるような呟き。

 俺たちの恋は、決して永遠には続かない。

 卒業と同時に、彼女は遠い異国へと旅立ち、俺たちは離れ離れになる。

 終わりの決まっている残酷なカウントダウン。


 けれど。

 彼女のその呆れたような、でも底抜けに愛おしそうな笑顔を見た瞬間。

 残されたその有限の時間は、俺たちにとって「悲劇のタイマー」ではなく、「世界で一番尊い、期間限定の奇跡」へと変わったのだ。


 ***


 いよいよ物語は、残された甘く切ない日々(終盤日常〜卒業式)へと向かいますが、ここからエピローグまでは、一気に駆け抜ける構成で書き上げましょうか?

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