第18話
「……勝手に見ないで。バカ。遅すぎるのよ」
掠れた、震える声だった。
ベッドの上に座り込んでいた玲奈は、大粒の涙をボロボロと零しながら、俺を睨みつけていた。
普段の隙のない洗練された姿からは想像もつかない、ダボダボの部屋着姿。銀色の髪は乱れ、目は泣き腫らして真っ赤になっている。
俺は、雷に打たれたように立ち尽くしていた。
「玲奈……お前、あの時の泣き虫だったのか。どうして今まで言ってくれなかったんだ」
「言えるわけないじゃない! 私がせっかく同じ高校に入って、あんたの前に立ったのに! あんた、私の顔を見ても一ミリも思い出さずに、ただの『口の悪い女』みたいな目で見てきたくせに!」
ミジンコ呼ばわりしてきたのはお前の方だろう、というツッコミすら喉の奥に消えてしまうほど、彼女の涙は切実だった。
玲奈はベッドからふらふらと立ち上がると、机の上に置かれていたあの古ぼけた変身ベルトを、引ったくるように手に取った。
そして、あろうことか。
彼女は泣きじゃくりながら、そのプラスチックの不格好なベルトを、自分の細い腰にガチャリと巻きつけたのだ。
「……れ、玲奈?」
「あんたが言ったのよ! これをつければ無敵だって! どこに行っても、お前が泣いてたら絶対に見つけて守ってやるって!!」
ティーン誌の表紙を飾る、学園の氷の女王にしてカリスマモデルが。
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、昔の特撮ヒーローの変身ポーズを、手足の先まで完璧なキレで決めている。
「……っ!」
なんだこれ。
面白すぎる。ポンコツすぎる。
そして――狂おしいほどに、愛おしすぎる。
悲劇のヒロインになりきれず、初恋の男の前でプラスチックのベルトを巻いて大号泣する美少女。
俺の胸の奥で、今まで燻っていた「気になり」や「戸惑い」といった感情が、爆発的な勢いで「恋」へと昇華していく音がした。
俺はこみ上げてくる笑いと、それをはるかに上回る愛おしさを噛み殺し、彼女の前に歩み寄った。
「ああ、思い出したよ。すぐ泣くくせに負けず嫌いな、世界で一番不細工な泣き顔の女の子だ」
「ぶさっ……!? あんたって本当に最低! 何年経ってもデリカシーの欠片も……っ!」
ポカポカと俺の胸を叩いてくる玲奈。
その小さな拳を、俺はそっと両手で包み込んだ。
ビクッと、彼女の肩が跳ねる。
「ごめん。思い出すのが遅くなって。でも、あの時の俺の言葉に嘘はない。これからは俺が、ずっとお前のそばで——」
感動的なハッピーエンド。誰もがそう確信する瞬間。
しかし、彼女は俺の手を、力強く振り払った。
「……ダメよ!!」
変身ベルトを着けたまま、玲奈は一歩後ずさった。
そのアイスブルーの瞳に、再び絶望のような、深い諦めの色が宿る。
「私、誓ったの。あの時あんたがくれた勇気のおかげで、私は泣き虫を卒業できた。だから……世界一立派なモデルになるまで、絶対に恋はしないって」
彼女が俺を避けていた理由。
自分の代わりを見つけようと狂奔していた理由。
それは、俺を嫌っていたからでも、見下していたからでもない。
あの日の俺との思い出が、あまりにも巨大で、大切すぎたからだ。
「……私は、卒業したらパリに行く。誰も私を知らない場所で、トップに立つために。その夢が叶うまで、私は……あんたの隣に立つ資格なんてない」
震える唇から紡がれたのは、どうしようもない残酷な事実。
彼女は、俺を愛しているからこそ、俺の手を引くことができない。
だからせめて、自分が遠くへ旅立つ前に、俺が一人ぼっちにならないよう、不器用に、彼女なりの優しさで「代わり」を押し付けようとしていたのだ。
「だから……もう、私に優しくしないで。お願いだから、私のことは忘れてよ……っ」
顔を覆い、再び泣き崩れる玲奈。
腰の変身ベルトが、悲しげにカタカタと鳴った。
運命の相手だと分かった瞬間につきつけられた、明確な「別れ」の絶対条件。
だが、この時の俺は、もう昔の何も知らない鈍感なオタクではなかった。
目の前で泣いている、世界一不器用で愛おしいツンデレを前に、ただ黙って引き下がるつもりなど、毛頭なかったのだ。
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