卒業と同時に別れることが確定している俺たち。だから彼女は、俺が悲しまないために「氷の悪役」を演じ続けた。――なお数年後、極秘同棲を経て「激甘ツンデレ妻」になる模様

月下花音

第1話:前世はミジンコ、そして唐突な紹介屋

 世の「女心がわからない男子諸君」に告ぐ。


 今でこそ、俺の妻は「俺を養ってやる」などと逆プロポーズをかましてくるほどの『激甘ツンデレ』であり、俺たちは娘を交えて世界一騒がしくて幸せな家族をやっているが。

 高校時代の俺たちの関係は、ラブコメなんて生易しいものではなかった。


 これは、最初から『終わり』が確定していた、残酷な結末へのカウントダウンだったのだ。


 彼女が棘を纏って俺を遠ざけていたのは、いつか訪れる別れの日、俺が少しでも悲しまずに済むようにという、悲しいほど不器用な嘘だったと……当時の俺は知る由もなかった。


 砂時計の砂が落ち切るまでの限られた時間。

 どうしようもなくすれ違った二人の日々は、どうしてあんなにも眩しく、痛いほどに胸を締め付けたのか。


 ――これは、俺と俺の最愛の妻が、不器用すぎる「期限付きの恋」から始まり、最終的に運命(システム)ごと書き換えるまでの、最高に理不尽な愛の記録である。


 ***


 放課後の教室は、西日が差し込んでオレンジ色に染まっていた。

 クラスメイトたちが部活や遊びへと散っていく中、俺――相沢湊(あいざわ みなと)は、自分の席で黙々と手を動かしていた。手の中にあるのは、昨晩ネットオークションで落札したばかりのヴィンテージもののヨーヨーだ。指先の微妙なスナップで、プラスチックの円盤が軽快な音を立てて空転(スリープ)する。


「……完璧な重心だ」


 一人ごちて頷いたその時、ふわりと、甘い柑橘系の香りが鼻をくすぐった。

 顔を上げると、視界が眩しい銀色に覆われた。


「なにが完璧な重心よ。あんたの脳内の重心がズレてるんじゃないの?」


 窓際から吹き込む風に、色素の薄い銀髪をサラリと揺らしながら、彼女は立っていた。

 白城玲奈(しらき れな)。

 現役のティーン誌専属モデルであり、誰もが振り返るほどの美貌と、誰もが三歩引くほどの氷点下の毒舌を併せ持つ、学年一の高嶺の花。


 どういうわけか、この非の打ち所がない美少女は、ただのレトロ玩具オタクである俺にだけ、異常に当たりが強い。


「玲奈……あのな、これはただのヨーヨーじゃない。70年代に一世を風靡した――」

「オタクの早口語りなんて聞いてないわ」


 ピシャリと遮られる。いつものことだ。俺はため息をついてヨーヨーをキャッチし、机の上に置いた小道具箱にしまった。


「で、何の用だよ。まさか俺のコレクションをバカにするためだけに、わざわざモデル様が足を運んでくれたわけじゃないだろ」


 玲奈は腕を組み、俺をじっと見下ろした。

 その透き通るようなアイスブルーの瞳が、俺の顔を舐め回すように観察する。


 ……1秒。

 ……2秒。

 ……3秒。


 わずかな沈黙の後、彼女はふいっと視線を逸らし、形の良い唇を動かした。


「……前世はミジンコね」

「急にスケールが小せえ暴言だな!?」


 水の中を漂うだけのプランクトン呼ばわりは流石に傷つく。

 しかし玲奈は俺のツッコミを無視し、突然、自分の背後に隠れていた小柄な女子生徒の腕を引いて、俺の前に突き出した。


「ほら、結愛(ゆあ)。こいつよ」

「えっ、あ、初めまして……高嶺結愛です」


 おずおずと頭を下げる結愛という女子生徒を見て、俺は目を丸くした。

 彼女もまた、玲奈が表紙を飾る雑誌でよく見かけるモデルの一人だった。小動物のような可愛らしさがあり、クラスの男子たちが「マジで天使」と崇め奉っている存在だ。


「……は? なんで高嶺さんがここに?」

「紹介してあげる」


 玲奈はツンと顎をそらし、事も無げに言い放った。


「あんたみたいに、毎日ガラクタをいじって一生を終えそうな可哀想なミジンコに、私が慈悲を与えてあげるって言ってるの。結愛なら、あんたのその無駄に手先の器用なところも、少しは評価してくれるかもしれないし」

「ちょっ、玲奈ちゃん!? 私、そんな風には……!」


 慌てる結愛。ポカンとする俺。

 状況がまったく呑み込めない。なぜ学園のアイドルが、俺にモデル仲間を紹介しているんだ?

 そもそも、玲奈の言う「慈悲」の理由がさっぱりわからない。俺からすれば、玲奈本人のほうがずっと――。


「いや、紹介されても困るんだけど。俺は別に彼女とか探してないし、というか玲奈の方が――」

「うるさいっ。いいから結愛と連絡先を交換しなさい!」


 玲奈の頬が、西日のせいか少しだけ赤く染まっていた。その声は普段の冷静さを欠き、なぜかひどく焦っているように聞こえた。


 その直後だった。

 ガラッ! と勢いよく教室の後ろの戸が開き、空気を読まない大声が響き渡る。


「おーっす! 湊、遊びに行こ――って、うおぉおお!? なんだこの天国(パラダイス)は!!」

 悪友の勉(つとむ)だ。彼は俺の席に玲奈と結愛という二大美少女が集結しているのを見るや否や、鼻息を荒くして突進してきた。


「俺の未来の嫁たちがこんなところに! 湊、お前だけズルいぞ! 俺にも紹介――」


 シュパッ!


「あべっ!?」


 俺の右腕から放たれたヴィンテージヨーヨーが、寸分の狂いもなく勉の眉間にクリーンヒットした。

 見事なループ・ザ・ループの軌道を描き、ヨーヨーは手の中へと戻ってくる。


「……よし、完璧な重心だ」

「俺の顔面で性能テストすんなぁ!!」


 額を押さえて悶絶する勉を見て、結愛が「ひっ」と小さな悲鳴を上げて一歩下がった。

 玲奈はといえば、ゴキブリでも見るかのような冷たい目で勉を見下ろしている。


「……なんなのこの粗大ゴミ。動物園から脱走してきたイノシシ? 結愛、近づいちゃダメよ。バカがうつるから」

「酷すぎない!? 俺、一応お前のクラスメイトなんだけど!」

「私の脳内メモリには、あなたの顔データを保存する容量なんて1バイトも残ってないわ。消えなさい」


 流れるような罵倒。勉は涙目で俺の肩を揺さぶったが、俺は肩をすくめるだけだった。


「ごめん、高嶺さん。ちょっとカオスな状況だから、今日のところは帰ってくれないか? 玲奈も、変な気遣いは無用だ。俺は一人が気楽でいいから」


 俺がそう告げると、結愛はホッとしたような、申し訳ないような顔で「ご、ごめんなさい! 失礼します!」と逃げるように教室を出て行った。


 パタパタという足音が廊下の奥へ消え、嵐が去ったような静寂が舞い戻る。

 教室には、俺と玲奈、そしてまだ額をさすっている勉の三人だけが残された。


「……あんたって、本当に救いようのないバカね」


 玲奈の声は、先ほどまでの勢いを失い、ひどく静かだった。

 窓の外を見つめる彼女の横顔は、いつも見せる気が強くて傲慢な表情ではなく、どこか酷く脆いもののように見えた。


「なんでだよ。俺にだけ当たりが強いかと思えば、急にモデル仲間を紹介してきたり。お前の考えてることが全然わからない」

「……」


 玲奈は答えなかった。ただ、夕日を背に受けて立ち尽くしている。

 その時、彼女の唇がわずかに動き、風に消え入りそうな声で呟いたのを、俺は確かに聞いた。


「……せっかく、また会えたのに」


「え?」

「なんでもないっ! このポンコツ! もう勝手に一生独り身でいればいいわ!」


 俺が聞き返すと、玲奈は顔を真っ赤にして怒鳴り、勢いよく踵を返した。

 カツカツと足音を立てて教室を出て行くその後ろ姿を、俺はただ目で追うことしかできなかった。

「また会えた」?

 俺たちが出会ったのは高校に入ってからのはずだ。それとも、俺が何か忘れているだけなのか? 胸の奥に、チクリと小さなトゲが刺さったような感覚が残る。


「……痛えなぁ、もう」


 呆然とする俺の横で、勉がようやく立ち上がった。

 彼はドアの向こうへ消えていく銀髪の少女を見送った後、普段の三枚目キャラとは到底思えない、妙に鋭く、静かな笑みを浮かべた。


「……始まったな」


「は? 何が?」

「いやいや、なんでもねーよ! それより湊、ゲーセン行こうぜゲーセン!」


 勉はいつものおどけた態度に戻り、俺の背中をバンバンと叩いた。

 俺は釈然としない思いを抱えながら、鞄に小道具箱を押し込んだ。


 なぜ玲奈は、自分ではなく他の女子を俺に押し付けようとするのか。

 なぜあんなにも、切なそうな顔をしたのか。

 この時の俺はまだ知らない。

 彼女が俺を突き放そうとする行動の裏に、「どうせすぐに離れ離れになる」という絶対的な理由と、期限付きの残酷な運命が隠されていることなど。


 ――こうして、俺と彼女の、最初から終わりの決まっている恋の記録が幕を開けた。

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