〔50〕白き獣と次代の王
ディアンは温かな日差しを浴びながら、自宅からのんびりとした歩調で丘の上にある孤児院へと向かっていた。
隣にはまた猫に変装しているリヒトがいて、殺伐とした日々から解放されたディアンは、久しぶりに清々しい気分で歩みを進めていた。
今は、あの出来事から数日が経過している。
あの日以降ディアンは冒険者としての活動を控え、町の様子を静かに見守っていたのだ。
一方ウォーレンは翌日、早々にこの町を出立していった。
「私のここでの役目は終わったようだからね」
と一人納得したように言ったウォーレンに、意味が分からぬものの一応頷いて見送ったディアンである。
そんな彼以外にも、町に大きな変化があった事は言わずもがなだ。
その日の内には町中に“神獣”の噂が広まり、住民達が歓喜に湧いたのはディアンも苦笑するしかなかった。噂が一瞬で町中に広まるのを目の当たりにしたディアンが、『噂って怖いな』と思ったのは当事者だったから。
しかしあの場でディアンが名を明かさなかった事で、町中にその名まで広まる心配がなかったのは救いだったといえるだろう。
そんな事もあったが故にこの数日の間、ディアンは大人しくしているしかなかったという訳である。
そして実はそんな当日の町中に、人相の分からぬ男と小さな蒼い犬がいた事など、館を遠巻きにしていた住人達が気付くはずもなく、そんな一人と一匹は物陰から密かに館を眺めていた。
「どうやらこちらも事なきを得たようだな」
隠されていない瞳を館に向けて、偉丈夫は物陰から誰ともなしに呟いた。
そんな男を仰ぎ見て、蒼い犬はニタリと笑う。
『残念だったわね?』
からかい気味に紡いだ言葉に、偉丈夫は足元へ瞳を向けてニヤリと笑った。
「さあ。何の事やらわからぬが、
『そうね、他国の王の選定を見られるなんて滅多にないもの。そういう意味で、私達は吉事に巡り合ったのかもしれないわ?』
「ふん。大袈裟な」
『……常に冷静な貴方らしい表現ね』
決して褒めていない言いように、もう興味が失せたとばかりに無視を決め込んだ偉丈夫は、表情を戻して足元の犬に目配せをする。
「戻るぞ」
『そうね。早く帰らないと怒られちゃうものね?』
「ぐっ……想像させるでない」
そう言って眉間にシワを寄せて歩き出した偉丈夫とそれを追いかける蒼い犬の姿は、誰に知られる事なく噂が広まる前のソーラムへと消えていったのだった。
緩く上る色付き始めた草原の途中、
そして振り返り、見慣れた景色を見て目を細めた。
「ここからの景色は、何も変わらないんだな……」
前回ここに来たのは、アメリアが連れ去られた事を孤児院へ伝えに来た時だった。そんな不安に包まれていたディアンも今のディアンも、ここから見る町の景色に違いはないように見えた。
『これからは何処から見ても、美しい町になるであろう』
それは、以前ディアンが言った事の続きをリヒトが話しているのだと気付く。
「――――そうだな」
ディアンは隣に並ぶ小さな猫に向け、嬉し気に微笑んで同意した。
丘の頂に、温もりが詰まった建物が姿を現す。
ディアンは知らず足を速め、外で元気に遊ぶ子供達へと向かっていった。
「ディアン!!!」
そうして目の前に建物が迫ってきた時、ディアンを呼ぶ嬉しそうな声が響いた。
その声はずっと気になっていた者の声であり、ディアンは丘の上にその姿を探しあてて大きく手を振った。
「アメリアー!!!」
二人は同時に駆け出して抱きしめ合う。
「無事でよかった……」
「それは私のセリフよ、ディアン?」
抱擁を解き互いの顔を見合わせれば、アメリアが眉根を寄せ怒ったように言う。
「あの時は本当に心配したんだからね?」
「……ごめん」
ここは素直に謝ったほうがいいというのは、ディアンの長年の経験からだ。
アメリアを本気で怒らせると、機嫌が直るまでが長いんだよね……とは口に出来ないディアンであった。
「大丈夫だったの? どこにも怪我はない?」
「うん。この通りピンピンしてるだろう?」
ディアンがそう言って腰に手を当てて仁王立ちすれば、アメリアはホッと息を吐いて頬を緩めた。
「嘘じゃないみたいね? それで今日は、みんなを心配して来てくれたの?」
アメリアが言ったのは、館に捕らわれていた人達の事だ。
あのあと一時的に孤児院へ匿ってもらっていた為、アメリアはディアンが皆の様子を見に来たと思ったらしい。
とはいえ、その後のことはリヒトが状況を把握してくれており、彼女達がすぐに家族の下へ戻っている事を、ディアンは既に知っていた。
「いや、皆は家に帰ったって聞いてる」
「そうなの。あのあと、神獣様が来てくださってあの人達を捕まえてくださったと聞いたわ。だからすぐにみんなは家に帰る事ができたの。それをディアンも聞いたのね?」
「うん」
ディアンは戸惑いなく首肯したものの、隣から不思議そうな声が伝わってきた。
『捕まえたのはルシェクターだが、何故吾が捕まえた事になっておるのだ?』
チラリと視線を寄越したリヒトに、ディアンはそっと苦笑を渡した。
(そういう事にしといたら?)
『まあ、噂というのはその程度のものか』
と取り敢えずリヒトは実害がないからとでも思ったのか、気にするのは止めたようだった。
ディアンは改めてアメリアに向き直る。
「今日はアメリアに、お別れを言いにきたんだ」
突然の報告に、アメリアが大きな目を零れんばかりに見開いた。
「え? もしかして私のせいでディアンが罪を犯した事になってしまったの?!」
泣きそうなアメリアに、ディアンはきっぱりと否定する。
「それはないよ。神獣様がいいようにしてくださったからね」
『また吾を使うとは……ムム、致し方ない……』
リヒトが不満げにブツブツ言っているが、ここは黙っていてもらう。
「それならいいけど、だったらどうして?」
アメリアの問いかけに、ディアンはここまでに考えてきた事を口にする。
「僕は旅に出る事にしたんだ」
「えっ……なんで?」
「僕はね。今回の事で、自分の未熟さを痛感した。これまでもそうだとは思っていたけど、実を言えばそう“思っていただけ”だった。それがあいつらと剣を交えて実感した。僕は今のままでは駄目だ。だから旅に出て、もっと色んな経験をしようと思う。――――皆と、アメリアと離れるのは寂しいけど」
唖然とするアメリアを、ディアンは寂し気に微笑んで見詰めた。
「え……でも、そんな急に……?」
「うん、急でごめん。でももう決めたんだ」
ディアンは言って、アメリアを抱きしめた。
「また、落ち着いたら顔を見にくるよ」
唖然としながらも、アメリアもディアンの背中に腕を回して抱き着いた。
「……本当? 約束してくれるのよね?」
「ああ。約束する」
ディアンは腕の中にいる友を忘れないように、目を閉じてその温もりを記憶に留めた。
この数日、ディアンとリヒトはこれからの事を話し合っていた。
ディアンがリヒトの選定を受け入れた事で、当然ディアンはもうここにはいられなくなるのは分かっている。今後は指示に従いディアンが次代の王として、リヒトと共に王都オルデガータへ向かう事も了承した。
しかし今アメリアにも伝えたように、ディアンは王になるからこそ色々な経験をして、心も体も強くありたいと今まで以上に思ったのだ。
だからリヒトには、時々でいいから外に出してほしいとお願いをしてある。だからこの別れは、今生の別れではないとディアンは言い切れるのだ。
腕を解いてアメリアの顔を覗けば、涙を浮かべながらも微笑みを浮かべている。
そして、いつの間にかディアン達の周りには孤児院の先生と子供達が集まり、温かな眼差しを注いでくれていたと気付く。
「わかったわ――頑張ってね、ディアン」
「うん。アメリアも、皆も。時々会いにくるから、僕の事を忘れないでよ?」
そう言ってディアンは周りを囲む皆を見回した。
「忘れる訳ないわ」
「ええ、こんなお転婆を忘れられるはずがないでしょう?」
「また遊びにきてねー」
「にゃーにゃ」
「ディーあそびきてー」
「にゃんこもまたね~」
「次はいつくるの?」
「おみやげ、わすれないでね?」
ワイワイと騒がしくなった丘の上で、ディアン達に向けられた温かな眼差しが、旅立つディアンを優しく包んでくれたのだった。
孤児院へ行った翌朝に家を引き払ったその足で、ディアンは“マンザレク工房”と“タンポポ”に赴き、これまで世話になった事を感謝して暫く旅に出る事を伝えた。
マンザレクは知り合いの憂いが消えたと笑みを浮かべ、ディアンの旅立ちを応援してくれた。ブラニガン夫妻はディアンと会えなくなるのを寂しがりつつも「頑張りなさい」と快く送り出してくれた。そんな思いに改めて感謝を伝えたディアンは、次に通い慣れた冒険者ギルドへ別れの挨拶をしにいった。
まだ冒険者としては未熟なDランクである為、わざわざギルド長を呼んでもらうつもりはなかったが、何故か受付に徹夜明けのようなギルド長が現れた為、ディアンはお世話になったキャリイと共にギルド長にも旅に出る旨を伝える事ができた。
「おう、そうか。それじゃあ、従魔を連れてる奴がいたら訊いてみるといいぞ?」
と、何も知らないギルド長はあっけらかんと笑っていた。
「あはは……そうですね」
ディアンはそんなギルド長とは気の抜けた挨拶を交わし、キャリイに手を振って冒険者ギルドをあとにしたのである。
しかし、結局ロセット達三人には残念ながら会えなかった。
間が悪い事に、今彼らは神獣の件で誰も手を付けなかった遠方の依頼を進んで受けてくれていたようで、ルシェクター領の隣、アドラージュ領近くまで遠征しているとキャリイが教えてくれた。
最後に彼らへ挨拶ができなかったのは心残りだが、またくるからとキャリイに伝言を頼み、リヒトとの待ち合わせ場所である北の森の麓へとディアンは向かっていった。
『もうよいのか?』
森の入口から、本来の姿である大きな獣が姿を現す。
「ああ」
気掛かりだった事もリヒトから話を聞いた為、もう思い残す事はない。
あの後、館へ様子を見に行ったリヒトに報告された内容に因れば、伯爵は普段提出される書類とは別の隠されていた書類を発見し、ヴァンモリイが指示とは違う税を課し住民を苦しめていた事が発覚した。
更には税が払えぬ者を館へと連行し、それらを謎の組織に渡して金を受け取っていた事も判明した。その謎の組織はヴァンモリイですら詳細を知らないといい、今回の件を国に報告したのちに、改めて調査を開始するとの事だった。
これでようやく、ディアンはソーラムが住みよい町になっていくだろうと思う事ができたのだ。
「ロセット達には会えなかったけど、また来たときに怒られる事にした」
『――そうか』
「って、なんでここで待ち合わせなんだ? 道を行くなら南じゃないのか?」
ディアンの素朴な疑問に、リヒトは「はぁ~」とため息を吐いて呆れた目でディアンを見た。
『あのな。いくらなんでもこの姿で、人の目がある場所を歩くつもりなどはないぞ』
「んん? それじゃあどうやって王都まで行くんだ? 猫になったら足が短くなるから時間が掛かるんじゃないか?」
首を傾けるディアンに、ガクリと頭を落とすリヒト。
『近道を抜ける』
余計に混乱しているディアンに、リヒトは説明を諦めて背中を向けた。
『ほら、背に乗れ』
「ほえ? リヒトの背中に乗るの?」
『そうだと言っている。早くしろ』
ディアンは訳も分からぬままリヒトに言われた通り、リヒトの背中にまたがった。
とはいえ、リヒトの背中に乗っていると思うと、恐れ多いというよりも振り落とされないかと心配になってくるディアンである。
『おい、今失礼な事を考えてはおらなかったか?』
「――気のせいだろう?」
『………まあよい。それでは行くぞ。しっかり掴まっておれ』
「うわあぁぁーーー!!!」
そう言って急に走り出したリヒトの短い被毛を何とか掴みつつも、恐怖におののき叫ぶディアンの声が、ソーラムの北の森に木霊していったのだった。
こうして慌ただしくディアンがソーラムをあとにしてから三か月、空から真っ白い雪が舞い降りる寒い日の事。
アルメオラ国の中枢である王都より全国民に向けて、治世172年に及ぶシェンカー・ウム・アルディメオ陛下の崩御が公示されたのである。
これよりのち一月の間、国民全てが哀悼を示し喪に服すようにと布告され、その間の祝い事の自粛を要請した。
そして前王の喪が明けた新緑に風光る穏やかな佳日、神々が作られた世の西方北に位置するアルメオラ国にて黎明の王が即位する。
その御名は『ディアンジェリー・ウム・アルディメオ』、齢十七歳になる年若き女王だ。
彼女の即位は、市井から誕生した王を喜んだ民の
神獣と選ばれし王【伍國豊穣記】
~第一部 白き獣と次代の王~ ≪了≫
――――
いつも拙作にお付き合いくださりありがとうございます。
盛嵜です。
今話にて、神獣と選ばれし王【伍國豊穣記】『第一部 白き獣と次代の王編』が完結となります。
そして副題に【伍國豊穣記】とありますように、ここから王ディアンの物語は始まります。
以降は時期を改めまして次章をスタートさせる予定にしております。
これより先は、ディアンや密かに出てきた人物などの話も書いていきますので、その際はまたお付き合いくださると幸いです。
それでは今後とも、ディアンの物語をどうぞよろしくお願いいたします。
神獣と選ばれし王 【伍國豊穣記】 盛嵜 柊(書籍化作業中) @big-tiger
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