第13話 白檀の香
夜も更けていく。
甄家の内院に満ちていた喧騒は、すでに静まり返っていた。
遠くから、爆竹の音だけが、明日が婚礼の日であることを思い出させる。
明日が、婚礼の日であることを。
二人はそれぞれ身支度を整える。
その動きは、いつもよりわずかにゆっくりとしている。
やがて一通り整え終えると、彼女は灯りを落とした。
室内に残されたのは、かすかな燭火の光のみ。
そして、卓の上では、細い香がゆらゆらと煙を立てている。
心を落ち着かせる香だった。
淡くやわらかな香りが、静かに室内へと広がっていく。
視線は帳の内側、天蓋の布へと向けられたまま、何も言わない。
それから壁に背を預け、腕を組み、そのまま眠るつもりで目を閉じた。
室内は、長いあいだ静まり返っていた。
香煙がゆらゆらと立ちのぼる軌跡さえ、はっきりと見えてしまうほどに。
やがて。
「……こちらで寝てください」
声はとても淡く、ほとんど感情は読み取れなかった。
「今夜が、一番大事な夜だ。万一にも誤りがあってはならない」
それでも彼は壁際に座ったまま、動こうとはしなかった。
「……無敵でしょう?」
その声音には、ごくかすかに、意地のようなものが滲んでいた。
だが次の瞬間、脳裏にふと浮かんだのは、先ほど花火の下で見たあの光景だった。
もしかすると――
これは、この少女に許された、最後のわがままの時間なのかもしれない。
仕方がない、と小さく息をつき、頭を軽くかいて立ち上がる。
長槍を寝台の傍へ移し、外側へ腰を下ろした。
意識して、わずかに距離を空ける。
そして背を向けたまま、静かに横になった。
二人のあいだには、
近すぎず、遠すぎもしない、わずかな距離が残されていた。
やがて、再び口を開く。
「……抱き寄せてください」
「いや……それはさすがに……」
「朝、目が覚めたときに……」
「私がいなくなっていたら、困るでしょう?」
その声音は穏やかだったが、断れない響きを帯びていた。
「……確かに」
それ以上は何も言わず、静かに手を伸ばし、そっと彼女の肩へ腕を回す。
その動きはひどく控えめで、まるで余計な触れ合いを一切避けようとしているかのようだった。
だがすぐに力が抜け、そのまま静かに目を閉じた。
やがて、規則正しい寝息が聞こえ始める。
室内は再び静寂に包まれた。
ただ、平安香だけが、ゆっくりと燃え続けている。
夜の気配が、静かに移ろっていく。
この夜は、いつもよりずっと長く感じられた。
それでいて、やけに静かな夜だった。
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